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Lyrics 歌詞の翻訳

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好きな海外の歌(英語の歌が中心、というか他の言語は翻訳無理)と歌詞の日本語訳を投稿します。別のテーマを取り上げた投稿であっても、歌詞の翻訳を掲載した投稿は、このマガジンにも収録し… もっと読む
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#海外放浪

海外「放浪」蔵出し写真集 〜 "Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) [歌詞和訳]

前説写真は 1983年6月1日、「分断国家」ドイツ、「ベルリンの壁」があった時代で西ベルリンは陸の孤島化、その当時「東ドイツ」(ドイツ民主共和国, 「民主」というのは殆どギャグだけど)領「東ベルリン」側にあったブランデンブルク門の前で記念写真に収まった筆者、911の誕生日を迎える前、22歳(*1)。 ほんとは放浪「もどき」だから(*2)、タイトルでは「放浪」と鉤括弧を付けた。帰国したのは 1984年2月1日だけど(韓国・釜山港からフェリーに乗って下関に来て「母国」日本に入国

トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" 歌詞和訳

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか 〜 ポール・ゴーギャン前から思ってるんだけど(本 note 第4章), トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere" のタイトルと歌詞, そして同曲が収められた, 彼らの 1985年リリースのアルバム "Little Creatures" のカヴァーの絵は, なんというか, そこはかとなくと言いましょうか, ポール・ゴーギャンのあの有名な絵とそのタイトルに重なるところがあるのであります。 ポール・ゴーギ

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集 〜 完成

22-23歳の時のバックパッカー海外「放浪」もどきの旅 note リンク集, 完成1983年4月26日 に横浜港を発って, 「国」名だけ挙げると当時のソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ, 東ドイツ(東ベルリンのみ), フランス, スイス, オーストリア, (当時のチトーの)ユーゴスラビア, イタリア(ローマ市内のバチカン市国も), ギリシャ, トルコ, シリア, ヨルダン, パレスチナとイスラエル, エジプト, 再び トルコ, そして

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。 さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2022年5月11日 から振り返ってのこと。本 note は随時更新していくので,

1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき, 旅立つ前 1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけ

1984年2月4日 帰郷 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア諸国を旅して 285日目

前説1983年4月26日, 1960年9月11日に「秋葉路や, 花橘も茶の香り。流れも清き太田川, 若鮎躍る頃」から3ヶ月ぐらい後だろうか「松も緑の色も冴え」た時期は過ぎ, 夏が終わった頃に「遠州森町良い茶の出どこ, 娘やりたやお茶積みに, ここは名代の火伏の神。秋葉神社の参道に, 産声あげ」た「快男児」(だったかどうか判然としないが, 笑)「昭和の」じゃなくて令和の「御代」(って俺は天皇制要らないよ論者だが, 笑)「まで名を遺す」(いや俺は, 天皇制がまだ続くなら次の年号以

1984年2月1日 帰国 〜 1983年4月26日に日本を発ってソ連・欧州・中東(西アジア)・アジア各国を旅して 282日目

韓国・釜山港から下関港行きフェリーに乗って帰国, その後, 初めて広島に行き3泊し, 1984年2月4日にとりあえず静岡県の田舎に戻った。計285日。9ヶ月半程度だからバックパッカーの旅としてはそれほど長かったわけでもないが, まだソ連があった時代, そしてベルリンに壁があった時代, そのほか諸々, 現在とは違う, つまりもう「歴史」になっているようなものを見た面はあったわけだし, まぁそんな堅苦しいことを言わずとも, いま振り返って, あの当時の「世界」(の一部!)を自分の

タイ・バンコク 〜 1984年1月7-21日, 日本を発ってから約9ヶ月経過

タイトル写真は, 1984年1月19日のワット・プラケーオ(วัดพระแก้ว, Wat Phra Kaew; Temple of the Emerald Buddha, エメラルド寺院とも, しかし「ワット・プラケーオ」は本尊の名前が由来か; 寺院の正式名称は วัดพระศรีรัตนศาสดาราม, Wat Phra Sri Rattana Satsadaram, 日本語カタカナ表記としてはワット・プラシーラッタナサーサダーラーム)。カッコ長かったなぁ。 カッコマ

インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

1983年4月26日に日本を発ってから 7ヶ月余り経過。本 note 第1章はここまでの振り返り。第2章はインド入国(ってか日本出国)序章, 第3章でパキスタンから陸路インドに入国してアムリトサルへ。 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, カイロからイスタンに飛んだ後は2度目のトルコを東へ東へ 〜 そのまま陸路イラン入国, さらにパキスタンを旅し, ついに インド へ 2度目のトルコ

イラン, 革命から4年後のテヘラン 〜 1983年11月15-17日, Teach Your Children ♫

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで日本を発って, 半年かけてソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプトを旅し, 同年10月26日にあの旅で初めて飛行機を使ってカイロからイスタンブールに飛び, 2度目のトルコでは 2度目のイスタンブール, 初めてのアンカラと旅を続け, その後, イランとの国境の町ドグバヤジッドに滞在, そこから陸路, 11月15日に1979年の革命(結果としてイスラム革命)から4年後のイラン・イスラム共和国に入っ

ペトラ遺跡(ヨルダン) - 1983年9月25,26日

タイトル写真は同年9月25日, 筆者撮影。両側の大きな岩の塊を抜けるとこれ。 この女性は筆者の知り合い ... だったような(笑)。 https://youtu.be/Dbm8ZxIy98I ♫ ではでは, 自分で撮った動画, じゃなくて 写真を。 ペトラ遺跡, 1983年9月25-26日(写真7枚 および 旅日記) 〜 流石に夜空の写真は撮れてないけれど, あの晩見た満天の星が, これまでの60年余の人生で見てきた星空のなかで正真正銘, 最も美しい星空だった! 以下の

パルミラ(シリア, 古代ローマ帝国の都市遺跡) 〜 1983年9月11日(ISによる破壊の32年前)

写真は, 西暦紀元32年に建造され, 2000年近くこの姿を保ちながら, 今から6年前, 2015年に "宗教" 原理主義者 IS「イスラム国」がこの地域を制圧した際に破壊された, パルミラのベル神殿(1983年9月11日, 筆者撮影)。この写真を含む 1983年のパルミラの写真は 本 note 第2章にて。 謎の東洋人, パルミラに現わる1983年4月26日に「極東」日本を発った怪しげな東洋人(以下 note 1つ目タイトル写真の右から2番目!), 「現代」のシリア・

シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日

1983年4月26日に横浜港で当時のソ連・ナホトカ行きのフェリーに乗って日本を発ち, その後, ソ連とヨーロッパを旅し, 7月11日から 1ヶ月はギリシャ, 8月11日から 1ヶ月弱はトルコを旅し, 9月5日にトルコ側国境の街アンタキヤを出て, 陸路, 初めて訪れるアラブの国, シリア(シリア・アラブ共和国)に入国した。21世紀に入って内戦に陥る時期よりもだいぶ以前の, 曲がりなりにも, 括弧付きながら「平和」だった時代のシリアだった(因みに当時のシリアの独裁大統領はハーフィ

イスタンブールは「旅心」の琴線に触れる街 〜 トルコ, イスタンブール 1度目の滞在・旅 note 第3編(1983年8月18日から8月31日)

前説トルコ入国は 1983年8月11日(ギリシャ・アテネからの 2泊3日の列車旅でイスタンブール着)。日本をバックパックひとつ担いで出たのは 1983年4月26日。横浜港から 2泊3日の船旅で当時のソ連・ナホトカに着いて, それから先はソ連・北欧諸国を旅し, さらに南下しながらヨーロッパ諸国の旅を続け, ギリシャにはアテネとサントリーニ島に計30日滞在。そこまでの旅については以下リンク *1 と *2 の中にあり, イスタンブール旅 note 第1編と第2編は以下のリンク *