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死別はしんどくない

◆ご挨拶

こんにちわ、だいなしキツネです。
じつは先日、一部の界隈で「しんどい」作品をお薦めしあうというブームが到来していたんだ。そこで今日は、キツネが思う「しんどい」作品を紹介するよ。

◆アーサー・ミラー『るつぼ』

アーサー・ミラーは1915年のアメリカ生まれた、アメリカ演劇の黄金期を代表する劇作家だよ。その代表作『るつぼ』は17世紀末におけるセイラム魔女裁判を題材にした作品だ。Fate/Grand Orderのプレイヤーなら、第1.5部4章の元ネタと聞けばピンとくるかもしれないね。本作には稀代の悪女としてアビゲイルが登場する。彼女は魔女の疑いを掛けられそうになるのだけど、自身の嫌疑を晴らすために街全体を魔女狩りの渦中へと叩き込む。すなわち、無数の冤罪をつくり上げてその中に紛れ込もうというのだね。告発「される」側から「する」側への変身が魔女さながらに行われるんだ。主人公のジョンもまた、奥さんが魔女と告発されることで窮地に立つ。ただ、ジョンには大きな引け目があったんだ。それは、かつてアビゲイルと不義の関係を結んでしまったということ……。
この作品では、全編を通して「善 goodnessとは何か」が問題となる。現在入手可能な和訳ではgoodnessの訳語が多種多様に変化するから見えにくいのだけど、ジョンは常に善悪の問いに直面し、それへの態度決定を迫られる。結局、ジョンは善についての結論は得られない。ただ、「何を犠牲にしたとしても他者を加害しない」ということだけは自分の中心に据えるんだ。この作品は明らかに悲劇的な結末を迎えるのだけど、その「人間としての決断」には深く考えさせられるものがある。この作品の倫理観はキツネに大きな影響を与えているよ。

◆ジョセフ・コンラッド『闇の奥』

ジョセフ・コンラッドは1857年のポーランド生まれ、でありながらも英語で作品を書いたという特異な小説家だよ。その代表作『闇の奥』は、ベルギー領コンゴ国における苛烈な植民地搾取の現場を舞台とした作品だ。これについては、だいなしキツネ本編で解説を予定しているから簡単な紹介にとどめるね。主人公のマーロウは世界の闇の奥を求めてコンゴ河上流へと旅を続ける。そこには帝国主義的人間の象徴ともいうべきクルツという人物がいた。彼はコンゴの奥地という深い闇の奥でなお昏い魅力を放っている。クルツが見出した世界の真実は何か?  それを受け取ることになったマーロウは何を語るのか、いやむしろ、何を語ることができないのか?  マーロウが最後についた嘘は客観的に見れば優しいものだったけれど、それ故に残酷である、というパラドクスが生じている。語り部のマーロウでさえ語ることのできない「しんどさ」だ。

◆ソポクレス『オイディプス王』

ソポクレスは紀元前497年頃のアッティカ生まれ、古代ギリシャ三大悲劇作家の一人だよ。『オイディプス王』は西洋文学のオールタイムベストとも称される作品で、なんなら紹介不要かもしれないね。こちらもだいなしキツネ本編で解説する予定だよ。オイディプスに降りかかる困難は、個人では逃れようのないものだ。ほとんどが宿命に基づいており、半ば運命によって「決定された」悲劇だったともいえる。古代ギリシャのひとびとは、こんな宿命論とどうやって向き合えばいいのかを考えざるを得なかったんだね。それぐらい、自分ではどうしようもない困難に見舞われているという実感があったんだ。この作品が書かれた当時は、歴史に残る戦争と疫病の時代だった。
そんな中で、オイディプス王が何故特別だったのかは、本書を読むか、いずれキツネの解説をご覧いただきたい。人間の可能性を広げてくれる作品だ。これがあったからこそミラーの『るつぼ』も存在し得たんだよ。

◆死別はしんどくない

じつは、キツネは物語における〈死別〉のモチーフには全然しんどさを感じないんだ。現実の死別は「もう会えないんだ…」という寂しさとともにあるけれど、物語における死別は、キャラクターとの出会い直しの機会でもある。もともと物語の登場人物とは空想上の対話を通じてしか会えないからね。その人物の死を見つめることによって、空想上の対話は更にはかどる。なんなら時間を遡行して(頁をめくって)まだ生きている頃のキャラクターを新たに感じる機会となる。
だから、キツネにとっては一般的に「しんどい」と呼ばれる作品の多くが大好物だったりするよ。
以前、西尾維新は〈萌えキャラ殺し〉の異名をとっていた。これはキャラクターを死なせることによって新たな輝きを与えるという離れ技だった。その手法自体は陳腐化すると劣悪だけれど、背景にある原理はキャラクターとの出会い直しだったんだね。
とはいえキツネもいわゆる《イヤミス》というジャンルは苦手かな。あれは人間の浅ましさばかりを強調するから。(キツネの偏見を覆す面白いイヤミスがあれば教えてね。もちろん湊かなえ『告白』は読了済みだよ!)

他にパッと思いつくしんどい傑作は、ブッツァーティ「七階」、ピランデルロ「ひと吹き」、デュレンマット「貴婦人故郷に帰る」、ペルッツ『第三の魔弾』……挙げたらキリがないね。

このあと現実の生と死の問題について触れようかなと思っていたけれど、もう随分と長くなったので、またの機会としよう。今回のお喋りはここまで。
また会いに来てね!

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