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コンドルは飛んでいく (歌詞和訳) 〜 「人生のポケット」初期に歌詞を訳した歌

この曲はサイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)の最後のアルバム「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water, 1970年)に収められたカヴァー(正確に言うと 3部構成の原曲の第1部のカヴァー)によって有名になったけれど、1960年生まれの私より一回り程度上のいわゆる団塊の世代から、私と同世代および少し若い世代にかけての年齢層では、おそらく多くの人が、サイモンとガーファンクルによるカヴァーと、南米(元々はペルーの曲)のフォルクローレのオリジナルの、その両方の存在について知っているのではないかと思う。

さらに若い世代になると、もうこの歌はそれほど有名ではないかもしれない。また、知っている人の間では、サイモンとガーファンクルによるカヴァーよりも、むしろアンデスのフォルクローレとしての原曲の方に馴染みがある場合の方が多いような気もする。

コンドルは飛んでいく (サイモンとガーファンクル) 〜 歌詞和訳, なぜかコンドルでなく白鳥の動画付き!

この歌の歌詞は、2002年7月27日に訳した。

以前、この note への投稿テキストの中で「人生のポケット」について書いたことがあって、それは別の言い方をすれば人生の中で不意に入ってしまい、なかなか脱けられなくった暗くて長いトンネルのようなもののことなのだが(そして「トンネル」に例えるならその出口が最後まで見えず、ある日気付いたら「出ていた」という類のものなのだが)、以前の幾つかの投稿テキストの中で書いたように、これは誰もが経験するようなものではないだろうけれども(つまり、単に落ち込んだ、気分が塞いだというような程度のものではないので)、私の場合はその期間がかなり長く、2002年の初夏にその「人生のポケット」に嵌り込み、脱け出たのは 2016年の 1月終わりか 2月初め頃のことだった。実に 13年半余り。「ああ、俺はいつの間にか出ていたんだな」と思ったその時、55歳になっていたから、私が「人生のポケット」に入ってそこから脱け出るまでには、それまでの人生の時間の 1/4 ほどという、極めて長い歳月にわたる時間を要したことになる。

自分は「人生のポケット」のようなものに嵌り込んでいるのだと、それをその言葉と共に意識したのはある切っ掛けがあった 2003年4月のことだけれども(それに関しては本投稿の後段の章でリンクを貼る過去の note 投稿に書いた)、しかし自分が「人生の中の何か」に嵌ってしまったのだという認識そのものは、既に前年、この歌の歌詞を訳してみたくなった時には持っていた。そして、その時期がその少し前から始まっていたことも分かっていた。ただ単に、その「人生の中の何か」をもっと違う、「気の利いた」言葉にしてみることに関心など向かなかったし、その気力も無かっただけのことだ。まぁ気力と言えば、2003年4月だって、特にあったとは言えないのだが。

YouTube 上にはサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」に関して幾つかのヴァージョンが上がっているけれども、ここは彼らの(カヴァーとしての)オリジナルのスタジオ録音ヴァージョン、1970年のアルバム「明日に架ける橋」に収録されたものの音源を使おうと思う。

以下、歌と、英語のオリジナル歌詞と、筆者による歌詞和訳。

El Condor Pasa (If I Could) ー From Simon & Garfunkel 1970 album "Bridge Over Troubled Water", featuring Los Incas

以下の *1 と *4 については、具体的には歌詞の後の注記に書いた通りで、当時の気持ちが入った意訳的なところ。*3 については、当時の訳としても、"street" は「道」でなく、単純に、本来の英語の意味である「街路」といった日本語にした方がよかったと思っている。ただ、今日時点でも、あえて変えないでおこうと思う。なお、この歌詞日本語訳は、当時、前年の夏に立ち上げた自分のホームページ上に掲載したもの(*5)。

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*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.2 加筆/削除/編集)。

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かたつむりになるよりは雀になるほうがいい
そうさ
もしなるのなら
僕はそのほうがいいよ

釘になるよりはハンマーになるほうがいい
そうさ
他になるものがないのなら
僕はそのほうがいいよ

遠くへ、そうだ、舟を漕いで遠くへ行きたいな
この辺りからいなくなってしまった白鳥のようにね (*1)
人は地面に縛りつけられて
これ以上ない悲しげな声で何かを語ろうとしている
たまらなく哀しい声で (*2)

道になるよりは森になるほうがいい (*3)
そうさ
もしなるのなら
僕はそのほうがいいよ

僕は足下に大地を感じていたいんだ
そうさ
他に何もできなくとも (*4)
僕はそうしていたいのさ

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注記

*1 原詞は "Like a swan that's here and gone" であって "Like a swan that was here and gone" ではないのだから、厳密に言うとこの部分の私の訳は誤訳と言えるのだろうと思う。ここは「人生の中の何か」に嵌り込んでいた当時の気持ちが入った結果、「この辺りからいなくなってしまった ... 」という日本語になってしまったのではないか。自分のことながら、後で振り返って、そう想像している。

例えばいま安直にネットで引いたりすると、

"here today and gone tomorrow", 今日はここにあるが明日は消え去る、来たかと思うとまた行ってしまう、絶えず動き回って、つかの間の、はかない、一時的な

といった別の英語表現の例が出ていたりして、"Like a swan that's here and gone" は、英語の本来の意味からすれば、「この辺りにいたかと思うと何処かに行ってしまう白鳥のようにね」とか、もっと単純に言えば、「渡り鳥の白鳥のようにね」、ということなのだろうなと思っている。


*2 "sound" だから、音を奏でると言ってもいいし、文脈からしたら、「声」でも構わない。ただ、"He gives the world", "Its saddest sound", "Its saddest sound" を、「これ以上ない悲しげな声で何かを語ろうとしている」「たまらなく哀しい声で」という表現にして訳したのは、やはり当時の「人生の中の何か」に嵌り込んでいた自分の気持ちの表われなんだろうと思う。

*3 "street" は日本語で言えば「通り」という感じになるが、「通りになる」というのは日本語の語感として違和感が残る。当時、「道」という言葉に置き換えているが、ここは単純に、英語の意味を踏まえて、和訳としては「街路」という言葉の方がよかったと思う。

*4 最後の節の "If I only could" は、当時、「他に何もできなくとも」という日本語にしているが、本来は、第2節の "If I only could" と同様、「他になるものがないのなら」とか「それしかないのなら」といった訳し方をすべきなんだろう。しかし、上に掲載した私の訳では、ここも、やはりいま振り返って、その頃の「人生の中の何か」に嵌り込んでいた時期、「人生のポケット」期の自分の気持ちが入ったんだろうなとしか思えないような、そんな言い方になっている。

*5 上の日本語訳は、当時(2002年7月27日)、自分のホームページに掲載した。近年全く更新していないホームページだが、今もネット上に置いている。

ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けする(威張ることじゃないけど、まぁ威張ってはいないけれど、いつもこれ書いてるんだけど、笑)。


歌詞を訳した日の日記

前章の和訳歌詞と同様、当時、自分のホームページ上に掲載した、歌詞を訳した日の自分の日記の転載。

2002年 7月27日(土)   コンドルは飛んでいく

サイモンとガーファンクルの、コンドルは飛んでいく・・・

もともと南米の民俗音楽だけど(ペルーだっけ、確かロス・インカスってグループが演ってたな)、ポール・サイモンがアレンジして歌詞をつけた曲で、「明日に架ける橋」の中に入っていた。小学校5、6年の頃だったように記憶しているけど、僕はこの曲を歌いながら、故郷を流れる川沿いの、木々に囲まれた、そしてもちろん舗装もされてなかった道を、たった一人で自転車で駆けるのが好きだった。

簡単な言葉で彩られた詩なのに(ホームページ上ではこの部分に、同じ日に日本語に訳した「コンドルは飛んでいく」の和訳歌詞掲載ページへのリンクを貼った)、何を言いたい歌なのか、その頃の自分にはずいぶん難しい歌詞だった。今だって、ポールが言おうとしたことは完全にはわからない。 ・・・だけど今は、何だか気持ちのレベルでは、少しはわかるような気がするな。

まっ、とにかく、今とこれからを向いて頑張ろう。どうやって頑張ろうかって悩ましいことだけど、まぁそれも、いつかわかる時が来るかもしれない。人生はまだ長いはず。どこかでぷつっと切れるその時まで、人生はとにかく続いていくのさ。

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ホームページ上では以下のリンク先。ただし、上に書いた通りで、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、スマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化けの可能性大(パソコンからだと大抵文字化けしないと思うが)。


付録 1: 「人生のポケット」についての過去の投稿

とりあえず、以下の 4点。

1)は「人生のポケット」を本題にして書いたもので、残りの 3点は内容的に関連するもの。

1)

2)

3) 上の 2つより少し前に投稿していたもの。

4) これは 1) 2) の後に投稿したもの。


付録 2: 付録 1 に「ちょっと」関連する投稿

1) 「人生のポケット」が意味するものの全てに繋がる内容のものではないけれど、少なくとも部分的には関係する。 

2) 13年半余りにわたる「人生のポケット」期を生き抜いてそこから脱け出たことに関して、感謝しなければいけない人がいるかというと、勿論いる。そもそも人間、一人だけで生きているものではないけれど。

誰に一番感謝するかと言えば、それは断然、自分の妻で、上の 1) のリンク先投稿のタイトル上の写真、その左側が妻で(結婚の前年, 1987年)、下のリンク先の投稿のタイトル上の写真も妻(2018年)、"Kathy's Song" は元々ポール・サイモンおよびサイモンとガーファンクルの歌で、この歌詞和訳は妻と関係があって。

というような、いろんな何たらかんたらで(笑)、この投稿も今日の投稿の付録。

いつからだったか、note 投稿の中で自分の和訳歌詞を掲載する際に「拙訳」という言葉は使わなくなったけれど、この時はまだ使っていた、兎にも角にも、Paul Simon 作詞作曲の "Kathy's Song" の歌詞を私が日本語に訳した、その歌詞和訳の紹介などなど、についての投稿。


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