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西粟倉で見つけた成功の秘訣


不思議な村、岡山県西粟倉

岡山県、兵庫県、鳥取県との県境に位置する岡山県西粟倉村。面積の95%が山林でその内の85%を人工林が占めています。平成の大合併では多くの自治体が税制優遇や効率化を目的に合併した一方、西粟倉は林業を軸にして自力で生き残る道を選びました。森林資源を軸に50年後の未来を作ろうという大きなビジョンとそれに紐づく様々なとがった取り組みが若者を惹きつけるのでしょう。今や村民の10%が移住者で占めるといわれる西粟倉。ほかの中山間地域と比べて活気にあふれています。宿泊施設で働く若者もみな移住者でした。田舎ならではの難しさもあるでしょうが、皆それぞれ生業をもち楽しそうに暮らしています。

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エネルギーに関心を持ちながら、宿で働く移住者の神崎さん

地域を活性化させようと取り組む自治体は他にもたくさんありますが、うまくいっている事例はそれほど多くありません。そんな中、西粟倉がうまくいっているのはなぜか。簡単に言語化できないよさがありそうですが、色んなところで成功物語が記事になっているのでご興味ある方はネットをあさってみてください(例えば、朝日新聞デジタルの記事とか)。

さて今回、西粟倉行きをすすめてくれたのはアミタHDの熊野会長。私がアミタを退職する際「木の仕事をするなら西粟倉に行け」とアドバイスをくれ、木薫の代表である國里さんを紹介してくれました。退職する社員にそこまでしてくださるとは!感謝しかありません。國里さんと熊野会長の対談が記事になっています。気づきの多い記事ですのでこちらも合わせてどうぞ。


木の里工房 木薫

西粟倉で森林整備と木製保育家具を製作・販売する木薫。西粟倉ベンチャーの先駆けとして地域をけん引してきた会社の一つです。代表の國里さんはサラリーマンとして大阪で働いた後、故郷の西粟倉にUターン。地元の森林組合に就職します。当時の森林組合には家具製造部門があったそうですがずっと赤字続き。閉鎖が決まったその部門を、自身が代表を務める形で引き継ぎ木薫を立ち上げました。今では岡山だけでなく、東京や大阪などの保育園に様々な家具を納めています。詳しい事業内容は木薫HPをご覧ください。

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木薫の入り口

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代表の國里さん

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工房の様子

伺ったお話の中で印象に残っているのは製品デザインを洗練させていったプロセスについて。「家具の使い手(保育園の先生たち)は、皆さん保育のプロ。有名デザイナーにお金を払ってデザインしてもらうより、先生たちにほしいものを聞き、作り込んでいくほうがよほどよい家具ができあがります」と語る國里さん。保育園に家具を持ち込んではダメ出しをもらい、何度も設計し直し今があるそう。製品の性質にもよるでしょうが、ユーザーの声を真摯に取り入れトライ&エラーを繰り返す姿勢が大切だと学びました。

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出荷待ちのイスたち

現場では働くお父さんにも話を伺いました。「ここで仕事ができてありがたい。身体が動くかぎり働き続けたい」と、満面の笑顔で語ってくれました。片や若い方もたくさん働く木薫。未来を担う子供たちに製品を届けるため、幅広い世代が一丸となって取り組む姿が印象に残りました。

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木製遊具を制作中のお父さん


西粟倉・森の学校

次に伺ったのは、西粟倉・森の学校。代表の牧さんはアミタ時代の先輩です。前職ではたくさんのプロジェクトでお世話になりました。自分の信じた道をぐいぐい進む姿は、アミタ時代と全く変わっていませんでした。

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森の学校代表の牧さん

DIYでだれでも簡単に無垢の木の床を楽しめる「ユカハリ・タイル」など自社製品を製造しながらも、複数のメーカーからOEMを受けたりもしています。構造材以外の住宅部材の生産もおこなっているし、自社で対応できないオーダーには商社的な動きの中でクライアントの要望に答えるそう。様々な事業を展開する森の学校。「もうね、何屋かわからない」と笑う牧さんですが、その裏にはちゃんと戦略が隠れています。

30名ほどの森の学校の社員のうち半数以上は女性。牧さんによると「女性は、私のようなおじさんなんかよりよっぽどよく働いてくれる」とのこと。女性でもできるよう工程を改善し、主婦でも働き続けられる職場環境を整えた結果、生産効率は格段とよくなったそうです。

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現場でもたくさんの女性が働く

今では成功事例として紹介されることの多い森の学校ですが、失敗もたくさんあったようです。牧さん、そんなにたくさん失敗してたんっすね。。。國里さん同様トライ&エラーを繰り返されたわけで、お二人に共通する部分は「トライ&エラー」の他にもいくつかありそうです。


お二人に共通すること、3つの成功の秘訣

宿に戻ってノートを開いたら、なぐり書きのメモが13ページも!資金繰りのこと、リクルートのこと、プロダクトデザインのこと、生産管理のこと…たくさんのことを教えていただきましたが、13ページのメモの中からお二人に共通することを抜き出してみます。

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秘訣①:あきらめない

「安定的に黒字が出せるようになるのに6年かかった」「7-8年でやっと工場らしくなった」とお二人は言います。もちろん立ち上げすぐに安定したとは思っていませんでしたが、それでも黒字になるまで私の想像をはるかに超えて時間がかかっていました。その間、周囲からは不満や不安の声があったはず。少なくとも5年以上不満や不安の声に耐え、今がある。戦術レベルでは朝令暮改しつつも信念を持って始めた事業は成功するまでとことん耐え続ける。続ける期間が長ければ長いほどたくさんのノウハウがたまり、結果的に競争力の源泉になるようです。

秘訣②:チームとして付加価値を高める

牧さんが勝負に打って出るときは、「A.プロダクトで勝負する」か「B.チームで付加価値を高める」かのどちらかを選択するそうです。Aで勝負したのがユカハリ・タイル。しかしそれに続くプロダクトがなかなか出ず、プロダクトで勝負し勝ち続けるのは難しいと実感したとのこと。一方チームで付加価値を高めて勝負するBは、チーム力が上がれば上がるほど勝率が高まる。牧さんにとってのチームとは「チーム西粟倉」。つまりは森の学校単体でなく西粟倉全体の活力が高まる事業を意識して展開することで、長期的に森の学校の勝率も上がるという理屈です。國里さんも西粟倉の他事業者との連携を常に意識し行動されている様子で、一事業者だけでやれることは限られていても域内の事業者が積極的に連携することで模倣できない付加価値を生むことにつながっています。

秘訣③:過去ではなく未来にフォーカスする

現状に満足される様子の全くないお二人は、今、次の事業の仕込みをされています。未来の話をされる二人の顔は何とも言えない、無邪気で、そして力強い表情でした。そこに打算的な要素は全くなく、単純に「もっとよりよい未来を」という思いがにじんでいました。未来を語る二人を見た私は、原動力は間違いなくこれだと実感しました。語彙力がなく情けないですが、ほんとにかっこよかった。とにかく、もっとよりよい未来を。その一点に尽きます。私もよりよい未来を胸に足元の仕事を積み上げ、二人に少しでも近づきたいと思います!

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