【エッセイ】人に欲をぶつけない方法

 私は一人でいる事が多い。若いけれど人と関わる事が少ない。そんな身であっても『人にぶつけたくなる欲』というのは常に湧き上がる。そんな欲をどうしたら満たせるだろうかと思う瞬間も多い。
 人に欲をぶつけるってどんな事か聞かれたならば、例えば説教したいとか考えを聞いて欲しいとか、それ以外にも性欲に関する事もある。
 一概には言えないが、居酒屋で後輩に講釈を垂れたり、キャバクラで話す人間などもそのような性質があるのではなかろうかと思う。
 最近、人に欲をぶつけないという事を覚えた。人を用いて解消しがちな欲を、人を用いない方法で満たすという事は意外に出来る。こんな執筆もその一つだ。それと、私はポッドキャストなどで壁打ちのように一人で話す時がある。それもまた、人に話を聞いて欲しいという欲を実際に喋る事で満たせるからやっている。
 昔は欲求をコンテンツや芸術、文芸などに昇華するというのが分からなかった。ただ、今になって分かる。溢れ出る欲求を解消出来ない時、そこにはアートが無ければならない。コンテンツ制作やアートという『的』がなければ、人に対して欲を撃ってしまう。
 それらを作るためには、ある程度の教養や技術力が必要なのだろうけれど、現代を生きる多くの人はそれを兼ね備えているだろうから出来ない事もないと思う。
 例えば、講釈は毛嫌いされるが、書籍は毛嫌いされない。それは受け手に裁量権や選択の自由があるからであって、それを読むか読まないかも受け手が判断しているからだ。こんな文章も途中で飽きたなら読まなくなるだろうけれど、それで良いのだ。講釈を垂れるより幾分かマシである。このように全く同じ内容を話すにしても、その手段が変わるだけで全く違う結果になる可能性がある。我々の唱える言説も、たかだか講釈と思われるより、凄まじく価値のある情報と思われた方が良い。だからこそ、このような形で私は「話したい」と思う。

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