スプーンをつくる2(春、躍る。dance club)
一ヶ月後、小雨の中、駅で友人と待ち合わせた。先生の奥さんが車で迎えに来てくれた。車の中で先生の奥さんから以前に先生の家にスプーン作りでお邪魔したのは、ちょうど十年前であることを言われる。
月日の流れる速さの恐怖よ。十年ぶりに思い立った私も、どうした?!
前回は当時スプーンが欲しかったわけではなく、茶道を一緒に習っていた人たちに誘われるがまま参加したのだった。その当時はスプーンの用途も思いつかなかったので、紅茶の茶葉をすくうようとして使った。そしてベトナムコーヒーを入れる時用からカプチーノのコーヒーをすくうとき用に用途が変化している。
コーヒーの香りと、オイルがスプーンに移り、年月とともに色が変化していくのを愛でるのも楽しみの一つらしい。
先生のお宅に到着し、作業部屋に入るとすぐに先生がスプーンの原型となるものを3本だしてくれた。
ここで写真を撮っていないのが私だけれど、すべて色が異なっていた。同じ木から取り出したらしいが、木の芯に近い所は黒っぽく、外側の方から切り出したものは白い素地だった。
この中から私は白地に木目が入ったものを選んだ。
十年前、私以外の人達は皆黒っぽい色を選んでいた。今回も私は無意識に白地を選んでおり、初めて自分の好みを知ることとなった。
早速、彫刻刀でスプーンの原型から好みの形へと削っていくのだけれど、スプーンを作ることを思いついてから一ヶ月経っていたので、どんな形を作ろうとしていたのかすっかり忘れていた。
作業台に座って、雰囲気こんなもんかとスプーンの原型となるものにざっくりと鉛筆で形を書き削っていった。
途中で先生が、
「こうしたいというイメージして作るとその形になるから」
と言ってくれた。
それなのに私は
「全くこうしたいという形がない。全然思い浮かばない。これは普段からの使っている道具に満足しているってこと?ある意味それもすごいデザインですね。」
とのたまわっていた。
もうあんなにこだわり準備していたのに、忘れやすい私の馬鹿。
でもちゃんと30分後ぐらいに、
「そういや先生にこんな形にしようかって写真送ってましたな」
と思い出し、いそいそとスマホを取り出し見返した。
そうだ。四角のスプーンにしようと思っていたんだ。そうだった。
<口に入る部分>
気を取り直し、写真を横に置きながら目指す形を眺め、口に近い部分は薄くしないと器から全てをすくい取れない!と考えた。
まずは何度もスプーンをすくう角度を確認し、先端が薄くなるように彫刻刀で削っていった。先端は、このときはまだ四角いスプーンの形に抵抗がありながらも鉛筆で下書きをし、彫刻刀からやすりへと道具を変え、さらに削っていった。
口に入る表部分は深くしすぎると食べ物がスプーンに残ってしまうらしい。前回スープ用のスプーンを作った後輩が反省として教えてくれた。
一番深くなるところに印をつけ、教えてもらったようにほんのりと削る。
あまり一か所だけ行うと、全体とのバランスもあるのでほどほどに柄の部分へと移る。
先生からも「時々離して眺めて、全体のバランスを見るように」
と言われる。
<柄の部分>
先生の家にはたくさんのスプーンがあったが、どれも丸くぼってりとした、ほっこりする感じのデザインが多かった。しかし、私はどうもぼってりよりシュッとしたものを好む傾向があるようだ。
柄が細くなるよう、鉛筆で雰囲気下書きをし、またごりごり彫刻刀で削っていく。あんまり詳しく分からないので、この辺か、この辺かみたいな感じで雰囲気で行っていった。
何度もスプーンを持ち、まっすぐだった柄も中指が当たる部分を凹ませ、フィットさせてみた。
彫刻刀をやめて、大きなやすりで削りながら全体の形を整えていくようにに先生から提案された。こんなやすりで整うか?と思ったけれど、何度も
先生に「こうしたいとイメージして作ると不思議とその形になるから」
と言われた。
これって人生も同じことなのか?
自分でこうなりたい、こうしたいと方向をイメージして行動をしているといつのまにか、そういう選択をしてイメージに近づくのかもしれない。
初めにこうなりたいというものがなかったら、とりあえず何かをしていたら徐々に目指すものが見えてくるのだろうか。
そして時々全体のバランスを見る。
後輩にそう伝えると、
「『病は、気から』って本当にあると思いますよ」
と言われた。
昨年はトータルで3か月ほど仕事を休んでいた私。
あれも気からなんだろうか。
結局薬はどれも合わずで、9割方薬は辞めることになった。しんどくなった時だけ飲むというパターンになった。
でもその時のスプーンを作っている私にはまだ『よっこいせ』と次に踏み出すエネルギーはなかった。
こんなにも創作意欲と行動力は溢れているのに・・・と思いながらやすりで目指す形に整えていった。
やすりも大きなものから、紙やすりに替わり400、600、1200と目が細かいものに替わっていく。
お菓子切りを作成していた後輩は原型がほぼ出来上がっていたこともあり、早々に完成させていった。
そのため、最後の方は先生が自らやすりでつるつるに私のスプーンを磨いてくれていた。
<仕上げ>
完成したスプーンには椿オイルを塗った。私がスプーンをやすりで削っている間に、先生が横で近所の人から譲ってもらった椿の実を割り、ガーゼで包んでオイルを抽出させていたのだ。出来立ての椿オイル。贅沢だな。スプーンもだけど髪にもつけたい。
最後には焼きごて?でサインをつけた。
後輩は自分の名前から一文字とって漢字を入れた。
私はずっとにこちゃんを書きたかったのだが、一発勝負なので、スプーンの出来上がりがあまりにも美しく、書くことをためらった。
先生が、「気にいらんかったら、また彫ったらいいから」
と言ってくれたので、とりあえず入れた。
途中お昼を食べたり、先生の奥さんがおやつにおぜんざいをごちそうしてくれたり。計6時間!ようやく完成。
眩しいぐらい白くてピカピカしてキラキラしている。
このスプーンの元の木はどっかの由緒あるお寺の桜の木を切ったものを先生がいただいたらしい。桜な所も春に躍っている私にピッタリな気がした。
やはり私は創作が好きなようだ。
帰ってから、スプーンを見ると、すごくにこちゃんに見られている気がして結局削った。でも先生の家から帰っている途中もスプーンが真っ白でキラキラして、ツルツルして心がウキウキしていた。顔もニマニマしていた。
<使った結果>
肝心の使い心地は・・・・。
もう最高!
ココアを混ぜる時、
パックに入っていたひじきをさらえる時、
ご飯とひじきを混ぜる時、
スプーンを口に入れる時。
全てがピッタリだ。
使い終わったら、汚れが染みつかないようにスプーンだけすぐに洗うことを覚えた。すべてがこんなにもお気に入りに囲まれていたら洗い物を溜めないのかしら。
口に入れた時のスプーンの角度も、使うたびに使いやすさに心が嬉しすぎて、楽しくて、使っている瞬間にだけ
心が躍っている。
でもこれは唯一のスプーンなので、この感動を先生や後輩に味わってもらえないのが悔しい所。すごく感動するのに。
好きは熱くてまぶしい。
身の回りの道具って今まで何も考えてこなかったけど、たくさんのこだわりが詰め込まれて作られているんだろうな。
沢山の人が使っている工業デザインってすごいと初めて感じた。
創作を通して、
自分の好みは白地のもの、シュッとしているものであることを知った。
そして自分がこうなりたいというイメージに近づくにはどうしたらよいのだろう、なぜ家庭をもつという目標が長らく達成されないのだろうか、自分の心は何が引っかかっているのだろうと考えることになった。
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