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人生のポケットから出る方法はどこかにある

幸いにして(幸いにして空は青く澄んでた、嘘のように *3)自分は既に「人生のポケット」から出ている。そして、2度とあの「ポケット」に嵌まり込むことはないだろうと断言できる。まぁ起きていない先のことについて断言するのは本当は誰にも出来ないんだろうが、主観で言うなら断言していいだろうと。

タイトルの上に載せた写真は、2016年7月に撮った写真。家から歩いて10分程度のところで咲いていた向日葵。日が落ちてから散歩に出たら、暗がりで綺麗に咲いている向日葵を見つけたので、思わず撮りたくなって、手持ちのスマホで撮影した。向日葵といえば普通は黄色い花を思い浮かべるが、そこには黄色い向日葵だけでなく、赤い向日葵も一緒に咲いていた。

自分は来月 911 には還暦を迎えるイイ歳をしたオヤジなのだが、過去、不惑のはずの40歳を過ぎてから惑い、その後、13年半という長い年月にわたって、人生の中の「暗くて長い」トンネルに入っていた(今これって「黒の舟唄」の歌詞にあったような気がすると思ったのだが、早速調べてみたら、あれは「深くて暗い」だった、まぁ勿論あっちはトンネルじゃなくて川なんだが、しかしのっけから脱線かよ、これはしかし癖なのだ)。

暗くて長いトンネル、それをここでは「人生のポケット」という。ポケットなんだから、中に入れば暗いだろうが、長いというのは妙だな。しかし、自分の場合は長かった。「人生のポケット」に嵌まり込んだことがある、しかしそこから出ることができた、そういう人は当然ながら、世を見渡せば自分以外にそこそこの人数いるんだろうと思う。ポケットが浅くて、わりと早く出られた人もいるだろうし、そういう場合は、そう長くはなかったが、しかし暗いトンネルではあった、そのトンネルを脱出することができた、そういう言い方も出来るのかもしれない。

自分の場合は、とにかく長かった。暗くて長いトンネルだった。そして、入っている時は、出口は全く見えなかった。脱出する直前まで、いや、脱出するその時まで、出口は見えなかった。

ある日、気づいたら、出ていたのだ。兎にも角にも、自分の場合は、暗くて長かった。「人生のポケット」は、思い切り深かった。

人生のポケットから出る方法はどこかにある

このことを note に投稿することは、一昨日まで全く考えていなかった。昨日、5本ものテキスト(「もの」というのはまぁ文字通り単に数として多いだろうから)を投稿したんだが、実際の投稿順は逆にしたけれども、4本目の投稿(*1)を考えた時、ふと詩人ケンの「詩」を思い出して、3本目の投稿(*2)を思いついた。で、その時、明日、つまり今日、「人生のポケット」についての投稿をしようと思った。

先に、13年半にわたって、暗くて長いトンネル、「人生のポケット」の中にいた、と書いた。嵌まり込んだその当時はそれが「人生のポケット」であるなどと考える「余裕」のようなものはなかったが、しばらく経ってから、自分はおそらく 2002年の5,6月頃、遅くても7月頃から、「人生のポケット」というやつに嵌まり込んでいたんだろうなと思うようになった。

そこから出たのはいつだったか、4年半ほど前のメモ類など見つけ出せば分かるかもしれないが、今は正確な日付までは分からない。ただ、2016年の 1月末から 2月初め頃だったのは確か。そのくらいのおおよその時期はよく憶えている。要するに、2016年に入って 1ヶ月経ったか経たないか、というぐらいの時期だった。

どうやら「人生のポケット」から出られそうだ、などと思ったことは一度もなかった。そうではなくて、気づいたら、出ていた。つまり、出た後で、あ、俺はどうやらあのポケットから出たようだなと気付いた。で、1日か2,3日後だったか、間違いなく出ているという確信に変わった。そんなもんだった、「人生のポケット」は。

以下は、17年前の日記。2001年夏に HTML 独学して立ち上げた自前のホームページに掲載していた(今もしている)やつで、いつでも引っ張り出せる。こうやって何か別のメディアに自分で転載するようなことでもしない限り、自身ではなかなかあらためて見る時もないけれども。

2003年 4月12日(土)   人生のポケットから出る方法はどこかにある

最近、名前なら大抵の日本人が知っている日本の俳優と香港の俳優が自殺した。古尾谷雅人とレスリー・チャン。二人ともファンというのでは全くないが、名前なら知っている。古尾谷雅人なら、たぶん何かのテレビ・ドラマで何回か観ているに違いない。レスリー・チャンは、やはりテレビで顔くらいなら観ているだろう。二人とも40代半ば。自殺の理由は知らない。ファンではないし、理由に関心はない。ただ、何となく、自殺なんて嫌な話だなと思った。そう言ったら、ほとんど誰もが似たようなことを言うのだろうけど。

二人の自殺に関して、劇団主宰の人が、何日か後の新聞のコラムにこんなことを書いていた。その人のことは知らない。だけど、この人の感想は気になった。曰く、

「気がついたら人生のポケットに入りこんで出られなくなった。そんな怖さを彼らの死に感じた。」

ポケットに入ってしまってそこから出たいと思い、しかし出られない。出られなくて苦しい。少なくともそこまでなら、何だか自分のことを言われているような気がしてくる。「人生のポケットに入りこんで」「出られなく」・・・何だかわかり過ぎるよ、この表現は。わからなければ幸いです。別にわかる必要なない。いや、ある種類の人々は、どうやらそういうものがあるらしいってことは意識していた方がいいかもしれないけれど。人のこと気にしている余裕はないか。

人生のポケットから出る方法はあるか? その回答はない。具体的な正解はない。はっきりしているのは、ポケットから出なければならないということだ。あるいはポケットだと思わないこと? 思わなければ話は簡単。思わなくなった瞬間、それはポケットではなくなる。そんなことが簡単に出来れば悩みはないね。

件のコラムはこう締め括っている。「一度、人生の物差しを取り換える作業が必要かもしれない。」

締め括り以外はよくわかるコラムだったが、最後の言葉は自分にはあまり届かない言葉だ。言いたいことはわかるし、この言葉が届くような状況にある人、あるいは心の隙間にピタッとはまる人はいるだろう。そう思った。しかし、今現在の自分自身にはしっくりこない。もっと前の自分には必要だったし、意味があったかもしれない。物差しを取り換えるっていうよりも、物差しを少しずらして気持ちを楽にしてみるってことならね。それが以前に出来ればどれだけ良かったかと思うけれども、でも今の自分には、そんな作業は効き目がないように思う。

以前から入りかかっていたんだろうが、その先がポケットの中かもしれないということを十分に意識できないままやり過ごし、結局ポケットにはまり込んだ。自分自身の有り様と人との関係がややこしくなり、どうにも息苦しい。おそらくは物理的に脱出しなければ解決しないんじゃないかと思うのだが、物理的な脱出なら既に1度経験済みのところに抜け抜けと舞い戻ってしまったんだから、全てがねじれ過ぎてしまっていてどうにもならない。このままでいながらポケットから出られると思えるほどの物差しの交換でもしたら、万一そんなことが可能なら、その時は自分は自分でなくなっているってことだと思う。要するに、そういう方法は、今現在の自分にはいいアイディアだとは思わないんだな。

人生のポケットから出る方法はあるか? 正解もその手掛かりも持たない時は、とにかく「方法はある」と思っていることでしょう。ポケットから出る方法は必ずどこかにある。あるいは、いつか必ず、自分はポケットから出ている。気がついたらポケットから出ていた。何でもいい。とにかく、いつか出ている。なぜなら、方法は必ずあるからだ。まるで「念仏」か。いや、それが必要な時もあるのです。いつまで言い続けているんだ、こんなこと。わかりませんな。必要なうちは、言い続けます。必要がなくなったら言いません。来年の今頃も言っているかもしれません。言ってないかもしれません。とにかく、メシを食い、愛する者を気にかけ、愛し、勉強し(何を何のために?)、ものを考え、眠り、眼を覚まし、メシを食い、そうやって生き続けることです。そう言い続けながら、生き続けることです。死んで花実が咲くものか。そう言うじゃん、昔っから。 

人生のポケットから出る方法はどこかにある(2)

これは上に転載した日記を書いた日の翌日の日記。最初のやつに比べて、大したことは書いていない(笑)。いや、そう思ったが、読んでみると、自分なりに「中したこと」は書いている。前日の日記もそんなもんだ。

2003年 4月13日(日)   人生のポケットから出る方法はどこかにある(2)

昨日、人生のポケットのことを書いた。
そういう言い方をするなら、自分はまさしく出られないポケットに入ってしまったと意識したりもしている。・・・とこの後もいろいろ書いてみたけれども、あんまり生々し過ぎて世界に公開する(笑、どんな顔して笑ってるのかね)のは辛いのでやっぱり消します。まぁいつものは、これでも生々しくないんです。全部書いたら発狂するからね(笑、同上、再笑)。一言言えるのは、自分は消えはしないってこと。消えてしまいたいような気分はあるけれども、たぶん、消えられないし消えたくないからこその苦痛だと思う。

極端に辛く苦しいだろうとは簡単に想像できたし、考え抜いて覚悟もしたつもりだったけれども、出られない人生のポケットだと感じることの怖さは、正確に認識して予測することなど出来ていなかった。ただ、「出られないポケット」みたいなものという意味では、ある程度は予測していたとも言える。というのは、間違いなく苦しいことになるということ自体は容易に予想できたけれども、しかし一方で、それでもそうしようと想う過程で、その過程の後にはもう動きようがなくなって、そのことで否が応でも落ち着かざるを得なくなる、したがって、結局は、土日にまで引きずって「生き方」をもやもやと苦しむこともなくなるのではないか、そう考えた事実があるからだ。もちろん苦し紛れにそう考えていることは承知していた。ただ、そういう可能性にすがろうとしたことは確かだろう。馬鹿な話だ。全く馬鹿な話だ(この括弧内だけ加筆:今なら「馬鹿」という漢字は使わない。「莫迦」と書く)。「動きようがなくなって」ということから始まる考えには、そこで動きようがなくなることの、自分にとっての底なしの苦しさへの正確な想像力が働いていなかった。その先の方向を都合よく、何とか、かろうじてでも正当化しようとしていたのかもしれない。「動きようがなくなって」とは、まさにポケットに入りこんだ状態なのだ。承知の上で意思を固めたはずだったし、覚悟をした上でのことだったはずなのだけれども、ただ、そこが人生のポケットであること、その怖さを、正確に予測できてなどいなかった。人生のポケットから出られないことを意識する苦しさを覚悟していたのではなかった。死ぬほど悩みぬいたつもりだったが、それもそう思い込んだだけだったのかもしれない。頭が割れるほどに考え抜いたと思ったが、実は決定的に認識不足だった。逃れれば逃れるほど気がつけばさらに苦しいところに入りこみ、その繰り返しで辿り着いたところが人生のポケットだったというわけだ。いつも納得させようとしてきた。自覚的には逃げているというつもりはなかった。しかし距離を措けば、時間を措けば、違う自分の姿がはっきり見えてくる。どう考えても情けない話だ。

しかし、ポケットから出る方法はある。どこかにある。これは出られないポケットではないのだ。方法はきっとある。いつかポケットから出ている。いつの日か、今はわからない。しかし、いつの日か、必ずポケットにいない自分を発見するだろう。同じことを何ヶ月も、ヘタしたら1年も2年も言っていても意味がないんだが、しかし言っていないと自分を保てないのなら、やっぱり言い続けるしかない。言い続けながら、生き続けるしかない。生きないよりはマシだ。そのうちマシな生き方になるかもしれないよ。手掛かりを感じてればもう喋りませんよ。そうでなければ、生きるために喋ります。

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ネット上ではここ。自前のホームページ上。ただし、2001年夏に本を買って HTML 独学して 1週間ほどで立ち上げた、ホームページ作成用簡易ソフト不使用のウェブサイトで、以降一切、仕様を変えておらず、現在、とりわけスマホなどから閲覧しようとすると OS のヴァージョン次第では文字化け。

*1 だいぶ上の方で触れた、昨日の4本目の投稿はこれ。

*2 だいぶ上の方で触れた、昨日の3本目の投稿はこれ。

*3 幸いにして空は青く澄んでた、この直ぐ上にリンクを貼った、昨日の3本目の投稿のタイトル上の写真のように。

幸いにして空は青く澄んでた、嘘のように

今日の投稿、まずは、自分がもう4年半ほど前に「人生のポケット」から出ている、という事実を書くことから始めようと考え、テキストの出だしとして、「幸いにして」という副詞句を思いついた。その時、それと同時に、なぜか自分の頭の中で音楽が鳴り出した。文字通り、なぜか。つまり、何故か分からない。深く考えれば分かるかもしれないが、只管考えることが好きな自分も、まぁこれは考えなくていいと思う。

いや、「音楽が鳴り出した」と書いたが、正確に言うと、その時点では特定の曲までは浮かんでいなかった。だた、仲井戸麗市の1993年リリースのアルバム "DADA" に収録されている曲の歌詞の中に、「幸いにして」というフレーズが印象的に使われている歌詞があったはずだと思った。

で、最初は、「さまざまな自由」だったかなと思ったのだが、自分はあのアルバムを当時買って今も持っているし、ネット上には彼の歌の歌詞サイトがあるし、調べてみたら、その歌は「さまざまな自由」ではなくて、「向日葵 10.9」だった。

で、今日の投稿のタイトル上に、4年前の夏の日に、夕刻の暗がりで撮った向日葵の写真を載せようと思った。あの日、3枚、向日葵の写真を撮った。

向日葵3

向日葵2

向日葵1

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞・全編を削除し, 歌詞の一部のみの掲載に改めました。歌詞・全編に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

向日葵 10.9

向日葵の舟に揺られて 一足お先に
次の夏に居るお前 ちょっと覗きに行った

.....

向日葵の舟に乗せて お前を連れて戻った
前の夏に歩いた 確かな時間に

あいにくとそこは とっくに秋だったけど
幸いにして空は青く澄んでた 嘘のように

画像4

Summertime blues
Summertime blues

向日葵の舟に乗って 一足お先に
次の夏の景色を ちょっと覗いた夜さ ..

さまざまな自由

上に書いたように、「幸いにして」というフレーズが使われている仲井戸麗市の曲は、最初、「さまざまな自由」だったかなと思った。どうしてそう思ったのかというと、たぶん、理由はない。文字通り、何となく。

でもとりあえず、あれも好きな歌なので、まぁ今日の投稿では特に他の人との間で角が立つようなことは何も書いていないと思うが、だから角を折る必要もないとは思うが(何言ってるんだ?)、折角だから、「さまざまな自由」も、ここに歌詞と共に載せておきたい。

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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