見出し画像

勉強は楽しくやるもの

みなさんは勉強が好きですか?

この問いに、全力でYESと答えられる人はあまりいないと思います。

小さい頃から、学校で何時間も授業を受け、大量の宿題を出され、

定期テストで学力を計られる。

そんなカリキュラムをこなしているうちに、

勉強は苦しくて辛いものというイメージを持ってしまっている人も多いと思います。

ぼくは現在、京都の学習塾に勤務していて、

中学生に英語と数学を教えています。

そこでは、150人ほどの生徒がおり、毎日生徒に勉強を教えています。

中学1〜3年生を担任に持ち、毎日教壇に立っているわけですが、

ぼくが一番抵抗を感じるのは、

ほとんど全ての生徒が勉強が大嫌いだということです。

勉強ってつまらない。

勉強なんてやっても意味がない。

そう思っている生徒が本当に多いです。

本来勉強は楽しいものです。

新しい知識を身につけ、今までの自分の狭い視野を広げることができ、

新たな考え方に触れることで、刺激になります。

これは何も、数学の公式を覚えたり、英語の文法を覚えたりすることが楽しいと言っているわけではありません。

この世の中で生きている限り、自分が知らなかった世界に触れる機会はたくさんあります。

今で言えば、SNSで流れてくるストーリーをみたり、

流行りのファッションをとりれたり、

新しい友達と出会ったり。

人生は新しい知識に触れるからこそ、そこから自分自身を深く知ることができ、

好奇心が生まれていきます。

好奇心が生まれることで、もっといろんなことを知りたいという思いが生まれてきます。

SNSなどの学びと、学校で習うさまざまな教科の「勉強」の決定的な違いはなんでしょうか?

ぼくの結論は、「肌感覚を持って、実生活と結びつけられるかどうか」ということです。

SNSや、ファッションを学ぶ場合、自分自身の理想の姿をかなり繊細にイメージすることができます。

例えば、

「こんなインフルエンサーのようになりたい」

とか

「こんな服着たら、こんな自分になれそう」

という感じです。

つまり人間は、自分の理想像が鮮明であり、

その理想像に近づくためなら、

自分から進んで「勉強」をする生き物なんです。

では、なぜ学校での勉強は、みんなモチベーションが上がらないのでしょうか。

答えは簡単で、自分の理想像と勉強することが一直線上にないと思っているからです。

「数学の因数分解をやってなんの意味があるの」

「ITが進んだこのご時世に、漢字の練習なんて意味があるの?」

というように、意味不明にただただ学ばされているんです。

それでは当然、自分から進んで勉強をしようと思わないどころか、

完全無意味な超退屈なものとして、子供たちの目に映ることは明らかです。

実際に、このような子供の価値観を形成している大きな原因は、

勉強を教える大人が子供に勉強の意義を伝えられていないからです。

大人がもっと子供の明確な道筋を示すことができたら、

子供は進んで勉強をするようになります。

しかし、結論を出すことを急がず、もう少し深く考えてみましょう。

子供が勉強に価値を見出せないのは、大人のせいだと言いましたが、

ではなぜ、このような大人が増えてしまったのでしょうか。

どんな大人も、毎日一生懸命に働いています。

そして、子供の将来を常に見守っている存在です。

なのに、なぜ子供に道を示せないのか。

それは、その大人たちも道筋を明確に示されることなく大人になったからです。

つまり、子供が勉強が楽しくないと思うのは、大人のせい。

その大人が勉強が楽しくないと思うのは、それより上の大人のせい。

というような無限のスパイラルになります。

そして、そのスパイラルの最終地点にまで行くと、

日本の教育制度にぶつかります。

今の日本の教育は、会社員にするための教育だという人がいます。

「右向け右」

「前えならえ」

集団行動からはみ出した行動をすることは、悪いことだという風に教えられるからです。

その結果、会社にとっての都合のいいコマにするための教育だという理論です。

確かにそれもいちりあると思いますが、ぼくは日本教育の反対者ではありません。

実際に、学習塾に勤務しているので、義務教育のカリキュラムは把握しているつもりです。

ぼくは、義務教育のカリキュラムは素晴らしいと思います。

国語の質の高い文章に触れたり、体系的に歴史や地理公民を学んだりすることは、

この世の中を生きていく上で最低限知っておかないといけないことだと思うからです。

しかし、それを教える人たちが、よくない。

続きはまた気分が乗ったら書きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?