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十字屋書店版『檸檬』

十字屋書店版の『檸檬』(十字屋書店、昭和十五年十二月二十日)を割安で入手しました。これは『檸檬』というタイトルの梶井の作品集としては、武蔵野書院版(昭和6)、武蔵野書院・稲光堂書店版(昭和8)、版畫荘版(昭和12)につづく四冊目です。その間に六蜂書房(昭和9)、作品社(昭和11)、創元社(昭和14)から全集、小説全集、小説選集が出ていますから、昭和7年3月24日の死去(31歳)以後わずかの間に梶井の評価はきわめて高くなったのかと思われます。

雑誌『青空』の仲間で親友だった淀野隆三が梶井の作品を愛し、作品集や全集発行に努力し続けたことがひとつの要因だとも思われますが、それはむろん梶井作品が当時の青年たちの心をとらえたという前提があってのことでしょう。

この十字屋書店版は武蔵野書院版の紙型(鉛版の鋳造に使用される紙の型)を使用しているそうです(筑摩書房2000年版全集「書誌」による)。ということは同じ版面ですね。

十字屋書店「檸檬」冒頭


武蔵野書院版「檸檬」冒頭(復刻版による)

古本屋が登場する「泥濘」という短編を引いてみます。東京帝大の学生で、小説を書いている主人公はスランプに陥っていました。ちょうど実家から為替が届いたので換金するため、郊外の下宿から、久しぶりで本郷の銀行へ出かけます。そして現金を手にしてまず散髪をしたのですが、釜が壊れていて(お湯が沸かせないので)洗髪ができず、髪に石鹸が残っているのを洗い流すために友人の下宿に立ち寄ります。そこを出て古本屋をのぞきます。(以下の引用では旧漢字は改めました。[ ]内はそのすぐ前の単語のルビです。ルビは一部だけ取りました)

 町にはまだ雪がちらついてゐた。古本屋を歩く。買ひ度いものがあつても金に不自由してゐた自分は妙に吝嗇になつてゐて買ひ切れなかつた。「これを買ふ位なら先刻[さつき]のを買ふ。」次の本屋へ行つては先刻の本屋で買はなかつたことを後悔した。そんなことを繰り返してゐるうちに自分はかなりまゐつて来た。

p71

 古本屋と思つて入つた本屋は新しい本ばかりの店であつた。店に誰もゐなかつたのが自分の足音で一人奥から出て来た。仕方なしに一番安い文芸雑誌を買ふ。なにか買つて帰らないと今夜が堪らないと思ふ。その堪らなさが妙に誇大されて感じられる。誇大だとは思つても、そう思つて抜けられる気持ちではなかつた。先刻の古本屋をまた逆に歩いて行つた。やはり買へなかつた。吝嗇臭[けちくさ]いぞと思つて見てもどうしても買へなかつた。雪がせはしく降り出したので出張りを片付けてゐる最後の本屋へ、先刻値を聞いてよした古雑誌をこんどはどうしても買はうと決心して自分は入つて行つた。とつつきに値を聞いた古雑誌、それが結局は最後の選択になつたかと思ふと馬鹿気た気になつた。他所[よそ]の小僧が雪を投げつけに来るので其の店の小僧は其方[そつち]へ気をとられてゐた。覚えておいた筈の場所にそれが見つからないので、まさか店を間違へたのでもなからうがと思つて不安になつてその小僧に聞いて見た。
「お忘れ物ですか。そんなものはありませんでしたよ」云ひながら小僧は他所のをやつつけに行かうゆかうとしてうはの空になつてゐる。然しそれはどうしても見つからなかつた。さすがの自分もまゐつてゐた。足袋を一足買つてお茶の水へ急いだ。もう夜になつてゐた。

p72

梶井の学生時代より少し後になりますが、昭和14年の『全国主要都市古本店分布図集成』(雑誌愛好会編)で見ますと、東京帝大の周辺には20〜30軒の古本屋が集まっていたようです。赤門前(電車停留所)付近だけに限っても赤門堂、原広、銀魚書窟、山喜房、至泉堂、島崎などがあり、新刊書店では玉屋と福本が本郷三丁目交差点の手前に並んでいます。食料品・レストラン・喫茶の「青木堂」はその向かい(大学側)にありました。

この後、主人公は銀座へ出て買い物をし、ライオンでビールを飲みます。仕送りが届いたらすぐに遣ってしまうタイプだったようです。


梶井基次郎『檸檬』
https://sumus2013.exblog.jp/23236554/

梶井基次郎と”神隠し”の京都展
https://sumus2013.exblog.jp/30910698/

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