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意見じゃない、それは文句

いっぱしに「自分の意見がある!」と
勘違いしていたけれど
ただ文句が言いたいだけだった
と気づいた衝撃

気づいたときはもーほんとに…
ほんとに悲しかった

例えばAさんが
意見を述べてくれたとき
私はあまり深く考えずに
とりあえず共感してしまう

そしていざ会議にて

「生ものさん、Aさんの意見についてあなたはどう思う?」
を求められたとき

(うーん、どっちでもいいなあ、よくわからないし)
と正直思ってしまう

その時はAさんの意見に同意していたのに
いざ決断の時になると
「どっちでもいい」
に逃げてしまう

その時に気づいた
私はAさんの意見に
心から同意をしていたわけではなく
Aさんと意見が対立するBさんへの文句を
一緒になって言いたかっただけ、と

文句を言いたくなることがあってもいい、
自己受容していこ…泣
って思ってはいるけれど
最初に出たAさんの意見を
自分なりにもっと深く考えておけば
会議が有意義だったかなー…
と反省した

私には自分の意見を通すことよりも
「共感したり相手を安心させたり」
というところに
フォーカスを向けてしまう癖が
とても根強くある

それが必要なときは
たくさん共感して安心感を与えればいいと思う

けど、
率直な意見を話すことが求められるときは
自分の意見をもっと伝えられるように
なったほうが無駄なやりとりが減るよねー
という反省のオハナシ

◎疑いの目を持ちながら考える
◎考えの言語化
◎実際にそれを実行したらどうなるか、まで考えておく
◎本質をブレさせない

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