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豊島紀 ㉙トヨシマは荒野を目指す


8月4日、朝から斎戒沐浴して座禅を組み滝があれば打たれたいぐらいの気持ちで、ほとんど食事も採らぬまま王座戦挑決の藤井聡太対豊島将之戦を見守っていたが豊島は敗れた。終局後しばらく、このまま世界が太陽につっこんで焼け落ちてしまえぐらいな気分に陥っていたが翌朝には朝食を食べ読みかけのマンガの続きが気になって読み始めた。所詮その程度のことだ。

この対局は「名局」らしい。そうですか。将棋とはただの勝敗ではなく「後世に棋譜を残す」ことであり、それが文化であり芸術ということであり、芸術は長く人生は短し。そうですか。ならば問いたい。飢えた子の前で将棋は何をできるのか。

「あー………………何ができるでしょうか」

豊島の、直近の敗戦二戦を見て思ったことがある。竜王戦挑決トーナメントの永瀬拓矢戦と、4日の王座戦挑決の藤井聡太戦。豊島の負け方──というか投了図について考えさせられたのである。

別冊宝島『将棋王手飛車読本』(1998年刊)で「あなたはどのように投了するか」みたいなプロ棋士へのアンケートがあり、谷川浩司(当時竜王名人)が「負けと思ったらあまり見苦しくない局面まで進め、負けましたと言う」だったか、そんな回答を寄せていた(現物が今手元にないので確認できないがだいたいそんな感じ)。別冊宝島のせいなのか、わりとウケ狙いっぽい回答(死んでも投了はしない的な)が出てたりしてた中のこれ。アンケートをまとめたライター陣が「谷川先生はちがう」「美しい」と感動していた。河口俊彦の本にも「(谷川将棋の)格調の高さは比類ない」と書かれてたりしたし、将棋読み物の最初にこういうものを読んじゃったせいか、「格調の高さこそ美であり正義」みたいに刷り込まれてしまった。ま、ふつうそれが間違ってるとは思いませんよね。

しかしその頃は棋士は見てても将棋は見ていなかったので、投了するということの意味がわかっていなかった。投了するということがプロ棋士にとって「最後の自己主張の機会」であり、そして「見苦しくない局面まで進めてから投了する」ということがはたしてほんとうに美しいことなのか格調高いのか、──いや、そもそも将棋において美しいこと、格調高いということは正しいことなのか? そんなことを、豊島に出会ってから考えている。

(そういえば、朝日杯有楽町の大盤解説で、菅井さんの指した検討手に豊島先生が「格調高い手ですけど(笑)」「この人笑いながら格調高いって言いましたよ!(笑)」というやりとりがあって印象に残っているのだった)

豊島永瀬戦の終盤の盤面を見て、

荒野のようだ……

「棋力がすべての問題を解決する」と言い切る男(豊島さん)がぎりぎりまで戦いつくしたあとに残ったのは、あらゆる雑草も木の根っこも食い尽くされ、乾いた赤土と石と枯れ果てた草が見渡す限りひろがってるような盤面。

転がる石が駒に見えはしないか

私は何かを見すぎてるのかもしれない。しかし豊島将之が通ったあとには草一本生えないものを感じてしまう。そんな荒野にぽつんと立ってる豊島さんの、少し丸まった背中が見えるのだ。凄惨でありある種の美しさはあるが、これは格調高いというものとは対極の景色である。そういえば豊島さんの終盤は「光速の寄せ」(むかし意味もわからず憧れた)というのからも遠い気がする。そういえば、『将棋フォーカス』の将棋講座でご教示される「ぱーふぇくと、げーむ!」な一手も、すごく地味で、光じゃなくて闇の落とし穴っぽい。あの将棋の終盤の盤面は、すべての生命が死に絶えた世界。ちなみに永瀬拓矢は土を喰らって幽鬼として生き延びる気がする(それは生きていると言っていいのか)。

そして王座戦挑決の藤井聡太戦。この対局、一分将棋になってから五十分以上も続いたそうですが(そんなに長いこと一分の応酬してたとはぜんぜん感じなかった。体感十五分ぐらいだった)、この投了までの行き詰まる応酬にも荒野が見えた。

この一分将棋の応酬をネットで見つめていたが、今は当然のように複数の候補手とそれぞれの評価値が出る。藤井聡太の将棋というのは終盤、どの候補手も評価値は(良くても悪くても)それほど変わらず、静かに終局することになる。それが藤井曲線というものの残酷な実態をよく表したものだと思うが、この王座戦挑決終盤において、「一つの候補手のみ正しく、それ以外は敗着」な局面が延々と続き、息をするのを忘れかかった。どっちかが最善手をはずしても相手にまた「一つの候補手のみ……」の局面が襲いかかる。蜘蛛の糸をより合わせてつないで、その上を綱渡りするような局面がAIによって示される、その綱渡りが五十分続いた。それはまさに

精緻な殺し合いの荒野

でしたね。しかし「永瀬拓矢と戦う荒野」と「藤井聡太と戦う荒野」の景色はなんかちがう。豊島と藤井聡太の荒野にはサワサワと草が生えている。風が吹くとはるか彼方まで草がサーッとなびいていく。嵐が丘みたいな。サワサワサワサワとひたすら草がなびいている死の景色。

「サスケ、お前を斬る!」「サスケちゃうから……斬る」

その中にぽつんと立っている豊島さんの、少し丸まった背中が見えた。私は豊島さんに会ったらきいてみたいよ、

なんでそこまでして将棋やるんですか

と。べつに答えはきかなくてもいい。豊島さんだってそんなことはわからないだろうし。ただ、豊島が負けた対局を見ていると思うのだ、豊島将之は将棋に飢えている。将棋に飢えた豊島の前には将棋しか要らないだろう。食い物なんかいらない。でも昼も夜も頼みますけどね。

しかし、この王座戦挑決が決し、感想戦が終わった頃合いに、

これがツイートされたのにはどよめきがわき起こりましたね。まあ予約投稿なんだろうと世間では言っていますが、予約だとして、予約時間を入力している時に「この時間にはもう感想戦も終わっているだろうし」とか思い、その時に自分が勝っているのか負けているのか、考えたりしたんだろうかが気になる。私としては、感想戦も終わり、ロッカーに預けてた荷物を取り出してスマホを見て、「あー……そうだ、気楽に見ていただくんだった」と、ポチポチ打ってリアルタイムツイートをした、と思うことにします。

翌々日にはややワイルドな髪型でいつもの通り講座に出ていらっしゃり、私はそれを見ながら、「豊島に飢えた子供の前で豊島はなんという栄養だろうか」と思ったのだった。

NHKのヘアメイクはさらに攻めてきている

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