上位存在辻褄合わせ紀行

辻褄を合わせるということは、長く生きていれば幾度か経験することはある。人間誰しも思い描いた通りに物事が進行するわけではないのだから、多かれ少なかれ何かしら辻褄を合わせながら生きている。

もしかするとこれは、人間にかぎったことではないのかもしれない。いや、たしかに何かしらの有限性の中に制約されたものならば、前半に使いすぎたエネルギーは後半に節約せざるを得ない場面に遭遇するというのはなんとも理にかなっているようにも思える。

ならばやはり地球もそうか。

天体物理も気象学もかじるほども学んではいないが、地球だってやはり一定の有限性に制約された存在だ。そのロジックが人間という生物の活動によって著しく歪められているとはいえど、その人間すら包括する存在のこの地球がそのロジックの辻褄合わせをするとき、人間などそのストリームに翻弄される弱き有機物にすぎない。

我がまちの先月は本当に寒かった。ほとんど太陽の姿を見ることはなかったのではないかと思う。

長引く梅雨と上がらぬ気温。よく分からない理不尽さを感じながら、どこかできっとこの辻褄合わせがやってくるのだろうという予感を抱きながら七月が明け、八月となり、寝苦しさに悶える弱気有機物。それが私である。

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