すべての授業は失敗ではないか 〜授業を継続する意味〜

 私はオンラインで家庭教師をしています。勉強法を教えることを大事にしています。

 そういう授業をしていると、授業を1回だけ受ければ十分じゃない?という疑問が出てくるわけです。正しい勉強法を聞いて、あとは自分で実行するだけでいいのだから。実際に、そういうスタンスで僕の体験授業を受けて、継続指導(契約)に至らない人もいます。


 それでは困るので、継続指導の必要性を納得させるための営業トークが必要になります。だいたい以下のような話をします。

「今回アドバイスしたことでしばらくは上手くいく。だけど、時間が経つと新しい課題が出てくる。その課題は、今から先回りして解決することはできない。なぜなら、こちらでも予想できない課題が出てくるかもしれないから。また、その課題が予想できたとしても、そのときにならないと受け取る側が納得できないから。だから授業は継続する必要がある。」

生徒には次から次へと課題が生じてくる。そして、どんなに分かりやすい説明をしても一回だけで伝わることは滅多にないから、手を変え品を変え何度も繰り返し説明する必要がある。だから継続授業が必要という理屈です。


 これはこれで合っていると思うのだけれど、これでは半面しか捉えられていないことに気付きました。

 この考え方は生徒の側の不完全性にしか目を向けていないんですよね。

 私の側の不完全さを見落としていました。

 私の授業も常に下手で常に失敗なんですよね。その失敗からくる負い目のようなものが、次の授業へのモチベーション(他に適切な単語が浮かばないので「モチベーション」としておきます)につながるのです。私の授業は業界内で相対的に比較すれば最高レベルのものであるとは自負しています。そうではなくて、人とコミュニケーションを取り、人に教えるということが、ことの本質からして、原理的に失敗を義務付けられているのではないかと思うのです。

 一対一の授業の意味とはここにあるのではないでしょうか?負い目から生まれる互酬性の連鎖が学びを立ち上げていくのではないかと思うのです。

 生徒は先生に、先生は生徒に応えようとし続けることで、お互いの学びが起動して、授業という場の質が上がっていく。


 だから、教師は学び続けなければ、新しいことを試し続けなければいい授業ができないのです。持ち合わせのネタでやるだけの授業は上手くいきません。新しいネタを試す不完全な授業の方が、なぜか生徒の成績を伸ばすのです。

 また、生徒の方も「お金を払っているのだから、成績伸ばしてくださいよ」というように、お客様の立場に居直ってしまうと、授業は上手くいきません。その態度は、受け取る一方で、返すことを考えていないからでしょう。


 継続授業の意味は、絶えざる失敗が学びを引き起こすことにあるのではないか、というのが現段階での僕の結論です。(というかコミュニケーション全般に言えることかもしれません)


 まあ、だからといって、僕の授業が誰にとってもおすすめできるものかと言えば、そういうわけじゃないですけどね。独学もそれはそれでいいものです。一回だけアドバイスをもらう程度の関係にとどめておくのも、それはそれでいいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?