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はじめまして代官山ステキ総合研究所です!

先日最初の草むしりの記事の投稿にはじめてのスキをいただきありがとうございました。まだ何者か?ご挨拶もしておりませんでした。

NPO法人代官山ステキ総合研究所は、渋谷駅と恵比寿駅と中目黒駅に囲まれた武蔵野台地の上に位置する主に渋谷区そして目黒区との境界に位置する代官山のまちづくりを調査研究しステキな街代官山のことをみなさまと共有することを目的とした私設のNPO(特定非営利活動)法人です。


2004年から20年間、ヒルサイドテラスの朝倉不動産さん、東急さん、代官山蔦屋書店さん、東光園緑化さん、スーパープランニングさん、聖林公司さん、國學院大學さんの法人会員のみなさまと、個人会員の皆様に支えられ、続けさせていただいてきました。代官山ステキなまちづくり協議会さんとは兄弟のような立場だと考えています。

20年前、1990年代まで代官山は、都会の中の田舎でした。代官山駅は東横線の一部の車両が駅からハミ出して扉が開かない(今でも大井町線の九品仏駅でみられます)とても古い駅舎でした。1999年に駅前の広いエリアにあった同潤会アパートの再開発で代官山アドレスが出来て、駅舎も現在の新しいものに変わって、雑誌Hanakoなどおしゃれな街としてとりあげられました。


代官山がおしゃれな街として認識されたのは、なんと言っても1969年からオープンしてきたヒルサイドテラス(槇文彦さん、故元倉眞琴さんの建築)の存在がシンボルです。まだ雑木林に囲まれていた都会の中の田舎のような存在の代官山が光りだしたのです。実際、ヒルサイドテラスのテーマは「アーバンヴィレッジ」でした。そう新しい時代の村という考え方で、住む人、働く人、遊びに来る人みんなが代官山で共にステキな時間を過ごすことを考えて開発されてきました。


おしゃれな街ではあるものの、主に賃料の割にお客さまが少なくて代官山でお店を続けるのはなかなか厳しい場所なのは今も昔も変わりません。
実際、2000年頃、スターバックスコーヒーさんは一度代官山を撤退されたことがあった程です。それでも代官山蔦屋書店さんが出来てからは本当に観光客の方が増えました。


昨年2023年には、東急さんによる駅前の再開発フォレストゲート代官山が完成し、代官山に新しい時代が始まりました。

代官山ステキ総合研究所も理事長が交代し今年からあたらしい活動をはじめることとなりました。そのひとつがnoteです。


実は理事長も2007年に一度仕事の関係で代官山から離れ東北の人口3万人ほどの小さな町に住む経験をしてきました。良い意味でも人の顔が見えて濃密な田舎の良さと厳しさを実感して今年から代官山に戻ってきました。そういう意味で、今は、はじめての代官山の感覚を新鮮に感じています。


アーバンヴィレッジ、代官山が大好きでまちを大事に思う方が多く、自然に顔見知りになっていくまちに感じます。まちの見た目は都市なのですが、働く人だけでも遊びに来る人だけでもない何か継続したウェットな関係が見られるため、他の街とはちょっと違う空気が流れているように思います。

ここから「はじめてのスキ」をいただいて脱線です。
「はじめての・・・」と言うと何を思い浮かべますか?

私は「はじめてのチュウ」(作詞作曲 実川俊晴さん)を思い浮かべてしまうのです。キテレツ大百科でコロ助が歌っていますね。

最初にこの曲を聞いたのは実はアニメではなくて、山崎まさよしさんがTVで歌っていたのを聴いてちょっと衝撃を受けました。下にYoutubeリンクを貼ります。

https://youtu.be/UoSX3wTVe5o?feature=shared

Tシャツ姿でおのれの声とギターだけで歌いあげる彼の歌に聴き惚れスタンディングオベーションをする若い女性たちの姿に衝撃を受けたのです。
「わたしもそうなりたい」というのではなく同じ時代に生きる男として「ものすごい差」があることを見せつけられました。

また、実川俊晴さんが木村拓哉さんとデュエットする映像です。

https://youtu.be/a02OrkDHGe0?feature=shared

実川俊晴さん最初「さねかわ」とお読みするのかと思い込んでいましたがWikipediaによると「じつかわ」とお読みすることが分かりました。

上記の木村拓哉さんとのデュエットはテレビ出演したレア中のレアなことだったそうです。

これから新しくはじまる代官山ステキ総合研究所をよろしくお願いします。

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