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サフラン


『随筆傑作集』(新聞月鑑社、昭和二十六年十一月一日) 表紙装画=宮田重雄

吉田精一、林髞、徳川無声、辰野隆によって選ばれた明治以降の随筆選集です。古書善行堂での今年最後の買い物。新聞月鑑社は『新聞月鑑』を1949年から1958年頃まで刊行していた出版社のようです、発行人は米田圓。この号の編集人は重村力となっています。

目次
森鷗外「サフラン」 挿絵は岡村夫二

ここでは森鷗外「サフラン」を紹介したいと思います。このエッセイは、物の名前を聞いても知らないということがよくある、というふうに始まります。

私は子供の時から本が好だと云はれた。少年の読む雑誌もなければ、巌谷小波君のお伽話もない時代に生れたので、お祖母さまがおよめ入の時に持つて来られたと云ふ百人一首やら、お祖父さまが義太夫を語られた時の記念に残つてゐる浄瑠璃本やら、謡曲の筋書をした絵本やら、そんなものを有るに任せて見てゐて、凧と云ふものを揚げない、独楽と云ふものを廻さない。隣家の子供との間に何等の心的接触も成り立たない。そこでいよ〜[繰返し記号]本に読み耽つて、器に塵の附くやうに、いろ〜[繰返し記号]の物の名が記憶に残る。そんな風で名を知つて物を知らぬ片羽になつた。大抵の物がさうである。植物の名もさうである。》(p38)

先日紹介した塚本邦雄のエッセイで、塚本が勉強部屋に閉じこもって、文字と絵を、見て、それらを描くのが、戸外で遊ぶより《比較を絶して好きだった》と回想しているのと似ていますね。

飛ぶ教室
https://note.com/daily_sumus/n/nf991eda0cbb4

鷗外の父親は蘭医でした。少年鷗外は父からオランダ語を学んだと言います。オランダ語の文典を読むときに辞書を使いました。

蘭和対訳の二冊物で、大きい厚い和本である。それを引つ繰り返して見てゐるうちに、サフランと云ふ語に撞著した。また植物啓源などと云ふ本の行はれた時代の字書だから、音訳に漢字が当て嵌めてある。今でも其字を記憶してゐるから、こゝに書いても好いが、サフランと三字に書いてある初の一字は、所詮活字には有り合はせまい。依つて偏旁を分けて説明する。「水」の偏に「自」の字である。次が「夫」の字、又次が「藍」の字である。
「お父つあん。サフラン、草の名としてありますが、どんな草ですか。」
「花を取つて干して物に色を附ける草だよ。見せて貰らう。」
 父は薬箪笥の抽斗から、ちぢれたやうな、黒ずんだ物を出して見せた。父も生の花は見たことがなかつたかもしれない。私はたま
〜[繰返し記号]名ばかりでなくて物が見られても、干物しか見られなかつた。これが私のサフランを見た初めである。》(p38)

活字にはなかったのかどうか、鷗外の思い込みかもしれません。現在のワープロには入っています。

《サフラン(番紅花、咱夫藍、洎夫藍、洎夫蘭、 Crocus sativus、蘭: saffraan、英: saffron、仏: safran)はアヤメ科の多年草およびそのめしべを乾燥させた香辛料をさす。イラン原産とされるが諸説あり、地中海の島で発掘された壁画によると、青銅器時代から栽培されたと考えられる。》(ウィキペディア「サフラン」より)https://ja.wikipedia.org/wiki/サフラン

鷗外は二、三年前(このエッセイの初出は大正三年とのことですので大正元年頃でしょうか)上野駅から帰宅する途中、花園町で球根から紫の花の咲いているサフランを売っているのを見つけました。それを買って帰って鉢に植え、書斎に置いておきました。花はすぐに枯れてしまいましたので、そのままほったらかしにしておいたところ、一月になってから緑の糸のような葉が出てきたので感激します。

これはサフランと云ふ草と私との歴史である。これを読んだら、いかに私のサフランに就いて知つてゐることが貧弱だか分かるだらう。併しどれ程疎遠な物にもたま〜[繰返し記号]行摩[ゆきずり]の袖が触れるやうに、サフランと私との間にも接触点がないことはない。物語のモラルは只それだけである。》(p39)

そういえば、私は絵描きですので、サフランと聞けば、黄色い袋を思い出します。額縁を包む袋です。サフランで染めるのは防虫効果があるからだと誰かに教えてもらってからサフランというとあの黄色が目に浮かびます。

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