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春風と残像

1.思い出たち

ベッドに横たわりTwitterを見ていた時、タイムライン上に流れてきたとある方の訃報に思わず声を上げてしまった。
青春時代には彼の作品を見て娯楽を楽しんでいたりもしたものだから、ただただ悲しいの一言に尽きる。

最近は『死』について考えることが多い。
他者の訃報に触れた時、強烈な無力感に苛まれる時がある。
自分のこれまで生きてきた人生に、何かしら影響を与えてくれてくれているという実感がある時は特に、である。
だから、今回の報に接した時、彼の出演していた作品の数々が思い出や記憶と共に僕自身の心に次々と浮かんできたことは、彼が僕に大きな影響を与えてくれていたということを再認識させることになった。

僕の心に色んな想いを届けてくれる素敵な人は有名な方、そうでない方問わず沢山いるのだけれど、よりによって彼らのその偉大さを確認するのは、今回のような別れを通して、であることが少なからずある。

2.解釈と想像

人間は『解釈』をする生きものだから、致し方ないのかもしれないが、それでもやはり解釈が悪い方に向かってしまうと残念でならない。

解釈とは、物事の意味を受け手の側から理解することであるというが、文字通りの意味でここに危険性を孕んでいると思う。
というのは、受け手の側のみの一方通行での理解になってしまうからだ。
だから、自分の都合のいいような解釈を相手に向けた先に待っている未来はそんなにいいものにはならないのかもしれない。
人間は『解釈』の他に自分以外の他者を『羨む』生きものでもあるから、特に社会の矢面に立つ人にその矛先が向けられやすくなってしまうのは、彼らの成功の足を引っ張りたい心理が働いているのだと思う。他者に対してネガティブに働いた解釈が文字となって可視化され、そして蓄積してしまう。厄介なことに、その言葉たちは残り続けるし、消されたとしても心の中で生き続ける。意図していなくても、誰かを傷つけ続けることがあるように。

解釈をするなということはできないし、そもそも僕自身はそのような誹謗中傷を受けたことがないから、受けたことがある方のお気持ちは想像でしか分からない。どんな精神状態になるのかも分からない。もちろん言葉の暴力を受けたいと言っている訳でもないのだが、だからこそ、『想像』することが必要なのではないかと感じている。
解釈をした後、その解釈を相手に向ける前に一度立ち止まって考えてみる。「この解釈を伝えたら相手はどう思うだろうか」そんなことを想像してみる。
ほんの少しかもしれないけれど、未来がいい方向に変わるかもしれない。

今僕たちに必要なことの一つは、立ち止まって想像してみることなのではないか。心という実態のないものを想像してみること、相手との双方向のコミュニケーションを架空でやってみることは、相手との関係値を育む上で非常に大切なことだと思う。

3.居心地調整

作家・平野啓一郎さんの著書『私とは何か――「個人」から「分人」へ』を思い出した。
個人は小人のような分人で構成されており、その小人の大きさや比重は様々な環境要因によって異なるのだと言う。

「この人といると居心地がいい」といった気持ちにさせてくれる他者とは今後も関わりたいから、その人と接する分人が個人の中で占める比重は大きくなり、逆に「この人とはあんまり合わないな…」といった気持ちになる時はその分人の比重が小さくなる。なるというよりかは、意識的に大きくしたり小さくしたりできるのだと思う。
コミュニケーションの仕方ひとつで、相手にとって自分が居心地のいい対象になることも可能だと思うし、その逆も然りである。上述した『想像』を意識しながら僕と関わってくださる他者と接していきたい。

4.受け入れる

人が一人でできることには限界があると思っているので、僕一人で大層なことはできないのであるが、そんな僕でもできることがあるとすれば、それはSNSで何か綺麗な声明を出すことでもなく、今、目の前にいる大切な人に『ありがとう』と伝え、受け入れ続けることなんじゃないかと思う。それで相手が居心地よく感じてくれたり、少しでも「この人にだったら相談してもいいかな」と思ってくれるのであれば、それこそ本望である。苦手な人がいないといったら嘘になるのだけれども、生きて、他者と交わることができることに幸福を感じるのだから、僕はどんな人でも受け入れ続ける努力をしてみたいと思う。しがらみや苦しみで絡まった糸が少しでも解けることを信じて、伝え続けたいと思う。


こうやってつらつらと、しかも目次や見出しまで付けて書いている僕は非情なのかもしれない。責められるべき対象なのかもしれない。それでも迷った末、どうしてもこの想いが誰かに届いて欲しいと思ったから、稚拙な文章だけれども、公開することにした。そして、改めてこれから自分が生きていく上での行動指針としても残しておきたい。悪しからず、ご容赦いただけると嬉しいです。

彼の作品の思い出が僕の心に残り続ける限りは、直接的に交流があった訳ではないけれど、彼の分人は生き続けると思う。

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