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こちら映画「変な家」を観た勢いの
感想駄文となります。
ネタバレも含む可能性もあり
未鑑賞の方はなるべくお控え下さい
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まずこれだけは冒頭に書きたい。
「また同じ事をするのですね」


異種の才能を否定するつもりは微塵もないのですが、作り手側が「所詮●●だからな」と、受けて側のありがちな陳腐な感想を引き出しているのでは?と思わされる瞬間は、やはり気持ちの良いものではない。

今回で言えば「所詮、YouTuberだからな(原作が)」この感想から逃れるのは、かなり難しいと思う。

ただし、原作者に責はないと私は思う。ただ単純に、原作が持つエンタメに対するパワーが、コンテンツとしてのボリュームが、対:映画という環境において足りなかった、しかも、映画に転換する作り手が、そこを何とかしようとしなかった…出来なかったに尽きると思う。

繰り返しになるが、異業種の才能を否定する気は全くない。近いところで言えば文筆家の俳優だって、文筆家の政治家だっていると思う(後者は文筆家が政治家に転身するケースが多いような気もするが…)

元がテキストライター的な生業の方が、ストーリーライトを手掛けて、満足度が高いケースが存在しないとは言わない。その可能性を否定するつもりはない。

だが、今回のケース。私は心底こう思っている。「YouTube動画」→「書籍化版」→「映画版」と段階を経るごとに後感は下がっている。

偉そうな物言いになるが、数年前に何ともマイナーな、微かなアングラ感と、素人にも許容できる(フィールドがYouTubeなので、そもそも本格的なグロは載せられないだろうし)グロを展開するコンテンツの中に「その世界観を纏ったストーリーテリング(テラー)」として異才を放っていたのが、いた瞬間が、このコンテンツの魅力の最大値だったように思う。

「YouTube動画版で語られていなかったストーリー部分が明かされる」的な文句につられて、書籍版を追いかけたが、何とも言えない「軽さ(よく言えば、悪く言えば読みごたえの無さ)」に結構な肩透かし感を受けた事を思い出す。(旅先で読んで後悔した)

こんな書き方をして何だが、書籍化が悪いとか、映画化が悪いとか、ともすれば原作者への批判になるようなことは言いたくないし、書きたくない。ひどく矛盾しているかもしれないが(いや失礼かもしれないが)書籍化も映画化も、この原作には向いていなかったと言うほかに、私としては感想がない。

冒頭の表現に戻る。

物語にはパワー総量があると思っている。全ての作品が物語が、文章でも漫画でも動画でも実写でも舞台・演劇でも、その魅力を発揮しきれるものではないと思っている。題材が持ち合わせるパワー総量には(全ジャンルいける作品ももちろん存在するが)枠組みの限界があると思っている。

「格」なんていう表現をここで使うと、誤解を招く原因になるので「その作品が活きる環境」と表現したいが、受け手側が、より解釈を多様に変換させていきやすいフィールドに進めば進むほど、綿密さや情報量の足りなさがあった場合に、それが粗として露呈するものだと思う。

一瞬だけ、シンプルに書こう。
「浅い。あっっさい。」

書籍化は基本的に原作者の範疇だろうから「あまり、書籍向きではなかったかもしれません」ぐらいにしか、読後に思わなかったが、今回の映画化は結構な納得のいかなさだったりする。

もう今更、このくだりの後に細かいことを書いても仕方がないので「あそこがこうだった。こっちが……」なんて書き方はごっそり省くが「この映画化に携わっている人達は、あの原作の【どの部分に対して】今回の企画を進めているのだろうか?行こうと思ったのだろうか?何を一番大事にしてこれを提供しているんだろうか?最たる理由は何ですか、と聞かれたら何と答えるのだろうか?」と思う。

一瞬だけシンプルに書こう。
「再生回数だけだ。」

もうこればかりはどうしようもない。YouTubeという土壌の、高再生回数という記号。それに乗ろうとした、上っ面だけなぞろうとした。それに尽きる気がする。あのコンテンツは当該のチャンネルの元々の空気感と、その土壌で提供されるこの「変な家」(正確には関連する…ような…いくつかのコンテンツが絡み合っている)シリーズが面白かったのであり、ストーリー部分だけ切り出して映画化したところで、上手くいかない。

いや、上手くいかない、というか正直ここまでスカスカな、見ごたえのない作りになるのか?、と驚いたのはこちらだよ、と言いたいぐらいである。

もし、原作未視聴で今回の映画版を先に観た方は、ぜひ映画→YouTube動画(出来れば原作者の他の動画や、チャンネルの空気感を味わった上で)と、元になる「変な家シリーズ」に触れてみて欲しい。ちゃんとジャストサイズのホラーコンテンツとして成立していて満足度が高い。


あまりこういう思いはしたくない。

「ああ、コンテンツが浪費されたな」みたいな感覚。いつぞやどこかで書いたかもしれない【商業化】という概念から考えれば「仕方がない」の一言で済んでしまうことなのかもしれないが「邦画が好き」「あの俳優さんが好き」みたいな理由で、映画館にせっせと通っている身の上からすると、やるせなさが消化出来ない…というのが率直なところ。

ポジティブに「この想いを払拭するために、もう明日にでも次の映画(邦画)を観に行こうか」と変換し、前向きに切り替えようと思う。

悩むが、最後に書いてしまおう。
「題材が、元題材がYouTube動画だから、これぐらいの作りで良いだろう」と思ってやしませんか?まさかとは思いますが、普段あまり映画を観ない若年層がターゲットだろうから(実際、私が鑑賞した回は相当に平均年齢低かったし、ギッシリ埋まってて驚いた)映画としての完成度よりも、リリースのタイミングを優先出来れば良い…とか思っていませんか?


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