ふらりと女川町に行ってみた。

最近なかなか身も心もやられているので、どういう思考回路になったか分からないが、ふらりと女川町へ行ってみた。2006.4〜2013.3までの第1次仙台暮らし時代に出会った友人の地元でもある。その当時は行ったことが無かった。JR女川駅が石巻線の終点であることも知らなかった。

ターミナル駅は好きだ。なぜなら、線路を縦から見ることができるから。普通はどの駅も線路の沿線なので、線路脇に駅が建つ。でも、ターミナル駅はそこが線路の終わりなので、線路のどん詰まりに路線に対して垂直?直角?に駅舎が建っている。いい眺めだ。女川駅以外で日本国内のJRのターミナル駅は北九州の門司港駅しかまだ見たことがない(私鉄なら、いくつかある)。

今の勤務先からはさほど遠くはない。

あまり体調が、というよりは気持ちの方が乗らなくて、仕事にガッと集中できない時だから、行ってみようと思ったのかも知れない。

初めてみる女川の海。とても穏やかだった。

そのすぐ真裏にある震災遺構の旧女川交番。この画像だとよくわからないが、

近づくとこんな感じ。津波の引き波で、基礎ごとぶっこ抜かれたのだとか。凄まじい。

それでも人々は海と共に生きることを決め、子供たちは未来を向いていた。旧女川交番を震災遺構として残すことを提言したのも子供たちだったのだとか。

2006.4〜2013.3の期間仙台には住んでいて、でも偶然の事情により被災はしていなくて、被災地にもほとんど足を踏み入れたことが無かった自分。記憶があるとすれば、仙台空港近辺のたんぼに船が放置してある奇妙な光景と、その近くの自衛隊駐屯地にそれこそ文字通りの山と積まれた廃車。いずれもバスのガラス越しの光景だ。

もうすぐ10年が経とうとするこの時期になって、かつての被災現場に初めて立ってみた。

そこにあったのは、10年経っても衰えない自然の脅威の力と、そこに住まう人間のレジリエンスだ。壊滅的な打撃があっても、ボキリと折れてしまわずに、苦しいけれども立ち上がれる泥臭いしなやかさ。

人間は強い、と改めて感じた。もちろん、そこに語られているのは現実の上澄の上澄のそのまた上澄みの、文字として記録に残せる部分だけだろう。本当の残酷さや本当の強さ、復興の途上での人々の生活や人間関係や感情や死者への思いなど、僕には知る由もない。

でも、きっとそれでいいのだと思う。僕はここでほんの僅かの時間、震災の記憶を漂って、当時は無かった自分の家族を思い、守るべきものの大きさをリアルに感じた。そして、あの経験からでも立ち上がれる人間の強さを知った。だから行ってよかった。

また行きます。

では。

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