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パラノかスキゾか? 〜 パラノイア・ブルーズ (歌詞和訳) 〜 ポールサイモン Paul Simon "Paranoia Blues"

偏執病ブルーズっていうタイトルにしたのさ、17年前にこの歌の歌詞を訳した時には。多分それは当時の自分が Paranoia と Schizophrenia が少しずつ入り混じったような精神状態にあると思ったりしていたから。まぁ実際にはそのいずれでもなくて、精神病理学上は別の概念で説明されるような状態にあったことを知ってはいたのだけれど。それと、もう一つ、単にこの歌のいわゆる邦題がそのまんまカタカナで「パラノイア・ブルース」となっていて、それとはとにかく別の表記にしたかった、というような単純な動機もあったと思う。

知ったかぶりのドゥルーズ、ガタリ(筆者のことだよ)、懐かしの浅田彰はいま何処(京都です)

今日はその妙な拘り、ところでこの「拘る」ってのは、つまり「拘泥する」ってのは、多少ともパラノイアに通ずるものがある行為だな、と瞬間脱線して(「脱線する」という行為はスキゾフレニア、というよりジル・ドゥルーズやフェリックス・ガタリ、そして懐かしの「逃走論」いま何してるんだろの浅田彰が日本でも流行らせたスキゾに通ずる、と知ったかぶり、でも「逃走論」は読んだよ、だけど内容は殆ど忘れたなぁ)、脱線やめて話を戻すと、今日はその妙な拘りは止めて、そもそも 4年半余り前から 17年前とは全然違う精神状態になっているわけだし、今日投稿するのは「偏執病ブルーズ」じゃなくて、「パラノイア・ブルーズ」、それはつまり、Paul Simon の 1972年リリースの歌 "Paranoia Blues" の、筆者による歌詞和訳。

ブルーズなのか、ブルースなのか、ちょっとパラノる(造語!)

でも邦題は細かいこと言うと「パラノイア・ブルース」。スに濁点はない。で、これはもう、筆者にとってはちょっと癖になっている程度の濁点あり、より英語の発音に近い「ブルーズ」ということにしておく。よって、ここでは、「パラノイア・ブルーズ」。

本当のところはこれってどうなんだろ、という感覚を持っているところではあるんだけど。というのは、筆者が Blues を「ブルース」でなくて「ブルーズ」と表記するようになったのはピーター・バラカン氏の影響によるところが大きいんだけど、で、たまたま 2009年の Simon & Garfunkel 東京ドーム公演の時にバラカン夫妻と席が近くてちょっと声掛けさせてもらって話してサインまでもらって、それに彼の番組 ‎Barakan Beat で何回かリクエスト曲かけてもらったこともある(ちょっとパラノな修飾の長さ)バラカン氏の音楽の嗜好とかは好きだし、考え方も共感するところが多いんだけど、その英語由来の言葉のカタカナ表記上の拘り(これは実際にはパラノ的なのか分からないけれど、一例を挙げれば Duane Allman は日本での一般的な表記は「デュアン・オールマン」だけどバラカン氏のそれは「ドゥエイン・オールマン」、そういや筆者のそれはいつの間にか「デュエイン・オールマン」になってた、これじゃ一般ともバラカン氏とも違っていてこれはちょっと期せずしてスキゾだったなぁ、段々深みに嵌る言葉遊び)みたいなところには、疑問を感じたりする時もあって、筆者の考えは実のところ、いまだ固まっていない。

これまで色んなところで書く時、表記する時に、「ブルーズ」としてきたから、今日もそうしているだけのことで(この表記にしてからもう15年以上は経ってしまったかもしれないけれど)。

というのは、例えば人の名前で言えば、古い話を持ち出すと、ゴルフの青木がアメリカ合州国で活躍した頃、アメリカのテレビは彼のことを「エイオキ」と呼んでいたし、いまテニスの世界で活躍する大坂なおみは「ネイオミ・オサカ」と呼ばれてしまっていて、決して「オオサカ・ナオミ」ではないし、「ナオミ・オオサカ」でもない。つまり、固有名詞とか名詞とか、そのままいわゆる「外来語」的に外国語の中に入ってしまった場合、どうしたって、元の母語における発音のままでは呼んでもらえないし、読んでもらえないことが、そんなことが、かな〜り多いのが、世界の様々な言語上の実態なのだ。日本語の中の外国由来の言葉もそうだけれど、外国語の中の日本語由来の言葉もそう。それって、お互い様ブラザーズ・アンド・シスターズなんだから。

無駄な言葉 "Wasted Words"

Wasted Words ー From "Brothers and Sisters", the fourth studio album by The Allman Brothers Band, released in August 1973, recorded during October & December 1972 after Duane Allman (November 20, 1946 – October 29, 1971) died.

放浪性の男、つまりスキゾ・キッズ的な男(マジかよ)

Ramblin' Man ー From "Brothers and Sisters", the fourth studio album by The Allman Brothers Band, released in August 1973, recorded during October & December 1972 after Duane Allman (November 20, 1946 – October 29, 1971) died.

パラノやスキゾの話はこの辺で。と思ったら、そうは問屋が卸さない、ってどんな問屋だ、哲学問屋? 音楽問屋? いやチンドン屋、じゃなくて珍問屋。

スキゾフレニア・ブルーズ、じゃなくて 21世紀のスキッツォイド・マン

スキゾフレニア・ブルーズというタイトルの曲は存在しない(と思う!)が、邦題「21世紀のスキッツォイド・マン」ならある。

この曲は昔は「21世紀の精神異常者」という邦題だったのだけれど、レコ倫のお達しのもと、だいぶ前に表記が変わった。このことをどう考えるかというとまたまた話が脱線していって、どんどん本題から逃げろや逃げろのスキゾ・キッズになってしまうので、ここでは止めておく。

21st Century Schizoid Man ー From "In the Court of the Crimson King" (subtitled "An Observation by King Crimson"), the debut studio album by King Crimson, recorded during June & August 1969, released in October 1969

因みに Schizophrenia はオンラインの英語辞書とかで引くと、発音のカナ表記は「スキツォフリーニア」になっていたりして、"21st Century Schizoid Man" の "Schizoid" も発音に近いのは「スキッツォイド」なんだろう。いや、いま調べてみたら、米語では「スキトゥソイドゥ」とか「スキゾイドゥ」、英語では「スキトゥソイドゥ」なんて書かれてたりするぞ。面倒くさいねぇ。

兎にも角にもウサギにもツノにも、とにかく、Schizoid は Schizophrenia の形容詞形。Schizophrenia というのは、語源的には schizo が「分離した」で phrenia が「精神」、というわけで Schizophrenia は日本では昔は「精神分裂病」という呼ばれ方だったんだけれども、今世紀に入ってから(2002年6月30日らしい)日本精神神経学会が「精神分裂病」では差別や偏見を招きやすいからとして、「統合失調症」という呼び名に改めた。しかしですね、「統合」が「失調」ですぞ、これだって、言い出したら「差別や偏見を招きやすい」という気もしないではない。

そもそも人間の精神というのは何が正常で、何が正常でないのか、どうなると異常と見做されるのか、正常とされているような人々は本当に正常なのか、それってけっこう奥が深い話ではあるのだ、と拙者は思っているのだ。

クロード・イーザリーは実際のところ異常ではなかった、異常だったのは当時のアメリカの社会における、彼を「精神病院」に閉じ込めた側の方なのではないか。

話がどんどんスキゾしていくけれど、そろそろ本題の「パラノイア・ブルーズ」歌詞和訳にしなければ、この投稿、終わらないじゃんかよ。

読んで字の如し。

Paranoia Blues (歌詞和訳)

というわけで、本題に入ります。

stick to you, stick you ... to があるか無いかでだいぶ危険度が変わるけれど、"Paranoia Blues" では両方使われてる。

*いや、この歌詞の stick to, stick, 共に「突き刺す」って意味だろうか。いま気になって念のため調べると、stick には口語的な使い方で「だます」という意味になる場合があるにはあるけれど(通例は受け身の使用)、しかしそれは他動詞で、当然ながら to は付かない。stick は自動詞でも他動詞でも「(突き)刺す」という意味をもって使われる場合があるので、この歌詞の中の stick to と stick は同じ意味で使われているのかもしれない。

あるいは、"They’ll smile right to my face. But, when my back is turned, they’d like to stick to me. Yes, they would" の文脈では、「ついてくる」「尾行してくる」「(だまそうとして)尾行してくる」みたいなニュアンスもあるんだろうか。.. しかし、やはり、「刺そうとする」の方が訳としていい、もっと言えば、正しいのかな。

一方の "And they stick you for the extra dime" は、「もう10セントのためなら(君を)刺し殺しもするんです」(まぁ「殺し」までは入れなくてもいいけど)でいいと思うけれど。

外国語の歌詞を解するのって、やっぱ面倒くさいと言えば面倒くさい。

なんで人類、言語バラバラなのかって、それは Bible にも書いてあった。しかし拙者はナンクリ、いやナンクリじゃなくて、なんクリは「なんとなく、クリスタル」、拙者はナンクリじゃなくてノンクリ、NON Christian, そもそも無神論者なのであった。

Paranoia Blues ー From "Paul Simon", the second solo studio album, self-titled album by Paul Simon, recorded during January & March 1971, released in January 1972

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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僕にもいわゆる友達ってのは何人かいるんです
彼らは面と向き合えば僕に笑いかけてきます
だけど僕が背中を見せたものなら
平気で僕をだまそう(刺そう *上にメモ)とする奴らなんです
そうさ、そういう奴らなんです
オーノーノー、オーノーノー
僕が知りたいのはたった一つだけ
君はどっちの味方なの?

ジョン・F・ケネディ空港に着くと
僕の心臓はバクバクし始めます
何故って僕はわかってるからです
あの税関の男、奴は僕を
あそこの小さな部屋に連れて行くんです
オーノーノー、オーノーノー
僕が知りたいのはたった一つだけ
君はどっちの味方なの?
君は誰の味方なの?

僕はパラノイア・ブルーズ, 偏執病ブルーズに取り付かれてしまいました
ニューヨーク・シティーをうろついている間にです
ここでは人は5セント貨のために君を殴り飛ばすし
もう10セントのためなら刺し殺しもするんです

とにかく君がどうやったって
ニューヨーク・シティーでは失うことばかり
オー、僕はきわどいところで逃げ出したんです
そう、でなけりゃ危ないところでした

前にチャイナ・タウンに行った時なんて
僕はリンさんのチャーハンを食べてたんだけど
たまたまちょっと目を離して
さぁまた食べようと思ったらびっくり
僕のチャーハンはもう消えていたんです
オーノーノー、オーノーノー
僕が知りたいのはたった一つだけ
君はどっちの味方なの? 誰の味方なの?

僕が知りたいのはたった一つだけなんです
誰の味方? 誰の味方? 誰の味方?

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この歌の歌詞は、2003年 7月13日に訳した。 

ネット上では以下のリンク先(本投稿の遥か上の方の冒頭で書いたように、訳した当時は「偏執病ブルーズ」というタイトルにしていた)。

自前のホームページ上。ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化け。

訳した日の日記(同上)。自分はスキゾフレニクではなかったけれど、「スキゾフレニク、パラノイアを語る」というお題で書いた日記。

ちょっと関連する日記。"schizophrenia" というお題。

18年半ほど前、2002年3月23日に、収録アルバム "Paul Simon" のレビューもどきを書いていた。さらっとした、短いものだけど。

当時そこでは、「ポール・サイモンが、S&G .. 解散後に発表した記念すべきソロ第一作(1972年)。これ以前に、S&G の初期にポールがイギリスで発表した THE PAUL SIMON SONG BOOK というタイトルのソロ・アルバムがあるが、そちらは当時ポール自身によって短期間のうちに回収されており ... デュオ解散後に制作された本作を事実上のソロ第一作とみることに大方の異論はないだろう」なんて書いたのだが、まぁこういう言い方をしてもいいとは思うけれども、ポール・サイモンが名実ともにソロ・アーティストとなってからの第一作は 1972年の "Paul Simon" なんだけど、厳密にソロアルバムの定義を踏まえれば、ポール・サイモンの最初のソロアルバムは、1965年にリリースされた "The Paul Simon Songbook" の方で、"Paul Simon" は 2枚目のソロアルバム。

ネット上ではここ。自前のホームページ上。ただし、上にも書いたけれど、パラノに(めっちゃ広義に「パラノ」を使ってる)繰り返して書くと、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化け。

Paranoia Blues のアンサー・ソングのような Have a Good Time

"PARANOIA strikes deep in the heartland. But I think it’s all overdone. Exaggerating this, exaggerating that. They don’t have no fun. I don’t believe what I read in the papers. They’re just out to capture my dime. I ain’t worrying and I ain’t scurrying. I’m having a good time." .. in the third verse of "Have a Good Time"  ... In some metaphysical sense, なんて昔、筆者は自分の Facebook 上の投稿に書いたのだけれど、「形而上学的な意味において」なんてカタイこと言いたかったのか、「かな〜り抽象的な意味において」ぐらいの意味でそう書いていたのか、とにかく英語が全然完璧じゃない自分は何を言いたかったのか今や謎なんだけれど(いま改めて考えるのが面倒くさいだけ、笑)、とにかく、そんな意味合いで、"Have a Good Time" は "PARANOIA Blues" に対する Paul Simon 自身による "Answer" ではないか、と筆者は書いていた。

Have a Good Time ー From "Still Crazy After All These Years", the fourth solo studio album by Paul Simon, recorded in 1975, released in October 1975

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載に改めました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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Yesterday, it was my birthday
I hung one more year on the line
I should be depressed
My life’s a mess
But I’m having a good time

...

Paranoia strikes deep in the heartland
But I think it’s all overdone
Exaggerating this, exaggerating that
They don’t have no fun..

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16年ほど前、2004年10月11日に、収録アルバム "Still Crazy After All These Years" のレビューもどきを書いていた。

ネット上ではここ。自前のホームページ上。ただし、上にも書いたけれど、パラノに(めっちゃ広義に「パラノ」を使ってる、とまたまたパラノる、これは今日始めた造語)繰り返して書くと、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化け。

Paul Simon "Run That Body Down" (歌詞和訳) と、パラノなリンク集 (Paul Simon 歌詞和訳の投稿など)


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