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恥かしい経験は「宝」

思えば今までの人生、恥ずかしい事ばかり。
空手のイベントで初めて海外・ニューヨークへ行った19才。
あれから27年経過しても、鮮明に思い出すことがあります。

サイトシーンって言うんやで~

日本から15名くらいの団体でイベントに参加。海外といえども、師範を始め、たくさんの先輩後輩がいるので、緊張感もなく安心しきって日本を出発しました。

飛行機の中で、地元が関西の先輩から
「入国審査で色々と聞かれたら、サイトシーンって言うんやで~」
って、関西弁で教えてくれた。

私はその時、
「押忍(オス)」
と返事をして。全く気にも留めていなかった。


入国審査で思考停止

時に若さなのか、私特有の何の根拠もない自信は何の役に立たないことがあります。

飛行機は無事にニューヨークのラガーディアという空港に着陸。先ほど教えてもらった、

「入国審査で色々と聞かれたら、サイトシーンって言うんやで~」

って、先輩とのやりとりも全く記憶に無い。

「入国審査なんて何とかなるわ~」
って軽い気持ちなのか、何も考えていないだけなのか、緊張感ゼロで入国審査のゲートへ向かっていた。

長蛇の列の入国審査。たくさんの外国人を見て、

「ここがニューヨークか~」

って、変な感動をしていた。
長蛇の列は牛歩の如く進みつつ、やっと自分の番が来た。

審査の様子を見た時、一人っきりで外人の審査員と会話しなければならないことが判明。私は急に焦り、冷や汗がタラタラ垂れていた…

一緒にいた、たくさんの先輩や後輩は、何故か前後に誰もいない。団体で来ていたにもかかわらず、列の分岐点で皆散り散りになっていた。

「なんかマズイ…」

と、恐怖だけしかない状況で審査に挑んでいった。

私は呼ばれて、審査員の目の前に立つ。目の前の外人が何かを喋っているが、全く理解出来ない。
後から気付いたのだが、審査員は「コンニチワ」とやさしく挨拶をしてくれていた。そんな日本語も分からないくらい思考停止状態になっていた。

案の定、私は
「あ…。あぁ…」

と、壊れたペ●パー君のように、挙動不審になるわ、視線もあさっての方向へ飛んで泳ぎまくっていた。
私は完全に壊れていた…。

結局は審査員が壊れた私を見かねて、次の順番の人を呼んでくれた。その方が通訳をしてくれたお陰でクリアすることができた。その方は空手とは全く関係の無い人であった。そんな命の恩人に、今でも思い出す度に感謝するばかりです。

気づきと学びは宝

恥ずかしいことはダメなことだと認識していました。

おろらく、今でも入国審査は緊張するでしょうし、思考停止になると思います。何事も準備することは大切ですね。

しかしよくよく考えると、27年経過しても恥ずかしい経験を鮮明に思い出して、人に笑い話で伝えることが出来るって、すごいことかもしれない。

私の恥ずかしい経験は人を笑顔にできる。
目の前の人が笑顔になると幸せが広まる。

恥ずかしい経験とは、笑顔と幸せを生む金脈のようなもの。
私にとって恥ずかしさとは「宝」なのかもしれない。
そんな「宝」をたくさん集めていきます。

今日のしつもん
「あえて恥ずかしい経験をするとしたら、どんなことをしますか?」



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