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短歌で詠むポルノグラフィティ

好きなもの、それは私たちが生きていく中で必要な心の娯楽だ。


「もの」の中に入るものは何でもいいんだけれど、「好き」は探せば(そして自分のアンテナが感じれば)数多ある。例えば好きな俳優あるいはアイドル、好きなドラマあるいは映画、好きな本あるいは好きな食べ物。そういったものに対して、自分の「好き」をどう表現するかの方法もまた、数多ある。

しかしその中でも、「好きな曲を短歌にして詠む」という方法にはひと際の個性を感じないだろうか?




ひょんな事からポルノグラフィティに再会して一年が経つが、有難い事に多くの出会いや発見、共有に今も恵まれ続けている。その中で、やはりTwitterやブログなど文字媒体で彼らの魅力や曲について「好き」を発信し続ける人たちは多い。こちらの、ふくやまももかさんもその例に漏れない一人だが、彼女は発信の仕方が他と違っていた。

きっかけは、8月上旬にももかさんのアカウントでツイートされた「ポルノ短歌」という、ポルノグラフィティのデビュー22周年と新曲リリースを記念したファン企画のお知らせだった。彼女が立ち上げたこの企画自体には興味を惹かれてはいたのだが、しかし、「ポルノの好きなアルバムか曲をテーマに短歌を詠みましょう」……J-POPと短歌という、字面から放たれる色の違いにチカチカしてしまっていた事は否めない。事実、私が彼女にDMで参加希望の旨を送ったのは、募集締め切りの前日だった。つくづく仕事のできない奴だ。


①全16枚のアルバムから一枚選び、そのアルバムについて5首

②好きな曲を一曲選び、その曲について5首(なお複数詠むとしてもテーマはひとつとする)

テーマはこのふたつが提示されていたが、私は②を選ぶ事にした。なにぶん初めての短歌であるし、取り組もうと決めた時が締め切り前日であるし、なおかつ自分の好きなポルノの曲を詠むとなると、ハードル爆上がりである。詠みやすそうな②をそっと選んだという事はもうバレバレであると思う。

「好きなポルノ曲」。無茶をおっしゃる。9月4日時点でポルノはシングルだけでも50枚(配信曲含)出している。シングル一枚におよそ3曲。しかも幅の広い曲を持つバンドなので、そこから自分の「好き」を探すのは容易な作業ではない。つまり、「好きなポルノ曲」がありすぎて困るという話なのだが。

しかし、それに怯んでモタモタしていたらなんにもならない。選んでからさらに詠まねばならないのだ。


そう己を叱咤し、選んだ曲が「蝙蝠」


蝙蝠。ファンなら知っているだろう、「ポルノがポルノしている」曲・渦のカップリングだ。釈由美子主演のナイトドラマ「スカイハイ」の主題歌がその渦だった事は昨年知ったのだが、それは余談。渦自体、ライヴで演奏される頻度は格段に下がっているという。

この蝙蝠も、ライヴ披露の回数は下のほうにある。そういう曲を私は昨年ふと知る機会があり、ちょっと聴いてみたのだが、その「ちょっと聴いてみた」が心臓を射抜いていたのだ。まだ聴いた事のない人はぜひ聴いてみてほしい。


結果。



三十路にも満たない男がよく書くな 情景描写の鬼泳ぐ空
こうもりやコウモリでもない蝙蝠が これほど濡れる言葉にされた
何を食べどう感じたら書ける世界 覗いていいかな晴一の世界
二人だけ 哀しき愛がなぜこうも 似合ってしまう瀬戸内バンド

高校の国語の教科書載る日だけ 数えて数えて でも載らないで



こうなりますた。


早々に解説に入りたい。まず1首目。

三十路にも満たない男がよく書くな 情景描写の鬼泳ぐ空

新藤晴一が渦を書いた2003年当時、なんと28歳である。すでにMugenや幸せについて本気出して考えてみた、アゲハ蝶やサウダージなど多くの名曲を手掛けた歌詞を世に出し続けていたというのに、その時点で30にもならない青年が、まだ隠し持っていた世界があった事に私は心臓を射抜かれた。おれより年下じゃねえか。正直、20代でも人を唸らせる文を書く人はいるし、40超えても瑞々しくも鮮烈な音楽を届ける人だっている。年齢は関係ないかもしれない。けれど、ただでさえ新藤晴一というこの男、歌詞だけ読んでも多くのファンを脱帽させ、嫉妬させてきている。そんな彼が、この曲で、「あなた」に惹かれる主人公の哀しみや制御できないがゆえの覚悟を決めた恋を描いたら、一発で虜にさせる事は容易に想像がつきはしないか。

「僕らは今さら白い鳥じゃない
身を寄せ合う蝙蝠でいい
密やかに空をじゃれ合い泳ぐ
誰をも寄せ付けないままに 感じていたい」

なので、私が大好きなこの一節から、「密やかに空を泳ぐのは、お前の描写力やこの鬼才め…!」と思ったのでこう詠んでみた。しかし今思えば、「情景描写」でなく「心理描写」だったのではないかと壁に頭を打ち付けた。



2首目。

こうもりやコウモリでもない蝙蝠が これほど濡れる言葉にされた

蝙蝠そのものを思い浮かべて頂ければわかるだろうが、あれが逆さまで夜道の樹や軒下にぶら下がっていようものなら、悲鳴を上げる事すらできない恐怖の塊である。童話では「嘘つき」「裏切者」「卑怯者」など、実に不名誉な描かれ方をしている。その見た目も語感も、どこか暗く負のイメージしかない動物を、「こうもり」でも「コウモリ」でもなく「蝙蝠」として曲タイトルに当てると、それ以上のものを感じ取る事ができる。それはどこか甘美で、しかし苦味を伴いはしないだろうか。誰にも認められない愛を育む二人を二羽の蝙蝠に例え、彼らが降りしきる雨の中を身を寄せ合うように舞っていく曇天を思い浮かべたその時、「蝙蝠」という言葉が、雨と涙と欲で濡れた言葉にされないだろうか(※個人の解釈です)。

何度か聴いてその世界に慣れてきた頃、聴けば聴く程感じるようになり、その度シワにする程の力でシーツを握りしめてしまう。ここに「Bat」も入れたかったのだけど、字余りにも程があるしリズムも乱れるので諦めた。



3首目。

何を食べどう感じたら書ける世界 覗いていいかな晴一の世界

これは1首目でもはや説明してしまってもいるが、「アポロよりはスラスラ書けたサウダージ」を過ぎても、まだ隠し持っていたのか!と驚愕してしまったわけだ私は。読書家ではあるだろうが、とはいえ何を食べ何に対してどう感じたら書けるのか、機会があれば(あるのならの話)本人に聞いてみたい。「何を見て何を食べ、どんな枕を使って夢を見たらこんな詞が書けるんですか?」。願わくば一日のスケジュールも聞いてみたい。起床時間と就寝時間が特に気になる。

この「覗いていいかな」は蝙蝠の「触れてもいいかな?」をちょっともじっている。もじる?



4首目。

二人だけ 哀しき愛がなぜこうも 似合ってしまう瀬戸内バンド

「二人だけ」「哀しき愛」に雨降る曇天を感じさせ、「瀬戸内バンド」に朝陽を浴びて瀬戸内海の水面をキラキラと反射させて対比してみたつもりだ。近畿や四国地方にはのどかなイメージがあるし、ポルノグラフィティの二人に対しても実際とても温かな人柄を感じているのに、彼らにはどうにも仄暗さの漂う曲や悲嘆にくれる主人公や女性のいる曲が似合う気がしてならない。有体に言って「悲恋」が似合うバンドだな…と思った。

蝙蝠の歌詞にある「哀しい黒色」、それを見つめ、「一つも残さず受け止めてあげたい」と二人だけの正解がある世界に飛び去っていく彼らに、少しでも美しい景色を見せてあげたいと思ったのがもうひとつ。

だがこれ、彼らにとっては余計なお世話かもしれない。彼は、「あなた」に降りしきる細い雨を共に浴びて、「触れてもいいかな?」と「あなた」の内側に入っていったのだ。そして「あなた」はそれを許した。「黒ならば黒で愛そう」…そう、綺麗なものなど見せなくても、きっと彼らにはそれで十分なのだ……(※個人の解釈です)



5首目。

高校の国語の教科書載る日だけ 数えて数えて でも載らないで

新藤晴一の書く歌詞は、大抵「これ何で国語の教科書に載らないんだ」と思うものが多い。ここでは割愛するが、本当に多い。本人が「解釈は十人十色でいい」と委ねてくれてはいるものの、一見して難解なため「解」に近づけた暁には得も言われぬ快感を覚え、もっともっとと読みたくなってくるだろう。人によってはあるいは同時に嫉妬心も抱くかもしれないが、目標にするのはいいにしても到底辿り着けるものではないし、まして真似などするものではない。あなたにはあなたの世界がある。

そして、ポルノの曲がもし国語の題材として載るような日がきた暁には、天邪鬼にも「まだ載るな!いやずっと載るな!」と文科省に電凸するかもわからない。多くの人の目に触れてほしい詞であるのはもちろんだが、それはそれとして、一人噛みしめていたい矛盾も彼の詞にはあるのだ。という思いで詠んでみた。





ちなみに、

たまたまその時聴いていたWinding Roadを題材にしようと思い、実はそれですでに5首詠んでいた。その時は曲の主人公に寄せて詠んでいたのだけれど、しかし結局、短歌をどう詠むのが「正解」なのかわからず、近いイメージの曲に射抜かれた事を思い出し(思い出す時点で危うい)、急遽、蝙蝠に変えたという杜撰さなのだが、そもそも蝙蝠とWinding Roadはそれぞれ晴一詞と昭仁詞で色が違うではないか。これはこれで己の力量を測る事ができた。何事も経験である。

ポルノ曲といえば「人生何周目ですか?」と聞けるものなら本人に聞いてみたい歌詞を書く、新藤晴一というギタリストが手掛けている曲が多いのだ。これを「好き」の気持ちで以て短歌を詠むと?一体どうすれば詠めるのか。きみのほうが短歌を詠めるだろうと晴一に押し付けたくもなった。


とはいえ、詠んでみればその過程さえ楽しかった。「短歌」というイメージが持つ「雅さ」の固定観念を、自分で勝手に壁として作っていただけだったという気付きも楽しさのエッセンス。このファン企画、ぜひ多くのファンに広まってほしい。曲の詠み方も様々、そして横書きで書いてある「好きなポルノ曲のフレーズ」も様々だ。14人も書いてひとつも被らなかった事から、ポルノ曲の幅の広さとそれぞれの「好き」が堪能できる。vol.2と銘打っているのでvol.3も近いうちありそうだ。

タイトルは「ぼくらのテーマソング」。ネップリ期間は15日までとなっているが、ダウンロードもできるのでぜひに。


     





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