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リー、雑誌を引き裂いてその山の上で眠る

アントニー・ペンローズ『リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス』(パルコ出版局、1990年)を読み終わりました。非常に面白い伝記でした。リー・ミラーの型破りでチャーミングな性格と行動力には驚かされます。むろん恋多き女でもありました。マン・レイのモデルから、写真の弟子になり、同棲にいたるわけですが、マン・レイの惚れ込みようはそうとうなもので、失恋の痛手も大きかったようです。

タイトル写真は本書より《マン・レイのノートの1ページ。エリザベス(リーの本名)、エリザベス、リー、エリザベス……と繰り返すマン・レイの乱れた筆跡。1932年、パリ》(巻頭口絵キャプション)。

自分を愛したヴィーナス
https://note.com/daily_sumus/n/n9dd9082977f8

そんな波乱の生涯は、本書を読んでいただくとして、ここではリーと本の関わりについてだけ引用しておきましょう。リーは写真家として一家を成しますが、フォト・ジャーナリストとして文章も書くようになり、第二次世界大戦中には『ヴォーグ』誌に戦場や兵士、銃後の暮らしなどを取材した記事が多数掲載されました。文章を書くきっかけについてリーの読書歴が述べられています。

リーは小さいころから本の虫だった。一見無関心な様子で本や雑誌にざっと目を通しただけで、確固とした意見をもってそれを論じることができた(そのせいでまわりの者は腹を立てるのだったが)。事実や図表や意見や、そういったものを記憶にためこんでおいて、いざというときにたちまちそれを取り出し、議論のただなかに決定的な正確さでそれを持ち出すのだ。作家としては、スタインベック、ヘミングウェイ、ジェームス・ジョイスがリーのお気に入りだったが、果ては三文探偵小説までありとあらゆるものを読んだ。リーが求めていたのは、明瞭で、それでいてセンスとイマジネーションを失わず、コミュニケートする能力だったのだ。

p159

これは若い頃の話ですが、晩年になって、ローランド・ペンローズと結婚し、ジャーナリストから引退してイギリスで暮らすようになったとき、突然、彼女は料理を極めようと決心します。

 リーの料理には、他の特技同様、他人を模倣した部分はほとんどない。たしかにリーはロンドンの料理教室に通って優秀な成績で終了したし、『ビートン夫人の家事』や『ラルース美食辞典』を隅々まで耽読した。けれど、こういったことは単なる基礎にすぎなかった。読書家が小説をむさぼり読むようにリーは料理の本を読み漁り、二千冊をゆうにこえる本を収集した。これに加えて、同じく大量の雑誌、自身の手になるレシピを入れた索引付きの箱が数えきれないほどあった。

p298

二千冊は決して多いとは言えない数ですが、雑誌の切り抜きにはかなり執着したようです。

リーは、どこからか盗ってきたお気に入りのレシピをひとつに纏めたいと思っていて、そのためにハンドバッグにさまざまな精巧な刃物を忍ばせていた。病院の待合室などで雑誌を切り抜くのだ。何年にもわたってこんなことを続け、戦利品を入れた段ボール箱は山をなした。訪問客のない週末は、やはりこのために購入された雑誌をバラすことに費やされた。「わたしの仕事なのよ」。ファーリーの居間に紙切れの山ができるようになってローランドが抗議すると、リーはそう答えるのだった。ヴァランティーヌは良識を代表して言った。「あなたのいう仕事ってのは、結局雑誌を引き裂いてその山の上で眠ることなの」。けれどリーは挫けなかった。ローランドは、居間を文字どおりの居るべき部屋に戻すには、リーのため特別の書斎をつくるしかないと思った。家の南面につくられたこの部屋は、最高に居心地のいい場所となった。

p301-302

雑誌の切り抜きはもう、シュルレアリストのパピエ・コレみたいなものですね。リー・ミラーは何をするにも徹底的にやる人のようです。ゴーイング・マイ・ウェイ、目的のためには少々のことは気にしない。それが最も如実に現れているのが彼女の写真作品だと思います。

リー・ミラーの写真 『灰色の栄光 戦火のイギリス写真集』より, 1940

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