「なぜ君は総理大臣になれないのか」を目にした小川淳也議員は何を思ったのか
とある野党議員に17年間密着したドキュメンタリー映画、『なぜ君は総理大臣になれないのか』。6月に都内2館で封切られたこの作品は、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットとなり、12月までに全国79館で上映され、現在はネットレンタル配信もされています。
政治には疎かった私ですが、友人に勧められてこの映画を目にしたら、これは取材して残さなければいけない。と強く感じ、8月に小川議員、大島新監督に取材をさせていただきました
小川議員は、その際にもご自身はまだ映画を見ていないと語っており、私は帰り際に失礼を承知の上で「1日も早く見てください」とお伝えしました。
すると、議員は「公開最終日に見る予定です」と回答されました。
この映画を最初に放映すると決断したポレポレ東中野での上映最終日が今日、12月28日でした。
一部ですが、映画を鑑賞した後に行われた舞台挨拶での小川議員の言葉をここに残しておきます。(アーカイブ動画は下記で見られます)
(以下、小川議員)
こんなバカなやつがいるんだ、というのが正直な感想です……。私はこんな人間なのか、という思いです。
純粋だし、正直だし……。将来の出世のことを考えると、こんなこと言わなければよかったと思うことはありますが、都度都度正直であったのだと思います。
はじめて出馬した2003年頃は、なんのバックボーンもなく、集会すらできませんでした。
その際にいらっしゃった方から『あなたは何をやりたいか』と聞かれ、とっさに答えたのが、とにかく社会保障を立て直したい、外国に開かれた日本社会をつくりたい、エネルギー問題をなんとか持続可能なものにしたい、という言葉でした。
それは17年経った今でも驚くほどまったく変わりません。
──お父様は、映画の中で選挙戦を戦う議員の様子を目にし、「猿芝居の世界や」と厳しい言葉を残されていました。それと同時に、「土下座して国民の共感を得られるのは、淳也しかいないかも」とも語っておられたのが印象的です。(大島監督)
小さい頃から厳しく育てられたので、父なりに、世のため人のためを思っての言葉だと思います。猛反対の父を2年かけて説得し、出馬しました。
当時、父として息子にこんなことを言うのはしのびないが、という前書きとともに、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人間は、始末に困るものだ。然れども、この始末に困る人ならでは、鉋を共にし、国家の大業を成すことはできない」と書かれたFAXが1枚届きました。
おそらく、父は息子がどうこうではなく、世のため人のためにそう語ったのだと思います。
今でも両親からは「小さい頃はまったく手のかからない子だったが、30過ぎてからこれほど手がかかるとは」と言われます(苦笑)。
──厳しい言葉を投げかけられることもあると思いますが、どのように捉えているのでしょうか?(来場者の方)
すべての意見に対して、正しいか間違っているか、善か悪か、ではないと考えています。どんな意見にも背景があり、どんな意見にも必ず一理あると尊厳を持って接するようにしています。
──心が折れそうになったときには、どうされているんでしょうか。(来場者の方)
映画でも言っているように、永田町で正気を保つことは容易でありません。自身の更年期が重なった頃など、とても苦しいときもありました。今でも絶望を感じることもありますが、毎朝目を閉じて、初心を思い出す時間をつくっています。
難題を抱えているときには、その時間が2時間にも及ぶこともあります。毎朝振り返り、初心を思い返すことによって、なんとか自分自身を維持しています。
また、時折、司馬遼太郎さんの『峠』という作品にある
「志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものは、その志の高さをいかに守りぬくかということにあり、それを守りぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯事の自己規律にある。
箸の上げ下ろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言い方、人とのつきあい方、息の吸い方、息の吐き方、酒の飲み方、あそび方、ふざけ方、すべてにその志を守るがための工夫によって貫かれておらねばならぬ」
という一節を思い出したりします。正気、志、健全さを保つのは簡単ではありませんが、自分を大切にし、心の中の声を聞くようにしています。
──17年間、苦しい状況のときも多い中、どうして思いを持ち続けられるのでしょうか?(来場者の方)
私は、人間の最上の喜びは利他心にあると思っています。多くの人に貢献できたとしたら、これほどの喜びはないと思っています。世のため、人のために具体的に役に立ちたいという欲に駆られてきたのかもしれません。
ある取材で、インタビュアーの方から「大欲」という言葉をいただいたことがありました。大欲という言葉を調べたら、「大欲無欲に似たり」とありました。もしかしたら、それに近い心境で歯をくいしばって頑張ってきたのかもしれない、と感じています。
(※来場者の方の質問は要約して記載しています)
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※以下、8月の取材時に伺った、議員のお話を追記します。
現状では、これだけ多くの人が社会システムの矛盾に苦しんでいます。その問題を解きほぐし、どうしていこうかを一緒に悩んだり考えたりして最終的に解決方法を提起することができたとしたら、それは社会に対する大きな貢献だと思います。
もしそれができたならば、自身の達成感や充足感、満足感はとてつもないものだと思います。だから、そこにすごく執着するのは、ある意味……。
──大欲だと。
はい。小沢一郎さんにもよく言われるのですが、持つべきは大欲であって、小欲ではないと。世のため人のためにいい仕事をし、社会を変えていくことが、僕の大欲なのかもしれません。
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私はこれまでさまざまな方にインタビューさせていただいていますが、小川議員にインタビューした際には、インタビュー中に泣きそうになってしまいました。泣きそうに、というよりも実際に少し涙が溜まり、仕事中なのに……、と慌てたほどです。
取材に伺う前は、そうは言ってももうちょっとしたたかになんとかうまくやって欲しいし、変わらないことが必ずしもいいこととは言えないのではないか…、という思いもどこかにありました。
ですが、実際にお話を伺ったら、小川議員は映画そのままで、どこまでもまっすぐで、こんなにも本心から強く強く国や社会を変えたいと願い続けている人がいるんだ……、と深く胸を打たれました。
正直、私は国や社会、他者を信じきることはできずに生きてきました。今でもできた、とは言えない気がします。
絶望、とまではいかずとも、限りなく絶望に近い未来に、この時代に子ども達を産んでよかったのだろうか、と考えてしまうこともあります。
そんな中、「変えられないかもしれないけれど、やらなければ後悔する。変わっていく世の中と、変われない社会制度との狭間で引き裂かれたり、谷間に落ち込んだり、悲鳴をあげる人の数が増えることを、黙って見ていることはできない。もしも既存の政治、政治家像を有権者と一緒に変えられたら、自身の大欲が満たされる」と心の底から思い続けている人に、私は希望を託したい。
たぶん絶望は100ではなくて、51なのだから。その裏には49の希望がきっとある。そう考えて、次の、そしてそのまた次の世代にもこの国を残せる術を探りたい。それがこの時代に生きる、私たち大人の務めなのだと思うから。
小川議員の姿を目にすると、そうした思いを抱かずにはいられず、やっぱり今日もまた涙しそうになりました。
最後に、小川議員が舞台挨拶で語っていた「見えなかったものを多くの方に見られるようにしてくれたのは、監督の志なんだと思います」という言葉に深く共感を覚えながら、それぞれが抱くそれぞれの志を絶やさずに、歩みを進めたいと感じたひとときでした。
何かを感じずにはいられない、こちらの作品。ぜひ、みなさんも映画やアーカイブ動画をご覧になってみてください。
書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)