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利他的に死ぬことについて

野生動物とか昆虫などの生態を紹介するYouTubeやInstagramが好きで、結構見る。

そういうものを見ていると必ず出てくるのが、そう、「捕食シーン」。

捕食シーンの動画を見るまであまり気にしたことが無かったけれど、動物も昆虫も、しょっちゅう生きたまま食われる。非常に残酷に見える。けれども、動物にとって、死ぬとはそういうことだ。死ぬ時は食べられる時だし、食べる方だって命懸け。それが自然。

食べられる動物たちは、捕まるまでは必死で逃げるし抵抗するが、逃げ場を失ったあとは、命尽きるまで意識は保ったまま、しかしなすがままに食べられていく(ように見える)。

そこに表情は無い。命乞いもしないし、ただ虚空を見つめて何かを悟った諦念とも厭世とも違う、ある種の安らぎとも感じられてしまうほどの無表情。昆虫に至っては顔まで外骨格なので、表情の作られようがない。今際の際に鳴きもしないので、何を感じているのかは全くわからない。

(無表情に関して、死にゆく動物が無表情に見えるのは「白目がない」からだという話をかつて聞いて、なるほど、と思ったのをふと思い出した。人間以外の動物は黒目の大きさに対して瞼の面積が狭くて、白目が隠されてしまう。したがって、見えるのが黒目ばかりになり目線がどこにあるのかはっきりしないし、眼球の動きがわからない。その結果無表情に見えてしまうのだとか。まあそれはまた別の話。)

以下に書く話は、そんな動物や昆虫たちが生きたまま食べられていく姿をぼんやり動画で見ていた時に感じたことだ。なんかサイコパス感があるな笑

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