いつもと同じのあの子
私は現在、空手の先生をしています。
習いにくる人の割合は、小学生の男子が多いです。
みんな一人一人気になる子ばかりですが、その中の1人小学3年生のC君のお話をします。
いつも同じ導入
ビジネスマン的にカッコよく表現すると、
「ルーティーンワーク」と言える。
そのC君のルーティーンワークは、C君の様子を見る絶好の機会でもある。そして、空手の練習が始まる前や、始まってからでも、その日初めて会った時の挨拶のように、こんな言葉を私にかけてくる。
「ねえ、これユルい。」
空手道着のズボンは紐で締め付ける。動いていると、ゆるんっだり、結び目が解けてくる。裁縫が得意なお母さんは紐を抜き取って、ゴムに交換する人もいる。
C君はちょっとぽっちゃりちゃん。お腹がパンパンで、ズボンを締める紐が短くなっちゃって、リボンみたいに可愛くなってる…。
そんなC君の「ねえ、これユルい。」を聞いて、私の心の中では、
「おお!!今日も来たな〜、C君」
って、歓迎している。
結びながら、見る見る観る
紐を結びながら、C君の観察タイム。
C君はかなりデリケートな子と思っているので、いくつか気をつけていることがいくつかある。
傷つきやすい
→言葉遣い、周りの人間関係の観察。物事は順を追って、丁寧に説明が必要。
→ゆっくりとした口調で、技の動きは一緒に動いて説明していく。ほったらかし厳禁
→側にいないときは、遠くからでも目線を合わせるようにする。様子がおかしいと感じる時は、会話をしにいく。空手の技の覚えはゆっくりペース
→一つずつ、丁寧にゆっくりと、牛歩の如く進めていく。会話からできること、できないことを探り、解決してけるようにする。
誰でも当てはまることですが、会話が最も重要だと思っています。空手が上手かどうか、技ができるかどうかよりも、良い人間関係を築くことが重要だ。
私はC君との会話を楽しみながら、言葉選びに気をつけて、彼の心の内を探るのです。
人は喋りたい
C君はいろんなことをお話ししてくれる。そのほとんどは思い出せないくらいたわいも無いことだけど、少しの時間でも1体1の会話をしないと、C君の気持ちが空手に入ってこないように感じる。
他の子どもたちもきっと同じだろう。
いきなり空手の練習を始めると、暗い表情の子どもが多い。そんな雰囲気を察知した時は、ちょっとした雑談タイムを作る。そうすると、決まって目をキラキラさせて喋りまくっている。
「先生あのね」「先生聞いて!」とか、隣の子ども同士でも、ワチャアワチャと喋りまくっている。
空手の練習より、喋ることでが子どもが元気になる様子を見ると、「お喋りに負けた」って嫉妬する私がいる。
いっそのこと、「おしゃべり空手道場」にしたいくらいだ!
冗談はさておき、C君のお喋りに耳を傾けながら、今日の練習内容を組み立て直すことをしている。
さいごに
いつも同じだと思っていても、その日その日で微妙に変化している。よーく観てちょっとの変化を気にしつつ、毎回会話をし続ける。
C君からはたくさんのことを学んでいる。指導する立場なのに、なぜか私自身の変化ばかりが思い出される。
そう思い、他の子を思い出すと、その子の関係性から私自身の変化したことが頭に浮かぶ。
空手の生徒さんは、みんな私の先生である。
今日は文を綴っていたら、最後には感謝の心に辿り着きました。
C君ありがとう。
大切なことに気づいた日になりました😊
今日会う子ども達を笑顔にしてきます!
もちろん、空手の練習もします!!
今日のしつもん
「一番大切な人を思い浮かべた時、どんな思い出が浮かびますか?」
ああ、あかん…
よりによって、高校時代のAHOな友人を思い出してしまった。
クリスマスイブなのに、そいつの部屋でオナラに火がつくか?って疑問から、お尻にライターをあてていた。
屁をこいた瞬間に小さな爆発がおこったことを思い出す。
この記憶、消してほしい…
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