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タイ経済の展望

観光需要のリバウンドと景気拡大

タイは11月から乾季のハイ・シーズンに入りますが、11月8日にはロイクラトン祭り(陰暦で満月の日に水の精霊に感謝を捧げるタイで最大のお祭りの一つ)が行われ、コロナ禍の落ち着きとともに海外からの観光客数がコロナ禍以前の水準にまで回復する勢いを示しています。タイは2022年7月から水際対策を大幅に緩和しており、2022年は海外観光客の流入によって約4兆円(約7兆円の全体収入の半分以上)のGDP押上げ効果があったものと思われます。タイ観光庁によると、2023年は外国人観光客数が1,600万人を超えると見込まれるとのことですので、観光業の復活がタイのGDPを9兆円以上押し上げる効果をもたらすものと考えられます。特に、コロナ規制を漸く緩和し始めた中国からの観光客数がコロナ前の水準まで回復するかが鍵です。

短期の経済刺激策

グローバル経済がインフレによって不安定化する中、タイの国内景気は観光業の回復の兆しが見え始めてはいるものの、バーツ安が進んでおり、株価指標のSETも10月に年初来の安値を記録するなど、景気見通しは楽観できるものではありません。世界銀行の最新レポートでも2024年のタイGDP成長率を3.5%に下方修正しています。今後のネガティブ要因として、ウクライナ戦争の長期化、中国の不動産バブル崩壊のリスクなど、グローバル経済の不透明性が消えない限り、タイの輸出セクターにとっては不透明性が残ります。

また、タイ経済にとって不可欠な海外からの投資については、9月に新たに就任したSrettha首相が国連会議に出席する傍らで積極的にタイの「ロードショー」をニューヨークで行っており、TeslaのElon Musk CEOやBlack RockのLarry Fink CEOなどもタイでの工場設立やグリーンボンドへの投資などに前向きのようです。一方で、今後の海外投資に冷や水を浴びせかねない新たな税制の導入も同時に検討されており、タイで生活するexpatや外国人年金受給生活者などがタイから大量に出て行ってしまうリスクが取沙汰されています。

国内景気については、何とか来年の成長率を5%程度まで引き上げようとSrettha政権が選挙公約で掲げた景気対策の是非がポピュリズムの観点からも大きな議論を呼んでいます。これは16歳以上の全てのタイ人に対し、ヘリコプターマネー的な方法で1万バーツに相当するデジタルバーツ(ブロックチェーンを活用したデジタルトークン)を給付し、受益者の住んでいる地域から半径4キロ以内の商店等で2024年2月から半年以内にポイントを使用できるというもの(10,000 baths digital handout)ですが、この財源となる5,600億バーツを一体どうやってファイナンスするのか、またタイの家計部門はGDPの90%近い債務を抱えていることから消費どころではなく、借金弁済の原資に回す可能性が高いため消費を喚起する乗数効果は限定的であるという意見、加えてさらにインフレを加速するリスクもある、といった反対表明が経済学者や前中央銀行総裁などから相次いで出ており、Srettha首相のリーダーシップがこれから問われます。


10,000デジタルバーツ給付政策

中長期の成長戦略

長期的な観点から様々な統計データを見る限り、タイはいわゆる「中所得国の罠」からまだ完全に脱しているとは言えません。ここ数年の成長率を見る限り、他の東南アジア諸国との比較でも相対的に低い経済パフォーマンスとなっています。

(出所)アジア開発銀行データ
(出所)アジア開発銀行データ

タイ経済が直面する喫緊の課題は生産性の向上であり、これは高齢化が同国で急速に進行する中で非常にクリティカルな問題となっていますが、5月のタイ総選挙のキャンペーンでは最低賃金のアピールなどが前面に打ち出されており、各党ともポピュリズム的なばら撒き政策を打ち出しているように見えます。また、タイでは富裕層のトップ1%が国土の4割くらいの土地(title deed)を保有していると言われるくらい世界でも最も格差が激しい国の一つであり、相続税なども存在しますが、1億バーツ以上の相続資産が対象でほとんど適用がないに等しいです。バンコクなどの大都市と地方では依然として大きな所得格差が存在しており、これを政治が解消するのは簡単ではありません。また、ASEAN周辺国との競争も激しくなっており、タイ政府は国家戦略として国を挙げてのリスキリングやアップスキリングといった新たな産業創出に向けた生産性向上への取り組みを進めています。タイ経済を引っ張ってきた既存の輸出産業においては、タイよりも人件費などのコスト面で優位性があるベトナムやインドネシア等に海外からの投資が向かえば、経済にとって大きな打撃になります。例えば自動車産業を取ってみても、タイは長年ASEAN随一の自動車工場の地位を確保してきましたが、業界がEVにシフトしたらどうなっていくのでしょうか?

北部の農民の所得は過去20年以上ずっと停滞しており、日本の農協のような組織に近いBAACという金融機関から約270万人の農民が借りている約2,800億バーツの借金弁済(一人あたり借金額は30万バーツが上限)を3年間猶予するdebt moratoriumが10月1日に公表されました。しかし、こうした低所得層向けの政策は付け焼き刃的な性格のものであり、言うまでもなく農業セクターの生産性向上やコメ価格などの交渉、安定したサプライチェーンを担保するための政府補助といったサポートがないと農民の生活向上はなかなか改善しないでしょう。今後3年間はエルニーニョ現象もあいまってタイでは深刻な水不足も懸念されており、これは大きなリスク要因となり得ます。

さらにタイにおいてはゼロエミッションやWaste-to-Energy、リサイクル経済といった持続可能な経済社会を目指すBCGモデルが国家戦略の柱に据えられており、官民が連携してこの取り組みを推進していくことも必要です。そして、一部の利権や既得権益が経済を牛耳るのではなく、多くの人がこの国の将来に希望を持てる公平かつ公正な社会を目指すことで「微笑みの国」のステータスが復権できるはずです(最近公表されたWorld Happiness Reportでもタイは60位と決して幸福な国としてカウントされていない)。

タイに限らずどこでも同じですが、結局は生産性が向上しない限り労働所得は増えにくく、内需が盛り上がりません。内需が盛り上がらなければ、外需に頼るか海外からの直接投資、あるいは観光でお金を落としてもらうしか経済を活性化する良い方法はありませんが、現状はタイをはじめとした多くの発展途上国の経済は特に中国からのインバウンド需要に依存した格好となっています。タイは幸運にも世界でも有数の観光資源があるので、何とかGDPの6分の1くらいはquick money的に稼げてしまいます。これにもっと付加価値を付けるため、医療ツーリズムやMICEツーリズムにシフトし、TAT(観光庁)を中心に空港などのインフラ整備や投資促進の税制インセンティブを高める国家戦略とリーダーシップが現政権には問われています。

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