自分の葬式で、参列者からどういう人間として思い出されたいか。

職業柄学生たちと話す機会は多い。

そして、僕が関わる限りでは、彼らは多かれ少なかれ「どう生きるべきか」で悩んでいる。悩んでいるというか、そもそもそういう軸すら持っていない学生もいてちょっと心配しちゃうこともあったりするから、まぁ濃淡は色々だ。

とはいえ自分はどうなんだ、と言われたら、自分も学生の頃はそんなことにはあまり頓着していなかったかも知れない。

もちろん、そういう類の問いがあるということは知っていたけれど、それが自分の問題になっていたかというと、全然そんなことはなかった。

んなもんだから、お前に言われたかねーよ、と言われても仕方ないのだが、そこを受け入れてしまうと教育など成り立たないので、さも自分は若い頃からそういうこともしっかり考えていましたよ的雰囲気を纏わす自己演出で、若者に偉そうに語るのだ。老害と噂されてたらごめんなさい。

ということで、冒頭のような状況なのだが、どう生きるべきか分からないならいっそのこと死んだ後のことでも考えるといい、と伝えるようにしてる。

自分が死んだ時のお葬式をイメージして、誰が参列していて、そこでどんな話で自分を偲んでいるか。そこで語られる自分像が、きっと自分が生きたいと願う自分の姿の一端を映している。

僕は、機会を与える人だった、と偲ばれたいと思う。おこがましいかも知れないし、まだまだ未達だけれど、僕と出会ったことで開けた機会があった、と思ってくれる人がいたなら本望だ。

日々の暮らしがそこに通じるように、今後も頑張ろう。

では。

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