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『逃げ恥』と『この世界の片隅に』と「生活」と

『逃げ恥』最終回の感想を書いたんだけど、なんとなく『この世界の片隅に』のネタバレが含まれています。

原爆投下に遭遇したもののなんとか生き延びたヨウコ。幸運にも優しい夫婦に保護され、呉に移り住む。10代の頃、同居していた女性の養子となり、母とともに亡夫の実家がある下関に移り住む。長じて同じ山口県内の津崎家に嫁ぎ、子と孫に恵まれ幸せな生涯を送る。孫は京大卒業後、東京でシステムエンジニアとして働き始める。そう、彼の名は津崎平匡。

……なに書いてんだこいつという感じだけど僕もそう思う。でも、『この世界の片隅に』で最後に生きていた女の子の孫が津崎なんじゃないかって思ってしまうほどに、『この世界の片隅に』と『逃げるは恥だが役に立つ』は同じことを描いていると感じた。

細かい部分で見ても共通点は多い。どちらもスタート地点は結婚なのにそこに恋愛感情が存在していなかったりとか、旦那が両方暗いとか、主人公の豊かな創造力とか異常なほどの愛らしさとか、演じている二人の女優が同じ雑誌出身で同じ事務所に所属してたとか。その辺はどうでもいいけど、一番の共通点はともに「生活」の尊さを描いている作品であることだ。

どちらの作品も食事の描写が効果的にされている。福田里香さんがいうところのフード理論だけど、食事は命の根源であり生活の根源でもある。その食事によって登場人物の感情の機微が表現されている。こういう食事に代表される生活に感動するのって、そこに人間の感情が存在するからじゃないか。すずたち家族の日常で描かれていたものと、津崎が徐々に開いていったのは、どちらも生身の感情だろう。

このふたつが作品として優れていたのは、ミニマルな生活を描くことで、『この世界の片隅に』なら戦争という、『逃げ恥』なら(多様性に不寛容な)社会という、大きな物語を批評していたことだと思う。ただ、以前も書いたように、『逃げ恥』と『この世界の片隅に』自体には旧来的な物語は存在してない。どこにでもありふれている感情が、これらの作品にもあるだけだ。だからこそ、だれでもそれを実感できた。丹念に生活を描いているから、そこに内包される感情の尊さを突きつけられたのだ。

どちらのエンディングも、見た人が自由に想像できる構成になっている。だったらあの少女が津崎家に嫁いだくらいの想像をしてもいいじゃない。終わってもまだ自分を飽きさせないこの二つの作品に、2016年の最後に出会えたことは、とても幸せだったと思う。


お金よりも大切なものがあるとは思いますが、お金の大切さがなくなるわけではありません。