不登校の問題の本質を考える[記事NO2]

こんにちは。

今では大手企業勤務のサラリーマンだけど、元不登校児の大吉neatです。不登校の親に向けて不登校の捉え方・考え方や、何をすべきかという親へのヒントを発信しています。この記事では、「不登校経験者の私が思う不登校という問題の本質」について記載しいたいと思います。お役立ちできればうれしい限りです。

まずは簡単に自己紹介

私は公立中学3年生の時に1年間いじめを理由に不登校をし、その後広域通信制高等学校(クラーク記念国際高校)へ進学しています。高校3年生の時(この時中学2年生以下の学力)に大学進学を目指し勉強し始めました。ここで偉人だと東大に入れるのですが・・・私は2浪して難関私立大学に滑り込み。大学時代は不登校児や勉強が苦手な子専門の塾で講師をしたり・家庭教師をしたり、不登校関連のNPOで講師をしたり、大手予備校でチューターをしたり・・・と教育関連のアルバイトをしてきました。大学卒業後は大手企業へ就職し、いわゆる「良い大学に入って、安定した超大企業に入る」という昭和・平成的なエリートコースを辿っております。もっと詳しく経歴を見てみたい人はこちら


不登校をすることは問題ではない。学校に行かないことで生じる不利益に対応しないことが問題なのだ。

結論としては不登校をすること自体は全く問題ではありません。むしろ、いじめの被害を受けているようなときは積極的に不登校すべきだと考えています。よく「自殺するぐらいなら不登校すればよいのに」という意見も耳にしますが、そこまで追い詰められなくてもいじめ被害にあっているならば不登校して良いのでは?と思っています。

皆さん(勝手に親御さんが読んでいると予想していますが)の脳裏には「石の上にも三年」という我慢を美化する言葉がちらつくかもしませんが、12歳の子どもにとっての1年って、40歳にとっての3~4年に相当すると私は思っています。(耐える年数÷今まで生きてきた年齢で考えたら)

そんな長い間いじめに耐えて職場に通い続けることってあなたにはできますか?おそらく「いや、頑張るところそこじゃねぇ!」という結論に行きつくと思うんです。大人のあなたは異動願を出すとか、上司の更に上司に直訴するとか、転職するとか、証拠を記録して訴訟するとか、不良にお小遣いを払って主犯を闇討ちするなど、何かしらの改善手段を講じるはずです。

しかし子どもの世界は残酷です。なぜなら彼らは大人の思う常識が通じないし、思考も未発達だし、極論少年法が守ってくれます。子どものいじめは酷いものだと大人の社会に置き換えると犯罪、民事訴訟の対象となります。ですが、子どもの社会ではそれが適応されないんですよね。不思議ですね。

また学校社会ではいじめは隠蔽されるということは子どもでも知っています。上記の例でいうと異動願を出すこともできないし、転職することもできませんし、闇討ちする費用も捻出できませんし、担任や担任の上司(学年主任や校長先生)に相談してもおそらく無駄でしょう。「がんばれ、いじめに負けるな」という言葉はそういう辛い環境に身を置くことを強いているという残酷な発言であるということをまずは理解してあげて欲しいのです。

以上の理由により、些細ないじりやいじめであっても「本人が辛い」「我慢ならん」と思う場合は不登校すべきだと考えています。

しかし学校に行かないことで生じる不利益はカバーしなければならない。が、現状できていない。

ここまでのとおり、不登校推奨派の私ですが、それでも不登校をすることで不利益が生じることから目を背けてはいけません。いじめという苦痛から解放される一方で、「勉学の遅れ」「対人折衝力が上がらない」「社会常識の欠如」といった一言でまとめると「年相応の成長ができない」という不利益が生じます

しかしこの不利益に教育行政も多くの不登校児を持つ親も、学校の先生も対応できていません。これが不登校という問題の核心だと思っています。

これには2つ理由があると考えています。

1.そもそも不登校という問題解消(ゴール)の設定を誤っているから。不登校は学校にいけるようになったら・学校に継続的に行けるようになったら解決ではありません。小学校・中学校の先生にとってゴールは「登校できるようになること」または「中学や高校へ無事に進学して登校すること」になっているし、例えば不登校児が多く集まる広域通信制高校の先生にとってのゴールは「ちゃんと卒業できるようにフォローし、結果卒業できた」「高校卒業後の次のステップへ送り出すこと」になっています。では両親は?といいますと、私の両親のコメントを引き合いに出すと「(私は中学で不登校をしていたので)進学した高校へ毎日に行ってくれているだけで・楽しそうに過ごしているだけで良い」と「登校できるようになったらゴール達成」と認識していたようです。つまり、大抵の場合は誰も「子どもが不登校の先に、どのように生きていくか」を考えていないのです。

先ほども記載していますが、学校に行く・行かない、なんて大した話じゃないんです。学校に行っていたら得られたであろう大人になるための知恵や経験をどう獲得するかということが大事なのです。

2.学校に行かないことで生じる不利益補完はやろうと思うと現実的には難しい。「対人折衝力が上がらない」「社会常識の欠如」という問題もあるのですが、具体的な基準で「ここまでできていたらOK」等の説明ができないですし、個人差も強く表れるので、いったんはイメージしやすいだろう「勉強の遅れ」という基準のみで記載いたします。

フリースクールや塾へ通いそこで勉強を見てもらうこともできますが、結局学校に通う場合と同様に勉強に取組むことはできません。これは不登校児あるあるですが、十人十色で学力段階にも大きく差があるため、先生1対不登校児多数で授業を展開できないこと、また塾の月謝などを用意できるかという各家庭の状況にもかかわってきます。自宅でyoutubeやホームスクーリング教材で勉強する、親と一緒に勉強する等の対策もできますが、家庭環境によりできる家庭とできない家庭、またそもそも自習ができる人・できない人に分かれてきます。(自習できない人の方が圧倒的に多いはず。)

通常、中学生は年間1000時間ほど学校で授業を受けるようです。もちろんすべてが有益な授業であるとは思いませんが、私は不登校をしていた中学3年生の間1年間で1分も勉強しませんでした(笑)

もちろんそのまま高校へ進学(願書に名前を書いただけですけど)しましたし、中学2年生レベルの勉強しかできない私が入れる高校は世間からは底辺レベルと称される高校です。ここから這い上がることって、かなり大変でしたし、実際はできずにずるずるそのまま・・・という人が大半です。

では不登校になったら人生お先真っ暗なのか?いいえ、そんなことはありません。

私が卒業しているクラーク記念国際高等学校のような不登校児を積極的に受け入れる広域通信制と区分される高校や、公立の定時制高校は日本全国にあります。地方都市でも県庁所在地ないしは電車で少し行ったところにある場合がほとんどだと思います。こういった高校はお金を払い、本人に高校卒業の意思があれば卒業できます。また少子化の影響もあり、無名大学・専門学校にも最低限のやる気(願書書いたり、推薦入試課題の作成をしたりする必要あり)とお金があれば入学できます。また日本最難関の私立大学も、学部によっては3教科だけ勉強すれば挑戦することができます。勉強を学校で全然していなかったとしても、受験科目は3科目だけ。なんだか不平等な気もしますね。


まとめ:不登校という問題の核心

よって一度不登校をすると不登校期間が原因で不利益が発生してしまう。しかし「本質的な問題が解決されていない状態=間違った段階で不登校という問題が解決・解消されたと認定されてしまう。」ということが現在の不登校というの問題の核心になります。

もしお役立ちできれば幸いです。

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大吉neat

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