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誕生日に

12月25日は父親の誕生日だ。と言っても父は15年前に死んでいて、歳は49で止まったままだ。父親の記憶は山ほどあるけど、何かこれってのも思い浮かばない。ああ、隠されたスーパーファミコンを勝手に見つけ出したら、椎茸の原木で殴られそうになって、かわしたら兄貴に直撃したことがあった。子供の頃の12月25日の思い出も、母親が用意したチキン的ななにか、甘辛く煮た手羽とかが食卓に並んで、誕生祝いなんだかクリスマスなんだかよくわからない気分になったことくらい。

父は2001年の9月10日に亡くなった。アメリカ同時多発テロの前日だ。葬儀場のテレビで見たワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込む姿が衝撃的で、この記憶はいつもセットで思い出される。顔の広い人だったけど、突然のことだったので葬儀より随分経ってから知った人が多かった。僕もしばらく経ってから「お父さん、大変だったね」とよく言われたので、その度「そうなんです、あのテロで……」と適当に答えていたら、本当に父がアメリカのテロで亡くなったという噂が一部で流れてしまい、母親にめちゃくちゃ怒られた。

父が亡くなった日のことは大昔ブログに書いたことある。

父の死

僕の中での一番のすべらない話で、今まで50回以上は人に話してると思う。話す相手や状況に合わせてディティールやオチを変えていたら、複数回聞いた編集者の先輩から「もはや落語だよ」と言われた。また機会があれば誰かに話したいと思う。

というわけで父の誕生日。時代、場所、言葉、民族と、何一つ自分と共通点のない人の誕生日は祝いづらいけど、一親等親族の誕生日なら祝える。キリストの誕生日と思うよりも、父親の誕生日と思ったほうが優しくなれる。

僕の好きな人たちが、もっと幸せになりますように。全然好きじゃないしむしろ極力関わりたくないような人たちも、ちょっと幸せになりますように。もうなんでも構わないから、世界中すべての人たちが、少しでも幸せになりますように。


お金よりも大切なものがあるとは思いますが、お金の大切さがなくなるわけではありません。