野間易通、さすがにそれはクソがすぎる

サヨク的糾弾体質

(イラスト:信濃川画伯、イラスト内の文:藤倉善郎)

 先だってハーバー・ビジネス・オンラインで、毎日新聞・後藤由耶記者による捏造報道の問題をリポートしました。毎日新聞が、6月6日に行われたツイッタージャパン社への抗議活動を報じた際の取材手法と報道の問題です。

毎日新聞がツイッター社への抗議活動について意図的誤報。主催者「もう活動したくない」

 どうして「捏造」ではなく「意図的誤報」なんだという指摘もいただいていますが、「意図的」と書きたかっただけです。「捏造」にも意図的であるという意味は含まれていますが、「意図的」であった事実が重要だと思ったので、その単語を使いたかったんです。記事の本文でも「捏造である」と断定してはいませんが、それも、少なくとも存在しないコメントを後藤記者が記事に掲載したわけではないことと、捏造という言葉より「意図的」という単語と経緯を前に出したかったことが理由です。

 というわけで、記事中の表現はこんな感じですが、毎日新聞の今回の問題はれっきとした「捏造報道」です。

 さて、この記事について野間易通という人がぼくのFacebookに、〈後藤さんは何年も前から毎日新聞でほぼ唯一、ヘイト問題を署名入りで全面的にプッシュして取り上げてきた人〉〈ここでのトラブルはまさに「行き違い」としか言いようがない〉と書き込み、C.R.A.CのFacebookページで、ぼくのFacebookへのリンクを張って〈こういうアサッテの方向の糾弾はやめるべし〉と投稿しました。

https://www.facebook.com/groups/cracjp/permalink/564810654159114/

 お仲間を擁護するのは構わないというか、むしろ大事なことだとぼくも思います。しかし今回の件が「行き違い」と言えるものでないことは、記事と動画で証拠を添えて提示済み。野間の主張は事実関係を無視して後藤記者を擁護するものです。

 野間は、ぼくに対して「サヨク的糾弾体質」などと口走っています。ぼくのこれまでの活動や今回の記事のどこが「サヨク」なのかさっぱりわかりません。根拠も何も書かれていません。ぼくは基本「カルト問題」とのからみでですが、安倍政権も野党も共産党も新左翼セクトも批判してきたので、自分が何翼なのかさっぱりわかりません。誰か教えて下さい。

 好まない主張をする相手を根拠なく「サヨク」呼ばわりでけなすなどというのは、それこそネトウヨクのオリティと変わらない、実に頭の悪い行為です。

 頭が悪い人でも社会の理不尽に対して声を上げ運動をするのはとても大事なことです。市民の運動は社会的弱者にとって不可欠なものなので、「賢い」人達が独占すべきではないし、頭が悪いことをもって否定されるべきでもありません(相互批判は必要ですが)。なのでぼくは野間の運動についても、野間の頭の悪さを理由に全否定することはしません。

 問題は野間が、事実関係と被害者の存在を度外視して、抗議活動主催者である個人を組織ぐるみで傷つけた側を擁護している点。そしてその態度をC.R.A.CのFacebookページでアピールしている点です。これは単に頭が悪いで済む話しではなく、有害です。

 野間なりの立場や理屈や根拠を示して主張するならまだ筋は通りますが、上記のFacebookでの野間の行動は、事実関係や問題の性格について指摘されているのに何ら議論することなく、言いたいことだけ口走って会話を終わらせるというものでした。実に雑で卑劣な意見表明です。

 野間は〈後藤さんは何年も前から毎日新聞でほぼ唯一、ヘイト問題を署名入りで全面的にプッシュして取り上げてきた人〉と書いて擁護しています。しかし今回の捏造報道の被害者である抗議活動主催者もまた、C.R.A.Cのアカウント凍結への抗議込みで今回の抗議を呼びかけてくれた人だったはずです。その事実や「被害者」の存在をスルーして「加害者」を全面的に肯定するなんて、こんなクソな話がありますか。

 とりえあずは野間も主催者に対する直接的非難はしてないので(そもそも一切言及していないという、それはそれでひどい扱い)、「セカンドレイプ」呼ばわりするのは勘弁してやりますが、まあなんかそういう類のものに通じる態度だと思います。

 ぼくが書いた記事は野間には「糾弾体質」に見えるようです。しかし、記事に書いてあるとおりぼくは後藤記者の言い分も聞こうとして連絡してるし、毎日新聞に対してもそうしています。後藤記者や毎日新聞社が事後的とは言え合理的な対応をしていれば、当然それも記事になって、「糾弾」とは別の要素も記事に盛り込まれたでしょう。そうならなかったのは、後藤記者や毎日新聞社が「合理的に公正に対応した」という事実を作らなかったからです。

 ぼくが糾弾体質なのではなく、糾弾される側が糾弾されるようなことをしたというだけのこと。もちろん、ぼくがそういう相手に対して容赦しない体質を持っていることは否定しませんが。

 ただしぼくは例えば「毎日新聞は後藤をクビにしろ」とか「みんなで吊るし上げろ」とか「二度とこういう運動の取材をさせるな」とか「後藤が書いてきたこれまでの記事も全部捏造に違いない」とか「毎日新聞なんぞ廃刊にしてしまえ」とか「毎日新聞と後藤記者は安倍政権の手先とか」、そういった類の話は一切していません。捏造記事を書かれた被害者である抗議主催者もそんなことは言っていません。むしろぼくは記事とは別に、Twitterでこういうことを書いています。

 毎日新聞社が組織ぐるみでクソ対応をする以上、仮に後藤記者個人が真摯な事後対応を望んでいたとしても実現しませんよね、という認識です。ただしこれは後藤記者の善意を「想像」と「可能性」で補っての意見ですから、そんなものを記事に含めることはできません。悪意を想像と可能性で補って記事にするのと同程度に、事実関係に対して不誠実な行為です。

 しかし後藤記者の一連の行動の原因が善意なのか悪意なのかはともかくとして、後藤記者への擁護と「被害者」への擁護は両立します。

 後藤記者は抗議活動の主催者に回復不能な被害を与えたわけでもありません。被害者も記事の削除など要求しておらず、そもそも毎日新聞社への抗議もしていません。ぼくの取材へのコメントでも、「謝罪してほしかった」くらいのことしか言っていません。問題を認め、訂正記事でも出して、毎日新聞の報道を口実に抗議主催者をくさした山口貴士弁護士のような連中に正確な事実をつきつけてやれば済む話です。そしてそれは、今からでもできます。

 後藤記者への評価や扱いは、「今回の件はミスか油断かわからんけど、いくないからちゃんと対応しよう」「これからも頑張ってほしい」でいいはずです(毎日新聞社内の論理ではどうか知らんですが)。

 今回の件について毎日新聞側の問題を認めたとしても、後藤記者を見捨てたり全否定したりする必要はありません。

 しかし野間は全否定か全肯定かの2択しか思いつかないほど頭が悪いのでしょうか。前述のとおりぼくは「頭の悪さ」を理由に全否定することもしませんが、それが有害である場合は別です。個人を組織ぐるみで傷つけた側を擁護し傷つけられた個人を守らないことが正しいかのように(しかも事実関係を無視して)公の場で表明し、またC.R.A.Cに向けてそれをアピールするとなると、その頭の悪い態度への同調を呼びかけるようなものですから害悪です。

 今回の毎日新聞のような行いが野間のような頭の悪い態度によって不問にされるなら、「自分たちの役に立つメディア関係者は無理筋でも守り、メディアから組織ぐるみで傷つけられた個人(たとえそれが運動への協力者であろうとも)なんぞ知るかボケ」みたいなことになりかねません。そんなことで、マトモな市民運動が成り立つでしょうか。そんな運動に、一般市民が安心して参加や協力をできるでしょうか。そんなことで「仲間」を守れるんですか。「仲間の価値」に優劣をつけて、使い道がある仲間だけ守るんですか。

 ぼくはC.R.A.Cという集団の顔ぶれやその中での人間関係等々に詳しくないので、今回の件で野間の頭の悪い煽りに乗っかる人が果たしているのかどうかよくわかりません。「野間さんそれちょっと変だよ」と進言できる人間がいるかいないかも知りません。だから野間の頭の悪さと卑劣さと害悪を「しばき隊」とか「C.R.A.C」とか「暴走する自警団」とか「野間信者」とか「反差別カルト」みたいな一括りで云々することは控えます。飽くまでも今回の件についての野間個人への評価です。

 もちろん「リーダー的存在がこの有様で、果たしてその運動は大丈夫なんでしょうか」という疑念もないわけではないからこそ、わざわざ野間個人についての評価を書いているということは、言うまでもありません。

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