豊島紀 ⑮将棋界の一番長い日、『純情順位戦』豊島将之の巻、を読む
朝日新聞の将棋連載『純情順位戦』、毎回一人の棋士のドラマを描くこの連載に、いきなり豊島が登場した。これは掲載前日に出た予告動画。予告動画だけでも界隈は阿鼻叫喚の大騒ぎになったが、本編を紙面で読むともっといろいろ衝撃的だった。朝日新聞も「ここでこれをぶつけてやるぜ」的な力が入ってるとみたな。このシリーズ初の前後編ですよ。
豊島で 満を持しての 前後編(一句)。
これを私は、将棋界の一番長い日、大盤解説のサテライト会場の、座り心地が悪くて尻が泣くようなパイプ椅子に座って、読んだ。読んでなんともいえない気持ちになった。不安なような、じっとしてられないような。泣きたい気分にもなったが、それはこれを読んだ多くの将棋ファン豊島ファンの人が「泣けた」と言っていたのとは少し意味がちがうような気がするけれども。でもまあ、いろいろとショックを受ける記事ではあった。
ことに、豊島が「自分には才能がない」と言い切っているところ。才能を持つ人は往々にしてそういうことを(意識的にせよ無意識にせよ)言いがちなものだが、豊島が言ってるのはそんなふわっとしたことではなかった。「史上最年少奨励会入会」「16歳で棋士」で才能ないわけがないだろうと誰でも思うところだけど、
棋士になる人の平均ぐらいのスピード、と具体的に数字を出してくる。才能がないということを、人を煙に巻くために言ってるんじゃない、なんとかわかってもらおうとしているのがあまりにも生々しくてガーンときた。豊島さん本人がきっと自問自答を繰り返して出した結論なんだろう。もともとハッタリが皆無の人だとは思っていたが、こんなこといちばん他人に知られたくない、いや自分ですら気がつきたくないことじゃないですか。
(永瀬さんお名前間違えてすみません永瀬拓「矢」です)
幼い頃から将棋の強い子どもが、どんなに自制心のある子だって、いい気にならないわけがない。その子が成長していつの日か「自分は自分が思っているほどの能力がないのでは」とふと気がついた時にどうするか。ふつうは自分の気持ちをごまかしごまかしやっていくもんだが、ここで豊島はきっちり絶望したのだ。水のなかに足からドボンと飛びこむ。そのままずーっと沈んでゆく。沈んで沈みつづけて、やっと底に足がついて、そこから底を蹴り飛ばしてまた水面まで上がってきた。すごい人だ。
そして、私が「豊島将之」を知ってからずっとこだわってるのが、「対人研究をいきなりぜんぶやめた」ことなんだけど(すごいことをやったもんだ、という意味で)、
すごい重要な証言来たし。「強い人に敬意を払う世界なのに」。これにはしびれた。将棋が強ければ、カナブンでもナメクジでもスズメでも、豊島は敬意を払うだろう。教えを請うだろう。そこに豊島の凄みがある。
私は前からちょくちょく「豊島将之は身も蓋もない人だ」「棋風も、身も蓋もない」と言っている。この『純情順位戦』を読んだらその思いがさらに強固なものになった。つまり豊島さんは「強さ」を絶対のものだと思っているしその考え方に従って行動する。ふつう、人は、「強けりゃいいってもんじゃない」「いくら強くてもそれだけでは」みたいなことを言いがちなものだが、豊島さんは「強ければいい」と信じている。だから「コンピューターソフト」のほうが強いと思えばそちらと研究する道を選ぶ、躊躇なく。自分が強さを獲得するために、不要なものを斬り捨てる。その刃の鋭さといったらもう。
「自分には才能がない」とA級の棋士が言うなら、B級やC級や、いやそもそもプロになれなかった人はどうなるんだ、……なんて言っても、豊島さんにはピンとこなくて「あー…そうなんですか」って言うぐらいかもしれない。豊島将之は「将棋の強さ」という太陽だけを追い求めているんだから他のものなんか見る気はない。言い訳なんかする気もないだろうし、そもそも言い訳なんか最初からなさそうだし。
そういう人が、あんなに地味で静かで、箱の中で絹にくるまった真珠みたいな人だ、というのがまた……はあ…(タメイキ)……われわれは、とんでもない人を見させていただいてるんだなと思います。
以下どうでもいい話。
『将棋界で一番長い日』の大盤解説サテライト会場は哀しかった。対局をやってる浮月楼から歩いて10分ぐらい離れたコミュニティセンターの大会議室みたいなところにパイプ椅子がばらばら置いてあって、それほど多くない客が好きなところに三々五々座っている。前方のステージの壁(スクリーンじゃないよ)にうすらぼやけた大盤解説会場の映像(youtubeでやってたのと同じ)が映されている。私は大盤解説のチケット当たったと思って喜んで徳島から静岡まで行ったらこの会場で、入った瞬間帰ろうかと思った。こんなもん、家でABEMAかyoutube見てたほうがよっぽど快適だよ。しかしこの会場に来たたぶん三十人弱の将棋ファンは、浮月楼にいる棋士にも記者にも将棋ファンにも忘れられた存在であった(だろう)にもかかわらず、最後の対局が午前零時に終わるまで、黙ってじいっと、パイプ椅子に座りながらぼやけた映像を見ていたのである。「見返りも求めず将棋を本当に愛する客はここにいた」と言いたい(負け惜しみか……)。
私は物事のどーでもいいようなことにすぐひっかかるタチなので、『純情順位戦』の記事でも、最初にどうでもいいことにひっかかった。豊島の将棋との出会いが、4歳の時にテレビで将棋を見て、秒読みの儀式に心を奪われたというエピソード、このエピソード自体はいろんなところで読んで知ってたが、この記事でそれが『NHKスペシャル 対決~羽生名人と佐藤竜王~』で午後九時オンエアだと書いてあった。時刻は新情報だ。そこで思ったんですけど……、
「4歳で午後九時は眠かったのではないか?」
つーか、4歳にしちゃ夜更かし? あと、豊島さんちは、豊島が奨励会の時分にはテレビがない家だったみたいだが(意識の高さを感じる)、豊島家からテレビが廃されたのはいつの時点だったんだろうか。
あーどうしてそういうどうでもいいことにひっかかってんだ私は。あと、記事の地の文で「名人竜王」ってのが出てきて、ふつうは「竜王名人」て言うだろう、やはり名人を先に書くことが朝日の矜持か、とか。ほんとにどうでもいい。でも気になったので書きました。
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