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Lyrics 歌詞の翻訳

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好きな海外の歌(英語の歌が中心、というか他の言語は翻訳無理)と歌詞の日本語訳を投稿します。別のテーマを取り上げた投稿であっても、歌詞の翻訳を掲載した投稿は、このマガジンにも収録し… もっと読む
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#パレスチナ

海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳]

前説写真は 1983年6月1日、「分断国家」ドイツ、「ベルリンの壁」があった時代で西ベルリンは陸の孤島化、その当時「東ドイツ」(ドイツ民主共和国, 「民主」というのは殆どギャグだけど)領「東ベルリン」側にあったブランデンブルク門の前で記念写真に収まった筆者、911の誕生日を迎える前、22歳(*1)。 ほんとは放浪「もどき」だから(*2)、タイトルでは「放浪」と鉤括弧を付けた。帰国したのは 1984年2月1日だけど(韓国・釜山港からフェリーに乗って下関に来て「母国」日本に入国

ホワイトハウスさんよ, おまえら全くの茶番だぜ 〜 Hey you, WHITE HOUSE, haha, CHARADE you are!!

替え歌 〜 ピンク・フロイド "Pigs (Three Different Ones)" 歌詞中の "Mary Whitehouse" を "White House", つまり 「ホワイトハウス」 に替えてあの歌, 元々は, 1番の歌詞は 資本家・ブルジョア階級もしくは皮肉の対象としてのビジネスマン全般を揶揄していて, 2番の歌詞は マーガレット・サッチャー, 3番の歌詞は 当時 イギリス で ウルトラ原理主義 の キリスト教的価値観 を武器に「活躍」していた 超保守の活動

クリスマス は キャンセル 〜 悪の枢軸(アメリカ, イギリス, イスラエル)の蛮行があまりに酷いので

ドイツ も入れたかったんだけど, タイトルにある「悪の枢軸」。なんたってあの国は今や, Never Again は実はユダヤ人, いやシオニストのユダヤ人に対してだけのことだったんです, 他の人達がどんどけ虐殺されたって構いません, 特にシオニストのユダヤ人が加害者だった場合は加害者側を徹頭徹尾 支持・支援しますという, 恥知らずの国に成り下がったので(まぁ実は最初からそうだったのかもしれない)。 前説 〜 「悪の枢軸」 御三家「悪の枢軸」御三家 と言えば, そりゃもう,

ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 歌詞和訳 〜 教皇 フランシスコ に 「テロリスト」認定された アパルトヘイト国家, アパルトヘイト社会, 「イスラエル」に捧ぐ

前説note ウィッシュボーン・アッシュ "The King Will Come" 〜 ローマ教皇 フランシスコ による イスラエル 「テロリスト」認定に寄せて さて, さて。 「西洋」を代表する宗教の 老舗 の トップによる 正論の裏で 〜 「西洋」の 相変わらずの 似非「自由」, 似非「民主主義」の 欺瞞 と 偽善まさしく, 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード に満ち満ちた「西洋」, 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード に満ち満ちた「西側」。 「よしログ

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

エルサレム旧市街にて 〜 1983年10月14日, 4月26日に日本を発ってから172日目

1983年4月26日に日本を発って 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り 1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後(そこまでの旅については以下 note *1 第3章にソ連・ヨーロッパ諸国旅リンク関連, 第2章にトルコ・シリア・ヨルダンそれぞれの旅 note リンク), 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵

ハイファ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)に戻って 〜 1983年10月5日

1. 「48イスラエル」, 「47イギリス委任統治領パレスチナ」 イスラエル国(1948年, 従前 約30年間「イギリス委任統治領パレスチナ」だったその域内に「建国」)の領内なのでその意味では単純に「イスラエル」と書いてもいいのだが, 1967年6月のイスラエルによる軍事侵攻以降 同年11月の国連安保理決議242号をはじめとする複数の安保理決議に逆らって既にこれまで半世紀以上の長きにわたりイスラエルが占領している土地(東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区, しかもイスラエルは

ナザレ(48イスラエル, 47イギリス委任統治領パレスチナ)への旅 〜 1983年10月5日

「48イスラエル」(ひいては「47イギリス委任統治領パレスチナ」)についての注釈は, 前回 note(本 note 第1章リンク *6)の冒頭に書いた通り。 1983年4月26日に日本を発って, 9月28日からパレスチナ/イスラエル 〜 ここまでの振り返り1983年4月26日に日本を発ってソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ・シリア・ヨルダンを旅した後, 同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の

ベツレヘム(パレスチナ) 〜 1983年9月30日

1983年4月26日に日本を発って 156日目, パレスチナ/イスラエルの旅を始めた。今は無きソ連, さらにヨーロッパ諸国, その後はトルコ, シリア, ヨルダンを旅し, そして同年9月28日早朝, ヨルダンの首都アンマンを発ってヨルダン川を渡り, 1948年5月「建国」のイスラエルが 1967年6月の軍事侵攻以来, 同年11月の国連安保理決議の撤退要求に従わぬまま(2021年の現時点で既に54年間, 1983年当時は16年間)不当な軍事占領を続けているヨルダン川西岸地区に入

ヨルダン, アンマン で パレスチナ難民キャンプ を訪ねて 〜 1983年9月19-23日

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ・トルコ・シリアを旅し, 同年9月19日にシリア・アラブ共和国の首都ダマスカスを発って陸路, ヨルダン・ハシミテ王国の首都アンマンへ。ヨルダンではアンマンの他, アカバとペトラに行き, ペトラからアンマンに戻り, その後, アンマンから陸路, というかヨルダン川を渡って, イスラエルによる国連安保理決議違反の軍事占領下ヨルダン川西岸地区に入り, そのままパレスチナとイスラエルを旅した(以降はやはりイスラエルによる国連安保理

ボブ・ディランのイスラエル支持ソングは, 1982年のイスラエルのレバノン侵攻と同年9月のベイルートにおけるパレスチナ難民虐殺事件の直後に書かれた

タイトル写真の左は, 当時イスラエル軍が包囲したベイルートの難民キャンプでイスラエルの同盟者キリスト教右派民兵たちに無惨に虐殺されたパレスチナ難民らの遺体(1982年9月)。右はボブ・ディランのイスラエル支持ソング "Neighborhood Bully" が収録されたアルバム "Infidels"(「異教徒たち」)のカヴァー写真, 同アルバムは 1983年4-5月録音, 同年10月リリース。 ボブ・ディランの恥ずべきイスラエル支持ソングと, サブラ・シャティーラ難民キャン

パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。 謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東洋人(以下 note 1つ目タイトル写真の右から2番目!), 「現代」のシリア・

シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日

1983年4月26日に横浜港で当時のソ連・ナホトカ行きのフェリーに乗って日本を発ち, その後, ソ連とヨーロッパを旅し, 7月11日から 1ヶ月はギリシャ, 8月11日から 1ヶ月弱はトルコを旅し, 9月5日にトルコ側国境の街アンタキヤを出て, 陸路, 初めて訪れるアラブの国, シリア(シリア・アラブ共和国)に入国した。21世紀に入って内戦に陥る時期よりもだいぶ以前の, 曲がりなりにも, 括弧付きながら「平和」だった時代のシリアだった(因みに当時のシリアの独裁大統領はハーフィ

パレスチナ・ベツレヘムを「イスラエル聖地ベツレヘム」と書く、 恥知らずの 毎日新聞

ジャーナリズムを名乗る資格など無い 毎日新聞ふざけるな、毎日新聞! ベツレヘムと書いて「イスラエル」と平気で併記(お前ら駄洒落でもやってるつもりかよ)するのは、極右シオニスト・メディアか、トランプを圧倒的に支持してた福音派キリスト教徒のクリスチャン・シオニストのメディアぐらいなもんだよ。あんたら、こんなんで、どの面下げて「ジャーナリズム」を名乗るつもりだ? 恥を知れ。 (括弧内 3月3日加筆:昨日3月2日まで、この記事の見出しは「イスラエル聖地ベツレヘム」というトンデモなく