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南無阿弥陀仏

 南無阿弥陀仏ってなんだろう。
阿弥陀様?なんで様ってつけるの?
この辺の疑問は未だスッキリしません。
仏教は因縁果。南無阿弥陀仏と分かっても分からんでも称えているなら、それを「果」とするならば、「因」は法蔵菩薩の願いに向かう。
なるほど。
でもそれってお話よね?
いやそのお話ができて念仏の教えがうまれたのだ。お釈迦様にそう説法させる「因」があったのだ。そう本に書いてあった。

念仏しろといわれて、「はい、分かりました」と言うのは簡単だ。でも心からの「はい」はなかなかでてこない。
しかも、念仏したから救われるという自力にしてはいけない。念仏届く私が、救われているのだ。という。
わからん。
わかるけどわからん。

本や人に答えを求めるのは違うのかも知れない。でも求めてしまう自分は止められない。
わからん。

蓮如上人の御文
「くちにただに称名ばかりをとなえたならば
極楽に往生すべきようにおもえり。それはおおきにおぼつかなき次第なり」

これを「念仏わからんからやれへんわ」と捉えるのか「念仏わかったような気になってやるんはちがうで!」と捉えるのか。

ま、最後は蛇足だがもう少し足掻いてみようとはおもう。

病院の採血待ちで今
『なぜ南無阿弥陀仏なのか』藤場俊基著を読んでいる。
 答えを探しているなぁ、わたし。笑

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