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note 備忘録

2019年9月11日、自分の59歳の誕生日に始めた note に関わる、個人的体験についての備忘録。今日はこの他に 4つほど投稿しようと思っていることがあって、何となく慌ただしい。たぶん誤字もしくは脱字もしくは誤植まじりの投稿になると思う。と最初に雑文の言い訳。

自分用の備忘録なので、公開するほどのものでなく、この投稿に関して言えば、人に読んでもらう必要はない。よく調べたわけではないので不正確かもしれないが、note には Facebook のような投稿に際しての "Only me" 設定がないようなので(いいトシして勉強兼ねて Facebook は英語仕様で使っているので日本語だと何というのか知らない)(自分の場合は Facebook 上の投稿は全て Open 設定つまり全方位に公開する設定で投稿しているが、投稿の見栄えなどを確かめるための試験投稿用に "Only me" 設定を使う時がある)、ここではこのまま誰にも見えるかたちで投稿することにする。ただし、最初に書いたように、特に他人に読んでもらうためのものではない。

というわけで、自分用の「覚書」として記録を残したいだけのものではあるが、自分用としては便利なので、「note 備忘録」というタイトルのマガジンを新たに作り、中にこの同名タイトルの投稿を収録、今後、必要に応じてこの投稿を編集・更新していくことにしようと思う。面倒なので、正直、あまりやりたくない作業だけれど(笑)。

フォロワー欲しさの「スキ」「フォロー」をしてきて、しばらくしてから「フォロー」を解除する人

フォロワーを増やすための「スキ」と「フォロー」をしてきて、こちらがそれに反応するも、しばらくこちらが彼・彼女の投稿に「スキ」しないでいると「フォロー」を解除する、そういう人がいることが分かった。ただ、これは驚くには当たらない。Facebook や Twitter, Instagram などでも似たようなことはある。

筆者の場合は、ちょっと違う。Facebook で何度もした経験があるが、筆者のアカウントに Facebook Friend Request をしてきた人(のアカウント)と(その Request をこちらが「承認」して)Facebook friend になった後、その元々 Friend Request をこちらに送ってきた相手が筆者の投稿に Like (いいね) にしろ Love (超いいね) にしろ、投稿した事柄に関する Angry (ひどいね) にしろ何にしろ、殆ど、もしくは一切の反応をしないような人(のアカウント)は、単に切手収集家が切手を集めるが如く(しかも個々の切手の価値などに対しては無関心なまま所有する切手を増やすためだけが目的であるかのように) Facebook Friend の数を増やしたいだけの目的で Friend Request を他人に送りつけてくる人間と見做し、そのように判断できるなと思った時には、その相手のアカウントを Unfriend している。

「スキ」をして、間も無くその「スキ」を取り消す人

これは前項の例とは全く別の事例。前項の例とこの項に書くようにことが一部重なる人などもいる可能性があるが、現時点で自分が経験している範囲では、前項と本項は無関係。

1) 筆者が1983年8月15日に撮影した夕陽に染まるボスポラス海峡の写真があって、それをタイトル上に載せた投稿を、2020年8月15日にした。

この投稿に対し、投稿したその日に一度、一つだけ「スキ」が付いたのだが、その数時間後、その日のうちに、「スキ」を付けた人がそれを取り消していた。元々一つしかなかった「スキ」なので、直ぐに、つまり同日中に気づいた。理由は一つぐらいしか推測できなくて、まぁ何となく分かるような気はしているが、全て自由意思で行なわれているに違いなく、もちろんこれ自体は別に構わない。

2) 上記の人がおそらく上記の件とほぼ同時に、筆者の別の投稿(広島への原爆投下時の気象観測機パイロットだったクロード・イーザリーについての投稿, 本年8月7日付)への「スキ」も取り消していたことに、これもその日(2020年8月15日)のうちに気づいた。

この投稿に対する「スキ」の取り消しについては、理由は見当がつかない。1週間余たってからなぜその投稿に対する「スキ」取り消したのか、これに関しては全く分からない。まぁ無理矢理にでも想像すればいくらか頭に浮かぶんだろうが、そこまで頭を使うほどには興味が湧かない。ただ気づいたということだけ、備忘録として記しておこうと思う。

3) 上記の2つの「スキ」取り消しについて、昨日(2020年8月17日)の投稿で触れるところがあった。

上の2項目の「スキ」とその取り消しをした人が、この投稿に対して投稿3, 4時間の後に「スキ」をしてくれて、それはそれでもちろん構わないのだが、その後に起きたことについては、流石の転石 Rolling Stone の筆者も些か驚いた。その人は、再び、いや三度(三たび)の「スキ」取り消しをしたのだ。それも、おそらくは「スキ」をしてからほんの数分後のことではないかと思う。昨日の投稿にはその本題からしたら余談的に、ほんの2日前の別の2つの投稿への「スキ」取り消しに言及している箇所があるわけだが、「スキ」をしてから読んでいてその箇所に行き当たり、それでまた「スキ」を取り消したというわけだろうか。あるいは、その投稿の中に過去の投稿へのリンクが貼ってあって、それが自身が2日前に「スキ」取り消しをした投稿であることに気づいた時点で、昨日の投稿への「スキ」も取り消すことにしたのか。その程度の想像しか働かないが、これについても、それ以上に頭を使うほどには興味が湧かない。ただ、これら 3つの「スキ」取り消し、最初のものだけは多少「わかる」気もするが、全体としてはそこそこ程度に不思議な体験。

もちろん Facebook などでも Like をしたりそれを取り消したり、Friend Request を送ったり Unfriend したりといった、それらの Facebook 上の行為は全て各個人(各アカウント)の自由なのだから、基本的に構わない。Like (いいね) の取り消しとか「スキ」の取り消しというのは、ほんの少しは、そしてほんの数秒か長くて数分程度の間は不快に感じたりするものだが、それだけのことで、その後はどうでもよくなる。詰まるところ、こちらがどうこう文句言ったりするような類のことではなく、基本、自由だから。ただ、妙な感じがした経験ではあるので、備忘録として記しておこうと思って書いている。

コメントを削除した

これは他人ではなく、自分の話。それと、たまたまではあるが、前項に書いた筆者の複数の投稿への「スキ」を取り消した人の投稿に筆者がしていたコメント (1~4) と、それにリプライするかたちで、その人が筆者の投稿のコメント欄にしてくれていたコメント (5) とそれに対する筆者の返信コメント (6)。それらを昨日、削除した。

これは前項に書いたような経緯があってたまたま同じ日に重なったが、もともと気になっていた筆者自身のコメントを削除したという一言で言えるようなこと。

ただし、前項のことは切っ掛けにはなったと思う。というのは、筆者はその人の「自己紹介」的な投稿のコメント欄に一度コメントを入れて返信コメントをもらった後、さらに長い長い、要するに長過ぎて4つに分けたほどの長文コメント (1~4) を入れていて(中身自体は当然ながら相手に不快感を与えるようなものではないが、その長さに例えば相手が辟易したとしてもそれは全く不思議でない)、その人が、その長文コメントに応じるかたちで、筆者の投稿(今もそうだが、マイページ上でトップに固定しているイスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考批判、というタイトルの投稿)のコメント欄に「長文No1ありがとうございます!」「フォローしましたよ」「こちらこそよろしくお願いいたします」というコメント (5) を入れてくれ、その内容から、少なくとも字面上、筆者の先の長文コメントを特に不快に感じたという雰囲気はなかったが、兎に角そのコメントに筆者が返信するコメント (6) をしていたわけだけれども、

一文が長くなり過ぎたので改行(笑)、その人の上記の「自己紹介」投稿にはかなりの人がコメントを入れていたところ、しばらく前に筆者がその長文コメント入れて以降、その後に続くコメントが入っていないことが筆者としてはやや気がかりになっていて、あの長文コメントがあるとその後に誰かが新たなコメントを入れることを控えさせてしまうような面があるかもしれない、そう感じていたところがあり、そんな経緯があって、

たまたまその人が前項にあるような筆者の複数の投稿への「スキ」取り消しをしていることを受け、あ、そうだ、要はコメントを削除すればいいだけの話だろうと思った、ということ。

コメント (1~4) を削除すると、コメント (5) も行きがかり上、というか見映え上は不自然なものになり、それを削除するとコメント (6) も削除する選択しかなくなる。それと、コメント (5)(6) については、そのコメントの内容はそのコメント欄があった件の投稿 ー イスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考批判 ー の内容とは関係ないもので、そもそもその人もその投稿には「スキ」などしてなく、おそらく読んでいない、そういうわけで、何か宙に浮いた間のあるコメント (5)(6) だった。まぁ筆者がその前に長文コメント (1~4) をしていた経緯があってのことだったわけだけれども。

長いな、この項目。長過ぎ。兎にも角にも、今日の「note 備忘録」投稿はここまで。

イスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考批判の投稿はこれ。これはけっこう多くの人に読んでもらいたい内容の投稿。

今日の投稿の冒頭で「自分用の備忘録なので、公開するほどのものでなく、この投稿に関して言えば、人に読んでもらう必要はない」なんて書いておきながらナンだけど、まぁ仮に誰かが読んでいたらと考えて、いや、これも自分用の「備忘録」なのかな、とりあえず、ユヴァル・ノア・ハラリの論考を批判した投稿、リンクを下に貼っておく。




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