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『戦争と平和』もないし、『性的人間』もないし、『ライ麦畑』もないの。それが小林書店。

村上春樹『ノルウェイの森 上』(講談社文庫、2005年5月16日5刷)、『ノルウェイの森 下』(講談社文庫、2004年9月15日1刷)。

村上春樹全作読破! するつもりは全くないが、何十年ぶりかで再読した。1987年が初刊だから、それからあまり経っていない時期だったと思う。単行本で読んだ。しかし、正直、ほとんど何も印象が残っていなかった。ただひとつ、小林書店のくだりはおぼろげながら覚えていた。

でもね、実物たるや惨めなものよ。小林書店。気の毒な小林書店。がらがら戸をあけると目の前にずらりと雑誌が並んでいるの。いちばん堅実に売れるのが婦人雑誌、新しい性の技巧・図解入り四十八手のとじこみ附録のついてるやつよ。近所の奥さんがそういうの買ってって、台所のテーブルに座って熟読して、御主人が帰ってきたらちょっとためしてみるのね。あれけっこうすごいのよね。まったく世間の奥さんって何を考えて生きているのかしら。それから漫画。これも売れるわよね。マガジン、サンデー、ジャンプ。そしてもちろん週刊誌。とにかく殆どが雑誌なのよ。少し文庫はあるけど、たいしたものないわよ。ミステリーとか、時代もの、風俗もの、そういうのしか売れないから。そして実用書。碁の打ちかた、盆栽の育てかた、結婚式のスピーチ、これだけは知らねばならない性生活、煙草はすぐにやめられる、などなど。それからうちは文房具まで売ってるのよ。レジの横にボールペンとか鉛筆とかノートとかそういうの並べてね。それだけ。『戦争と平和』もないし、『性的人間』もないし、『ライ麦畑』もないの。それが小林書店。

上p129

この描写には町の書店に対する偏見が満ちている?(もちろんヒロインの一人「緑」の意見ですので村上氏の見方そのものではないかもしれません)。同じような書店を経営していた人なら、このくだりを読むと、きっといろいろ違和感があるんじゃないかと思う。《文房具まで売ってるのよ》って丸善だって昔から売っている。

たしかに大きい店ではなかったけれど、僕が緑の話から想像していたほど小さくはなかった。ごく普通の本屋だった。僕が子供の頃、発売日を待ちかねて少年雑誌を買いに走っていったのと同じような本屋だった。小林書店の前に立っていると僕はなんとなくなつかしい気分になった。どこの町にもこういう本屋があるのだ。
 店はすっかりシャッターをおろし、シャッターには「週刊文春・毎週木曜日発売」と書いてあった。

上p135

緑の父が死んで、書店をついに手放すことになる。

 僕らは山手線に乗って大塚まで行って、小林書店のシャッターを上げた。シャッターには「休業中」の紙が貼ってあった。シャッターは長いあいだ開けられたことがなかったらしく、暗い店内には古びた紙の匂いが漂っていた。棚の半分は空っぽで、雑誌は殆んど全部返品用に紐でくくられていた。最初に見たときより店内はもっとがらんとして寒々しかった。まるで海岸に打ち捨てられた廃船のように見えた。
「もう店をやるつもりはないの?」
「売ることにしたのよ」と緑はぽつんと言った。

下p166-167

主人公のワタナベ君は、この夜、緑とふたりでこの店(緑の実家ということです)に泊まるが、関係はもたない(それは物語の最後までつづく)。緑が寝息をたてはじめたので「僕」は何か本を読もうと階下へ向かう。

 しばらくぼんやりとビールを飲んでいるうちに、そうだ、ここは書店なのだ、と僕は思った。僕は下に下りて店の電灯を点け、文庫本の棚を探してみた。読みたいと思うようなものは少く、その大半は既に読んだことのあるものだった。しかしとにかく何か読むものは必要だったので、長いあいだ売れ残っていたらしく背表紙の変色したヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を選び、その分の金をレジスターのわきに置いた。少くともこれで小林書店の在庫は少し減ったことになる。

下p173-174

1960年代末の性風俗のさまざまな様相をストレートに描いてみせた小説で、あられもないと言えばあられもない。小説の結構は、例によって三角関係の重なり合いであり、ユートピアへの逃避と逃避からの脱出という『街とその不確かな壁』(新潮社、2023)にもくりかえされている村上のオブセッションである。

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