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豊島紀 ㉚佐藤天彦と菅井竜也のトークを聞いて思うのは豊島将之のことだった

サムネの画像が「天彦せんせいとの婚約会見で照れてる菅井さん」みたいですが、ちがいます。八月二十日(日)、両国将棋センター主催『「王道」が個性を磨く 〜A級棋士の真髄を堪能せよ〜』の一コマです。

このイベント、解説者と対局者が喋りまくりながらやる席上対局とか、居飛車党トーク、振り飛車党トークとか、いろいろ盛りだくさんだった(4時間以上の長尺イベントでした)んですが、私はとにかく、

佐藤天彦と菅井竜也が二人で語る……!

のを見たくて行ったわけです。そしてそれが想像以上に面白くて、さらに考えさせられたのでそのことについて書く。そもそも、佐藤天彦と菅井竜也が「合う」とは思えなかったもんで(すいません)、二人でしゃべってどういう空気になるのかをこの目で見たかったんです。しかし、佐藤天彦と菅井竜也、ばっちり「合ってました」。なんだよ、研究会とかもやってたのかよ。それも菅井さんが佐藤天彦の家に行ったって。なんか衝撃的だ。菅井さんの語る「佐藤天彦邸における佐藤天彦のあまりに佐藤天彦らしいたたずまいと振る舞い」には笑いましたが、そんな交流があるとは思わなんだ。考えてみれば、佐藤天彦も菅井竜也も「しゃべりが面白い」ことでは棋界屈指の人なので、二人合わされば面白くないわけがなかった。

で、この二人が、現在の将棋について語った部分がほんとに面白くて。「トーク内容をそのままの形でインターネット上で公開することはご遠慮ください。(ご感想の中での部分的な引用程度でしたら結構です)」というのが主催者の要望ですんで、抵触しない程度に書いてみます。お二人は主に、「AI将棋時代において自分たちが現在の将棋に感じていること」について語られたわけだが、何が面白かったって、このお二人は、

「自分たちはAI将棋時代の“本流”ではない」

とはっきり意識しているお二人だったということ。菅井さんは「振り飛車を貫く」人で、天彦せんせいは「横歩取りを追究」していて、AIが「そう指すと評価値が悪いぜ」と言ってもビクともしない。菅井さんの振り飛車には「天地に我一人となろうとも飛車を振って勝つ」という勝負師の信念が感じられるし、天彦せんせいの横歩は「いかに自分が将棋に面白さを追求できるか」という美学の発露である。そういう二人がAI将棋について語れば、自ずと、

「AI将棋への批評」

になる。この批評がとにかく面白かった。AI将棋の批評って、よくあるものとしては「暗記将棋」というのがある。先に教科書ガイドで答えをぜんぶ覚えこんでおいて回答欄には暗記したものをダダーッと書いていく、というようなイメージですよ。しかし将棋AIにおける研究とか予習がそんな単純なものではないというのはちょっと考えればわかる。そもそも何万手何億手という将棋の、すべての局面を暗記できるわけないし。もし、批評をしようとするなら、

「AIに提示された手を、どのように受け入れるか」

……でしか論じられないのでは。

ボクがあげるキャンディはどのように受け取ってもらえますか?

しかし、そういう話があんまりないんだ。ことに、それを語るプロ棋士、それも現A級棋士の話というのは案外ない(渡辺明がやや長めに、豊島がちらっと触れたことはある)(私の知らないところでさんざん語られていたらすみません)。

菅井さんと天彦せんせいの話がまさにそれだったのですよ。天彦せんせいが「ずっとこんな話しちゃってますけどいいんですかね? 皆さん半分眠ってるんじゃ?」、菅井さんが「皆さんつまんなそー(笑)」とかおっしゃってたが、これこそ私が聞きたかったものだ! もうギンギン! 5時間ぐらいやってくれ!

天彦せんせいの将棋観は、「将棋というのは最高に高度で精密な遊び」であり、「それをどれだけ面白く、かつ洗練させるか」を楽しんでるようにお見受けした。プロ棋士なので勝ってナンボであるが、勝つことは「美しく楽しいことの末にある」という精神ではなかろうか。パンがなければお菓子を食べればいいじゃないという棋風

ポンパドールは暑いので思いきってテクノカットにしました(嘘)

お二人とも、AIで研究するのは当然として、AIに何か言われた時、「アンタはそう言うけどオレの考えはちがうんだよ」「ボクはこれで何十年やってるんですけど、何か?」と、真顔でまず言い返している感じなのだ。

菅井さんの発言で、

「若い子たちの将棋を見てると、十年後にもその手を指してるのかなってきいてみたいことがある」

というのがあって、「すげえ、なんという辛辣な批評」と思った。AI研究について語られた発言で、これほど本質を突いたものはないんではないか。菅井さん、「ボク、格闘技のヒョードル好きなんですけど、あの人、最新の科学的トレーニングとかやらないで山ごもりとかして、それで科学的トレーニングやってる若手にガンガン勝つんですよ!」「そういうのが好きなんですよ!」とも言ってて思わず笑っちゃったが、こういう話を聞くと、タイプは違うが、佐藤天彦と同じぐらい菅井さんは美意識高い(=自分の好きなことに関しては拘りの強い)人なんだなと思い知らされた。

美しいUNIQLOと美しいANN DEMEULEMEESTER

しかし──、菅井さんと天彦せんせいの、楽しげに語られる将棋観を聞いていて、どうしても考えるのは豊島将之の将棋についてだ。佐藤天彦タコヤキパーティーの時に、天彦せんせいにきいてみた、

「将棋のAI研究の行きつく先はどうなるのか」

という質問は、つまり「豊島将棋はこの先どうなるのか」ということを聞きたかったのをオブラートに包んだようなものなので、

天彦せんせいの返答を聞いて深く考えこむことになった。そして今回のこの対論である。

佐藤天彦、菅井竜也がAI将棋時代の「傍流」だとすると、豊島は明らかに「本流」である。どっちがいいとか悪いとかって話ではない。本流というのは、上で菅井さんが言ったような、AIが示した手を最新形とばかりにぱちぱち指すような人のことではない。ではどういうものか? 

「AIの言うことをきく」んではなくて、「AIと一体化する」

将棋のAI研究って、つきつめればそういうことだと思う。ことに豊島さんは「将棋が強いもの」に対して無条件の尊敬がある。たぶん世界中で今いちばん将棋が強いのは将棋AIなので、AIと結婚したいぐらいなのではないか。あるいは「私は機械になりたい©Andy Warhol」か。機械になって、その都度最強の将棋AIを取り込む。機械としての能力も日々アップデートさせる。GPUは最高性能のものにガンガン取り換える。豊島将之の実体はコンピュータのガワだけ、そういうものを目指している。今のところ、体組成計に乗ると「体将棋AI率」が16パーセントぐらい。「あー…まだまだだ」と風呂上がりにつぶやく豊島将之。

(豊島九段は最近、一時の「角換わり一辺倒」みたいな将棋から離れていろんな戦型で戦う人となっていて、これをして「AI研究の傍流への移籍」と捉える人がいるかもしれないが、本流とは「勝利を追求する」、傍流は「美学を追究する」なので、豊島さんの場合はどう見ても「勝利のため」にそれをやっているから本流であることは動かせない)

「そちらは本流! どうぞ!」

なお、AI将棋研究の「本流」は、豊島将之ひとりではなく永瀬拓矢もそうだ。豊島と永瀬が本流の「二大巨頭」だと思う。しかし、この二人、同じ流れの二大巨頭だけどぜんぜんちがうよな。この違いが何なのかというのはずっと気になっている(し、解明するのはコワイ気がしている)。王座戦第一局(永瀬拓矢vs藤井聡太)、棋王戦トーナメント(豊島将之vs八代弥)を二日連続で見たが、二人とも角換わりで(永瀬は後手番で)それなのにあんまり見たことないような戦型で勝っていた。求める地点は同じだが行き方がちがうって感じですかね。永瀬のは「ナイフで心臓をグサッ」、豊島のは「針で延髄をブスッ」とでもいうか。どうも豊島が対永瀬に分が悪いというか、苦手意識があるというか(それは私がそう思ってるだけだが)、そういうのは今のところ、ナイフと針との戦いだからかもしれない。針一本でも青竜刀と対等にやりあうことは可能であるので針先をとぎすませてくれ、と勝手に思う。

しかし本流とか傍流とか巨頭とか言っているが、そういうものの中に「藤井聡太は入っていない」っていうのがすごいよなあ。なんか別次元におる。このイベントで菅井さんは、「藤井くんはA級じゃなくてS級」「A級の棋士は藤井くんのまわりをうろちょろしてるだけ」「藤井くんと対局をする相手しかプロ棋士として見なされていない」(言葉はすべて私の記憶で書いてますのでニュアンス違ったらすみません)と言っていて、なんというか、まあその通りだなあと思います。次は倒すだけですね(©古性優作)。

あ、ハイ、そうですね、私はどこにも入ってません


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