マガジンのカバー画像

音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。

316
"Without MUSIC, LIFE would be a mistake." 音楽がなければ、人生はただの間違いだろう。― Friedrich Nietzsche フリード… もっと読む
運営しているクリエイター

2020年8月の記事一覧

パレスチナの Leila Khaled, レバノンの Mashrou' Leila ー エリック・クラプトンの Layla, ペルシャの Layla and Majnun

タイトルに並べたライラもしくはレイラ(Leila, Layla)、関連があるようで無いような。少なくとも「名前つながり」という意味においては、関連はある。レイラ(ライラ)というのは、アラブ世界やペルシャ(現在のイラン)などに古くから存在する女性の名前である。 昨日の投稿テキストの冒頭で、ここから 4本(たぶん 1日1本)、一昨日の「レバノン、ベイルート爆発から25日」と題する投稿の中身に関連する .. 4つの事柄について投稿する、と書いたけれど、残り 3本のうち 2本、今日

重信房子「十年目の眼差から」を 37年ぶりに開く

ここから 4本(たぶん 1日1本)、昨日の「レバノン、ベイルート爆発から25日」と題する投稿の中身に関連する(「少しでも関連する」と言った方がより正確)、4つの事柄について投稿する。一つ目は37年前に筆者が読んだ、かつて存在した日本の新左翼組織「日本赤軍」の最高幹部だった重信房子氏の著書「十年目の眼差から」を、超絶久しぶりに家の書棚から下ろし、捲ってみた件。 本投稿のタイトル上では「37年ぶりに開く」としたが、厳密には事実とやや異なる。この本が発行されたのは 1983年1月

2019年8月9日の我が街の夕焼け と レーナード・スキナード

今日 3本目の投稿。タイトル、そのまんま東タイトルだな。いや、夕日だから、そのまんま西か(笑)。今日は午前中 歯医者に行って 結構それが長くて ちょっと疲れ、午後は出掛けるところがあって ちょっと疲れ、帰宅後に note に投稿し始めて、これが 3本目。シンプルな投稿してるだけだけど、やや疲れてきた。で、タイトルはまぁ、これでいいや。 夕日や朝日が好きなのだ、朝日新聞は好きじゃないけれどとにかくぶらぶらと歩くのが好きで、且つ、夕日や朝日を見るのが好きだ。朝日新聞は好きじゃな

Deserted Cities of the Heart ー From "LIVE CREAM VOLUME Ⅱ"

1時間ほど前の投稿で、Blankey Jet City の "Rain Dog" という曲を取り上げた。あれを複数形にすると "Rain Dogs", "Rain Dogs" は Tom Waits のアルバム・タイトルで、そのタイトル・トラックも "Rain Dogs", それでもって、Tom Waits は大好きなミュージシャンの一人だけど、Blankey Jet City の "Rain Dog" から頭に浮かんで来るのは、というか頭の中で鳴り出すのは、Cream 解散

夕日を前に彼女は言った "オレ達の国境は地平線さ"

PUNKY BAD HIP ー Blankey Jet City *一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.8.31 加筆/削除/編集)。 夕日をバックに彼は言った "オレ達の国境は地平線さ" 〜 夕日を前に彼女は言った "オレ達の国境は地平線さ

我が家の小庭の今シーズン収穫第2号のゴーヤ 〜 BGM は 喜納昌吉&チャンプルーズ

今日の投稿 3本目。写真のゴーヤは、今朝、つまり 8月27日朝、収穫したもの。けっこう大きく育ってきていたのでもう少しとも思ったが、既に黄色く熟し始めていたため、獲ることにした(妻が収穫)。今日 2本目の投稿でも書いたが、我が家の庭は「猫の額」って言っていいような小庭なんだろうけれども、毎年毎年、いろんな野菜や果物が育って、それが食卓の料理に彩りと味わいを与えてくれている。まぁ妻と筆者が世話してることと(主役は妻)、お天道様や雨と土壌などのお陰だけれども。 果物は枇杷の木を

我が家の小庭のゴーヤ、今シーズン収穫第1号

写真のゴーヤは今週月曜、8月24日の夕刻、収穫したもの。小さめだが、黄色く熟し始めたので獲ることにした(妻が収穫)。我が家の庭はまぁ言うところの「猫の額」ってやつなんだろうけれども、毎年毎年、いろんな野菜や果物が育って、それが食卓の料理に彩りと味わいを与えてくれている。まぁ妻と筆者が世話してることと(主役は妻)、お天道様や雨と土壌などのお陰だけれども。 ゴーヤ, 食べ物と音楽ゴーヤは去年はもっと早めにやっていた。で、大豊作だった。今年はやり始めたのが遅かったのだが、だんだん

大久保初夏 (2010) ー All Your Love (Otis Rush, 1959)

大久保初夏というのは日本の女性ブルーズ・ギタリスト。かなりイケてるブルーズ・マン。性別表記に拘るならブルーズ・ウーマン。メンフィスの BB King's Blues Club でも演奏したことがある。筆者自身は 3年前の季節は初夏、2017年6月に、彼女のバンドの演奏を都内のライヴ・ハウスで観た。とにかくカッコよかった。 昔々その昔の1993年、unplugged のツアーでのエリック・クラプトンのライヴを横浜アリーナで観た時、終了後の帰路、後ろから「白人ばかりのメンバーで

歌詞和訳 ー "Duncan" from Paul Simon 1972 self-titled album

ポール・サイモンは間違いなく現代ポピュラー音楽界の至宝の一人に数えられるようなミュージシャンだと思うけれど、この note 界(妙な言い方だが、笑)における彼の知名度は、その意味では不当に低い。「その意味では」というのは、note のユーザーや読者の関心領域が全ての分野を隈なくカヴァーしているはずはなく、且つそうあるべきとも当然ながら思わないので、これはあくまで「その意味では」ということ。つまり、そんなことを理由にして note 界なるものの現在には何らかの問題があるなどとい

聖書とセックス、安宿の壁と安アパートの壁 ー Duncan (歌詞和訳)

<<この段落のみ、2020年8月28日に加筆:次の段落以降は 2020年8月25日に投稿したものだが、同日 note でいうところの「スキ」をこの投稿にした人が、それから間もなく(おそらくは 30分以内のうちに)その「スキ」を取り消す、ということがあった。その特定の個人による「スキ」取り消しの理由には殆ど関心がないが(単に関心ゼロということでもないので「殆ど」とした)、つまり、その人個人の理由はどうあれ、投稿内容に宗教を扱って「巫山戯た」(「巫山戯る」という巫山戯た当て字を使

男が歌う、女が歌う、バイセクシャルが歌う ー 恋人と別れる50の方法 (歌詞和訳)

ポール・サイモンは面白い人で、というかメロディ・メーカーとしてもメタファー・メーカー(なんて言葉がなければこれは拙者の造語)としても天才で、曲も歌詞も素晴らしいものを作ってきた人なんだけれど、面白い人で、と言ったのは、グラミーの最優秀アルバム賞を受賞した1975年10月25日リリースの "Still Crazy After All These Years", 昨日の note 投稿でも取り上げたそのアルバム・タイトル曲の "Still Crazy After All Thes

女性版「ずっとイカレてる」 ー Still Crazy After All These Years (歌詞和訳)

Paul Simon の 1975年リリースのグラミー最優秀アルバム受賞作 "Still Crazy After All These Years" は当時「時の流れに」という邦題がつけられ(今もそうかな)、そのタイトル曲 "Still Crazy After All These Years" も当然のように「時の流れに」ということになっていた(今もそうかな)。特に嫌いな邦題というわけではないけれども、しかし、うーん、でもまぁあんまり好きでもない。何かこう、核心から逃げてるよう

"LIFE is great. Sometimes, though, you just have to put up with a little more CRAP" ー "Four in the morning, CRAPPED out, yawning, longing my LIFE away"

ただの言葉遊びかよ。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。前者はマイケル・J・フォックスの言葉。後者はポール・サイモンの "Still Crazy After All These Years" の歌詞。それと、タイトル上の写真は、"LIFE is great" ならぬ "LIFE is good", これにはさしたる意味はなくて、Life is great でイメージをググったら、これも一緒に出てきて、他のよりこの「絵柄」が気に入ったから。 マイケル・J・フォックス

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分で変えられることは変える勇気と、そのちがいがわかるだけの知恵をお与え下さい」 ー そのかわりと神は言った。「おまえたちに空っぽをあげよう」

昨日、「人生のポケット」なるものについての投稿をして、そこに、2003年4月12日に書いた自分の日記「人生のポケットから出る方法はどこかにある」と、翌13日に書いた自分の日記「人生のポケットから出る方法はどこかにある(2)」を転載したら、その2つの日記の間に、それはつまり12日に書いていた3本の日記のうちの残り2本のうちの1本なんだけれども、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスの著書「ラッキーマン」に関する日記を書いていたことに気づいた。題して、「