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【必然?偶然?或いは...】「運」はどこからやってくるのだろうか?

世の中には運が良い人がいます。

人はまた、「あの人が運がいい人だからとか
運が悪かった」などと言います。

仕事や活動を続けていく上で
この運というものが作用することは多いにありますし、
そのことによって、事が成されるのだとも思います。

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

という言葉がありますが、

この「不思議な」というところに運が関わっているのかもしれません。

この運というものは一体どういうものなのでしょうか。

運は偶然なのだろうか、それとも必然なのでしょうか。

大学を卒業してから、作家を志す人はたくさんいますが、
20年後も生き残っている人はめっきり少なくなっているように思います。

何かを思い立って、実際に行動できる人は
100人中1人だと言われます。

またその中で、5年10年・・・と継続していける人は
そこからさらに100人に1人になるということを
何かで読んだことがあります。

したがって、どの道でも10年続けれる人は
必然的に10000分の1という確率になるのです。

運というものは、自分の外部から
やって来るものだと思う人がいるかもしれません。

だから、先ほどの「あの人は運がいいから」という言葉につながるのでしょう。

しかし、実際は運は外から来るものではなく、
内から生み出していくものではないでしょうか。

【鍛錬】たたき上げ、磨き上げていく先にあるもの

ところで、合気道を10年以上やっていますが、
稽古の中で「鍛錬」という言葉を聞きます。

辞書には「金属を打ちきたえるように、
修養・訓練を積んで心身・技能を立派にすること」とあります。

だからこそ、その刀は鋭く切れ、
一瞬の隙を逃さずに相手を殺傷する力を発揮するのです。

2人の刀鍛冶が阿吽の呼吸で、
ひたすら鉄を叩き続けることにより、
それは、少しずつ刀に姿を変化していく。

僕は「運というものは
自分で練って鍛えていくものなのではないか」
とも考えています。

練り続けることによって生み出される何かの存在。

それが運の正体の1つではないでしょうか。

そういえば「運・根・鈍」という言葉を知る機会がありました。

「運」を得るには「根気」がなければ得ることができない。
「根気」はある程度の「鈍感さ」がなければ生まれてこない。

この話をある人に話をしたら
昔からある商い言葉なのだといいます。

古の諺や言葉は、数多くの経験則から得られたデータの蓄積です。

いつの世もその社会を形成しているのは人であり、
つまりは人の心なのです。

古今東西、生活が豊かになったり、利便性、見る風景は変遷しているものの
人の心理や哲理はほとんど変化していないようにも感じています。

運は外から「はい、どうぞ」とやってくるものではありません。

平素の小さな事実の積み重ねの集積が
運というプラスαのエネルギーへ変換されていくのだと思うのです。

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