Carpe Diem.

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ギリシャ, アテネ part γ' 〜 エロースが鎮座する国で「愛のコリーダ」観たり, アクロポリス・リカヴィトス等ぶらついたりの, 1983年7月下旬

ギリシャ, アテネ part γ' 〜 エロースが鎮座する国で「愛のコリーダ」観たり, アクロポリス・リカヴィトス等ぶらついたりの, 1983年7月下旬

1983年4月26日に日本を発ち, ギリシャ入国は同年7月11日1983年4月26日に横浜港から当時のソ連・ナホトカ行きのフェリー(2泊3日の船旅)で日本を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, ソ連を旅した後は北欧に出て, その後, 徐々にヨーロッパを南下, 7月10日にイタリア・ブリンディジからフェリー1泊2日の船旅でギリシャ・パトラへと渡り(*1, 第3章以降にそこまでの各国各都市の旅 note へのリンクなどあり), その後, ギリシャには 1ヶ月ほど滞在した(

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ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 3曲歌詞和訳つき

ポール・サイモン, Still Crazy After All These Years (1975) 〜 9/10曲(+)聴き倒し, 3曲歌詞和訳つき

グラミー賞 最優秀アルバム賞 受賞(1976年)本作は 1976年のグラミー賞最優秀アルバム賞受賞作。ポール・サイモン(1941年10月13日生まれのポピュラー音楽界の小さな巨人, 今年の誕生日で80歳)は自身が殆どの収録曲を作詞作曲したサイモンとガーファンクル時代の "Bridge Over Troubled Water", 邦題は当時の「明日」流行りで「明日に架ける橋」(けっこう良かった邦題だと思うけど), あのアルバムでもグラミー賞最優秀アルバム賞を獲っていて, 同賞受

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ギリシャ, アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日(写真14枚)

ギリシャ, アテネ part β' 〜 1983年7月15-16日(写真14枚)

ギリシャ, アテネ part α' と 1983年4月26日に日本を発ってギリシャに着くまでギリシャ, アテネ part α' は以下 note *1 で(1983年7月10日にイタリア・ブリンディジをフェリーで発って翌7月11日にギリシャ・パトラに着き同日のうちに列車でアテネへ向かい .. そしてシンタグマ広場, アクロポリスとパルテノン神殿, リカヴィトスの丘など訪問・見物), そしてその前, 1983年4月26日の日本「出国」からイタリア・ブリンディジまでは note

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ギリシャ, アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日(写真16枚)

ギリシャ, アテネ part α' 〜 1983年7月11-14日(写真16枚)

1983年4月26日に横浜港を発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, 7月10日にはイタリア・ブリンディジからフェリーでギリシャ・パトラへ1983年4月26日の日本「出国」からイタリア・ブリンディジまでは以下 note *1 にあり, 特に日本を発つ前辺りから日本を出てブリンディジに辿り着く前までの振り返りについてはその第3章以降。 先に 1983年7月10日の旅日記からちらりと。これはイタリアのブリンディジの港で ギリシャ の パトラ行きフェリーに乗船した辺りのメモ

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イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

イタリアからギリシャに渡った, 1983年7月10日 〜 同年4月26日の日本出国以降を振り返り

ナポリから夜行列車でブリンディジ, ブリンディジでフェリーに乗って, ギリシャ側パトラへ1983年4月26日に横浜港をフェリーで発って始めたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅(完全網羅の一周ではない一方でエジプトにも行ったからアフリカ大陸その北東の端にも8泊9日), イタリアは12番目の旅国(造語, 訪問国とほぼ同意)で7月1日から9泊10日, ヴェネツィア, フィレンツェ, ローマとヴァチカン市国(これって13番目の旅国だなぁ, ヴァチカンは13, omg, Oh My いない

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もっと長居できればよかった, ナポリ, イタリア 〜 1983年7月8-9日(写真 5枚)

もっと長居できればよかった, ナポリ, イタリア 〜 1983年7月8-9日(写真 5枚)

初日は列車で移動して, ポンペイの遺跡へ1983年4月26日に横浜港を発って日本を出てから74日目, 同年7月8日, その日まで 4泊5日滞在していたローマ(*2, *3, その前のフィレンツェ, ヴェネツィアは *4, *6)を発って ナポリ へ移動, ナポリ に宿をとってその日は列車で「現代の」ポンペイ市方面へ。目指したのは「古代都市」ポンペイの遺跡。 *1 ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE

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ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

ポンペイの遺跡を歩いた, 1983年7月8日(写真11枚) 〜 "Echoes" Pink Floyd LIVE at ポンペイ, 1971年10月(歌詞和訳)

1983年4月26日に横浜港を発って日本を出てから74日目, 同年7月8日, その日まで 4泊5日滞在していたローマを発ってナポリへ移動, ナポリに宿をとってその日は列車で「現代の」ポンペイ市方面へ。目指したのは「古代都市」ポンペイの遺跡。 ポンペイに辿り着くまで冒頭書いたように, ポンペイにはナポリから日帰りの旅をした。ナポリの前にいたところはローマで, ローマを 1983年7月8日朝に列車で発ち, 同日昼にはナポリ着。 ローマ(*1, 2)には 7月4日から8日にかけ

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フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 〜 シネイド・オコナー, 結局「宗教」

フィレンツェ, ヴァチカンで想起するガリレオ・ガリレイ, ヨハネ・パウロ2世 1) ガリレオ・ガリレイ, そして ヨハネ・パウロ2世 以下の note から, この下に転載。 第2章「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」の次の, 第3章「フィレンツェと言えば 〜 ガリレオ・ガリレイ」より(絵を挟んで計4段落)。 そうだ, 前章で「フィレンツェと言えば 〜 ルネサンス」なんて前振りして話をどんどん飛ばしていったけれど, その「ルネサンス」の時代のリュート奏者ヴィンチェン

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ヴァチカンと共に, ローマ・イタリア 1983年7月 part II 〜 写真11枚

ヴァチカンと共に, ローマ・イタリア 1983年7月 part II 〜 写真11枚

タイトル上の写真はコロッセオ。写ってる人間たちの小ささを想えば, やはりこれはかなり巨大。ローマの part I(トレヴィの泉, スペイン階段, スイカ売り, トランプおじさん, イカしたカップルなど)は以下 *3, その前のヴェネツィアとフィレンツェは *1, *2, 彼方(あちら)から見たら「極東」の島国を 1983年4月26日に出て西欧の一角を占めるイタリア半島に入る前までに関しては 本 note の最終章。 *3 ローマ part I (写真 13枚) *1 ヴェ

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活気あふれるローマ, イタリア part I 〜 1983年7月(写真13枚)

活気あふれるローマ, イタリア part I 〜 1983年7月(写真13枚)

1983年4月26日に横浜港からのフェリーで発ってスタートさせたユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行の諸国行脚。日本を出てから70日目, 1983年7月4日に, フィレンツェを発って着いたのが ローマ。ローマ には 7月4-8日の4泊5日滞在したけれど, 今日はその part I, 数字の I はローマ数字! .. !は感嘆符(笑)。 12番目の滞在国 イタリア では, ヴェネツィア(*1)に 7月1-2日の1泊2日, フィレンツェ(*2)に 7月2-4日の2泊3日, ローマに

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