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代官山 同潤会アパートの復元展示

関東大震災の復興のため、人々のより良い新しい暮らしを目的に作られた財団法人同潤会のコンクリート住宅の先がけとも言える同潤会アパート、代官山同潤会アパートはその初期の1927年から1995年8月にとり壊されるまで、代官山駅前、今の代官山アドレスの広い敷地に337戸の住宅が建っていました。

https://getnavi.jp/capa/special/373110/

代官山の写真家と言えばのハービー山口さんが「代官山17番地」を撮影された写真たち、モデルになっていたのは、昔し代官山郵便局の交差点のビルに入居していたヘアサロンboyの方々でした。

私も4階にお店があった頃、何度か髪を触ってもらっていました。サラリーマンになりたての頃、髪を赤く染めて出社して怒られたことを良く覚えています。よくやったものだと当時の自分を褒めてやりたいものです(苦笑)。

そんな同潤会アパートメントに対する当時の私の印象は、「こわい」でした。

昼間でもアイビーに覆われ、うっそうとした敷地への入り口は、関係者以外が敷地に足を踏み入れることを拒むかのようなこわさを持っていました。

今の代官山アドレスの裏側の雰囲気もちょっと似て来たように感じます。

2024年現在の代官山アドレス裏のコリドー

1995年に再開発がスタートする際のギリギリの時期に代官山に住みはじめた自分、こわいもの見たさで敷地内を散策させていただいたことがありました。

小学生の頃、下町の月島に住んでいて商店街や長屋の間を走り回って遊んでいた自分にとって馴染みのある「生活の息吹きが感じられるエリア」とも思ったものです。ただ、代官山は「山」というだけあって、カラッとした青空が似合う感じがしたのも覚えています。

それが、渋谷駅からたった一駅の駅前の広大な空間に広がっていたものですから、どこか触ってはいけない一角としての空気感。

それは、昔の代官山が針葉樹林に囲まれた森のようなエリアだったことと合わせて代官山のどこかこわさを秘めた場所として深く認識したものです。

1995年、取り壊される8月の8日から13日までの5日間、ヒルサイドテラスが協力し北川フラムさんがインスタレーションを開催してお別れを惜しまれたことが「東京遺産 保存から再生・活用へ」森まゆみさん(岩波新書858)の136ページ前後に描かれていました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b268677.html

北川フラムさんの足跡をまたここでも目にしました。

代官山の同潤会アパートが取り壊されてから、表参道含め同潤会アパートは取り壊されてしまいましたが、代官山アパートの居室は現在も復元されていることをご存じでしたか?

当初八王子へ移築されましたが、現在は赤羽のURミュージアムに一室が展示されています。

令和4年に閉館された八王子市にあった集合住宅歴史館の後を引きつぐ形のURまちとくらしのミュージアムでは、代官山同潤会アパートの建物自体を移築するのではなく、世帯の室内を復元する展示にとどまっているようです。

それでも、代官山同潤会アパートを残していこうとしていることに感謝します。

「おさんぽ代官山」の番外編で行って見るのもたのしいかもしれませんね。

(NPO法人代官山ステキ総合研究所理事長廣瀬徹)

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