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Carpe Diem.

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読んで字の如し。
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2020年10月の記事一覧

IMAGINE (John Lennon) 〜 Neil Young (歌詞和訳)

1. 前説本投稿では、ニール・ヤングが 2001年の 911 アメリカ同時多発テロの後に歌ったジョン・レノン「イマジン」のカヴァーを取り上げる。今日のこの投稿は、最近フランスで起きている、イスラム教という一つの「宗教」への「狂信」を背景とした「憎悪」的感情に「動機付けられた」(少なくともそれを主因の一つとした)一連の残忍なテロ行為に関するニュース記事複数を観たり見たり聴いたり聞いたり読んだりしているうちに、筆者の頭なのか心なのか、とにかく筆者の中で形成された感情と思考に「動機

「兵役拒否」 (イスラエル映画, 2019年) を観て 〜 あらためて

はじめに5日前に観たこのドキュメンタリー映画 "OBJECTOR", いま初めてその副題らしきものに意識が向かったのだが、"FROM AN ISRAELI RITE OF PASSAGE TO A BATTLE FOR HUMAN RIGHTS", これの意味するところは、直訳すれば、「イスラエル(イスラエル人)の通過儀礼から人権のための闘いへ」といった感じだろう。「通過儀礼」とは、ここでは当然ながら国民皆兵であるイスラエルにおける兵役もしくは徴兵のことを指しているわけで、

「兵役拒否」 (イスラエル映画, 2019年) を観て 〜 その1

一見、いや二見、三見の価値がある映画 〜 予告編付き「同胞を裏切るのか」「恥知らずの反逆者め」などと罵倒されながら、母国イスラエルのパレスチナ占領政策への加担を拒否するイスラエルの若者たちを描いたイスラエル映画、「兵役拒否」(原題:OBJECTOR, 2019年製作)を観た。彼らの中で特に2017年に兵役を拒否し、母国イスラエルの軍事刑務所に110日間にわたって収監された後に兵役免除を勝ち取った当時19歳の女性 Atalia Ben-Abba さんの例を取り上げた、ドキュメ

ONE (歌詞和訳) 〜 Mary J. Blige & U2

今日、2019年公開のイスラエル映画「兵役拒否」(ドキュメンタリー, 原題 Objector) を観た。素晴らしい内容だった。その映画とイスラエルにおける兵役拒否について note 投稿を書こうと思ってたんだけど、映画を観終わったのが今夜7時過ぎ。その投稿は明日以降にしようと思う。 そういや、今日から自分の note 投稿に自分で「スキ」することにしたのだった。今日、「ご丁寧に」自分の過去の note 投稿全てに「スキ」済ませたくらいで、いきなり徹底させた(Facebook

Blessed (歌詞和訳) 〜 「ブレスト」, サイモンとガーファンクル Simon & Garfunkel

ルース・ベイダー・ギンズバーグは本当に称賛・礼賛一色で済ませるだけでよいのかってことを書いた辺りから俺の note への反応が減ってきた .. なんてことは勿論なくて元々フォロワーが少ないんだから、そこまで言ったらそれは言い過ぎ、考え過ぎ(この続きは本投稿第2章および終わりから数えて2番目の章にて)。 「柔和な人々は何も受け継いでいない」, ポール・サイモン自身がこの歌について語っている面白いクリップを見つけた 〜 Simon & Garfunkel's "Blessed"

冬の散歩道 (サイモンとガーファンクル) 〜 "A Hazy Shade of Winter" (歌詞和訳)

前説見てすぐ分かる通り、この歌の邦題は原題の意味と違う。意訳というのでもなく、映画や歌などで昔からある、日本のリスナー向けの改題といったところ。17年前にこの歌の歌詞の翻訳を試みた時、歌詞の訳し方がオリジナルなのだから邦題の方も変えたいと思って、「冬の霞みがかった空から」、という自分の和訳詞用のタイトルに変えたんだけど、「から」は付け足しだし、とにかく無理矢理作った感があって、どうもしっくり来ない。それに今日の note 投稿のタイトルにこのオリジナル邦題を載せても何だか伝わ

イスラエルによる国連安保理決議違反・軍事占領下のパレスチナ 〜 37年前の今日、1983年10月17日に滞在していたガザ地区

前説1983年4月から 10ヶ月弱の間、バックパック担いで海外「放浪」の真似事をしていた。当時はそういう旅を「貧乏旅行」ということが多くて、実際、貧乏な旅人だったのだが、おおよそのルートは決めていたから、厳密には「放浪」とまでは言えないだろうと思う。横浜港からフェリーでロシア、当時のソ連に向かい、シベリア鉄道でヨーロッパへ、その後、フィンランドからギリシャまでユーレイルパスで 2ヶ月かけて南下、ギリシャでアテネとサントリーニ島に合せて 1ヶ月ほど滞在した後、以降はトルコ、シリ

イスラエルが 1967年以来 違法占領し続けるパレスチナ・東エルサレム、エルサレム旧市街を歩いた37年前の今日 〜 1983年10月14日

1983年10月14日 〜 東エルサレム 1983年4月から10ヶ月弱の間のバックパッカー海外「貧乏旅行」の旅の途上、同年9月28日にヨルダンからヨルダン川の橋を渡って1967年以来イスラエルが国連安保理決議にすら違反しながら違法占領し続けるパレスチナ ・ヨルダン川西岸地区に入り、10月18日に同ガザ地区を発って陸路エジプト(カイロ)に向かうまでの 3週間、パレスチナとイスラエルを旅した。 パレスチナは古来、それも遥か昔、紀元前からあるこの地域を指す呼称だが、この地域は16

イスラエルが 1967年以来 違法占領し続けるパレスチナ・ヨルダン川西岸地区の街ナブルスを訪ねた37年前の今日 〜 1983年10月13日

1983年10月13日 〜 パレスチナ・ナブルス 1983年4月から10ヶ月弱のバックパッカー海外「貧乏旅行」の途上、同年9月28日にヨルダンから(ヨルダン川に架かる橋を渡って)イスラエルが 1967年以来 複数の国連安保理決議にすら違反しながら違法占領を続けるパレスチナ・ヨルダン川西岸地区に入り、10月18日に同パレスチナのガザ地区を発って陸路エジプト(カイロ)に向かうまでの 3週間、パレスチナとイスラエルを旅した。 この旅に関わってもう少し詳しいことは、過去の多くの投稿

イスラエルが 1967年以来 違法占領し続けるパレスチナ・ヨルダン川西岸地区のビルゼイト大学を訪問 〜 1983年10月12日

簡単で散漫な演説 .. じゃなかった、簡単な前説筆者は 1983年4月26日から 10ヶ月弱の期間のバックパッカー海外「貧乏旅行」の途上、同年9月28日から10月18日までの 3週間にわたって、パレスチナとイスラエルを旅した(旅についてはこれまで繰り返しもう少し具体的に書いているので今日は割愛)。 今日の投稿は、今から ちょうど37年前の 1983年10月12日に訪問した、イスラエルによる違法占領地パレスチナ・ヨルダン川西岸地区にある大学の一つ、ビルゼイト大学訪問に関して。

1983年10月10日イスラエル・キブツ訪問、11日イスラエル違法占領下パレスチナ・ヘブロン訪問 〜 「見張り塔からずっと」歌詞和訳

タイトル上の地図は、左端の 1947年(イギリス委任統治領パレスチナ)から、同年 国連総会で採択された圧倒的に不当・不公平な「国連パレスチナ分割案」(左から2番目)を経て、1948年の「建国」と直後の第一次中東戦争で前述の分割案のそれよりも更に広い土地を得たイスラエルが 1967年の第三次中東戦争によって、旧「イギリス委任統治領パレスチナ」であった地域でまだイスラエル支配下になっていなかった、つまり残っていたパレスチナの土地、すなわち東エルサレム・ヨルダン川西岸地区(1948

トム・ウェイツ 〜 アサイラム・イヤーズ、「人生のポケット」の底で、たまたま手にしたレコード

トム・ウェイツ (Tom Waits: born December 7, 1949) は、アメリカ合州国のミュージシャンにして俳優。投稿タイトルの上に掲げた写真は、彼が初主演した映画「ダウン・バイ・ロー」 (Down by Law, 1986) の一コマ。 トム・ウェイツにはちょっとした縁がある。と言っても勿論、会ったことはない。「勿論」とまで書くことはないかもしれないが。何しろ、音楽業界の人間でも何でもない筆者だが、コリーヌ・ベイリー・レイ (Corinne Bailey

コンドルは飛んでいく (歌詞和訳) 〜 「人生のポケット」初期に歌詞を訳した歌

この曲はサイモンとガーファンクル(Simon & Garfunkel)の最後のアルバム「明日に架ける橋」(Bridge Over Troubled Water, 1970年)に収められたカヴァー(正確に言うと 3部構成の原曲の第1部のカヴァー)によって有名になったけれど、1960年生まれの私より一回り程度上のいわゆる団塊の世代から、私と同世代および少し若い世代にかけての年齢層では、おそらく多くの人が、サイモンとガーファンクルによるカヴァーと、南米(元々はペルーの曲)のフォルク

西エルサレム、ハイファ、ナザレ、テルアヴィヴ(1948年以前パレスチナ、1948年以降イスラエル) 〜 1983年10月3・4・5・6・7・8日

前説当時の筆者の日記を読み返すと、現地で会ったイスラエルのユダヤ人(道を教えてくれたりヒッチハイクに応じてくれたりした、老いた人から若い人まで)は、親切な人が多かった。それは書いておきたい。しかし、当然ではあるが、そのことと、いわゆる「パレスチナ問題」、あるいはイスラエルとパレスチナの問題を理解することは、また別の話ではある。 最初にことわっておくと、本投稿のタイトルに書いた 1948年以前「パレスチナ」というのは、厳密に言うと、正式名称としては「委任統治領パレスチナ」(M