CBC⑳「昔の上司の亡霊との対決」
不安とは、
未来に向けてしなければならないことがあるのに、それができていない時に生じる感情。
恐怖とは、それが目前に迫ってきた時に生じる感情。
アドラー心理学では、こんな感じの説明がされることがあります。
何かやらなきゃまずそう。でもできてない→不安
やばい。現実になっちゃった→恐怖
みたいな感じですね。
そして、この不安や恐怖に関して、我々コーチカウンセラーが知っておいた方がいいことがあります。それが
不安や恐怖は「向き合わないでいると、エスカレートする」ということです。
不安の9割は起こらない。は本当かもしれませんが、不安を放っておくと、それはそれで問題化することもあるのです。。。
例えば、上司が怖いとしましょう。
ちょっと「怖いな」と感じたときに、思い切ってコミュニケーションをとってみて「なんとかなる!」という体験ができればそれで終わりですね。(もちろん誰かに助けてもらいながら対処するで、全然いいです。自分で頑張らなくてもOK)
ところが、そこで向き合わないと、不安が増大します
「いま、怒ってるんじゃないか?」
↓
「はやく関わらないと、どんどん酷くなりそう」
↓
「ダメだ、勇気が出ない。きっと向こうは怒ってる」
↓
「ダメだ。自分にはできない。話にいったら大変なことになる」
向き合えないことでセルフイメージも下がっちゃうんですよね。で効力感が下がるから、ますます相手が恐怖や不安の対象になる。
私たちの脳も残念なメカニズムになっています。
扁桃体で不安を感じると、思考を司る大脳新皮質を使わずに、もっと直接的な回避行動を選択するのです。それが3Fですね
Fight 闘争
Flight 逃走
Freeze 麻痺
最初の2つをとって闘争逃走反応などと言われます。
これは人の脳が大昔に採用したやり方です。
何か身の危険を感じたら、ごちゃごちゃ考えずに戦うか逃げる、もしくは死んだふりをするのです。
肉食獣に襲われたら、とりあえずは戦う、逃げる、死んだふり(麻痺)のどれかですね!!
※ライオンの目は、止まっているものより、動いているものに反応するので、動かないでいるのは生き延びるために有効だときいたことがありますが、本当かな??
ふとした油断が生命の危機に直結するような世界ではそれで良かったのです。考えないで反応したほうが良かった。すぐにも死ぬかもしれないんだから。
けれど、現代に生きる我々は生命の危機を感じる出来事など殆どない。なのに私たちの脳は、現代でも、不安や恐怖に対して、しっかり考えて対処せずに、場当たり的な反応をしてしまいがちです。
現代の闘争は多くの場合、殴り合いの形ではありません。けれど、ちょっとした不安や恐怖などで急に怒ったり、怒鳴ったり、一方的に捲し立てたりするわけです。
私たちは物理的に逃走しなくても、誤魔化したり、先延ばししたり、他の用事を思い出したり、とかするわけです。
死んだふりはしなくても、見ないふりをしたり、感情を感じなくなったり、考えないようにするなど、自分を麻痺させながら生きていくわけです。
そして、このような対処法を採用すると、今後もそれを続けることになるのです。
なぜなら脳は予測できないものを嫌うからです。これまでと違う対処法を取ったら、何が起こるか予測できない。それならば、生命身体を守るために、これまで採用してきたやり方を採用し続ける。それが私たちの脳の選択なのです。
なので、いつまでも大脳新皮質の機能を使えないまま、残念な行動を続けてしまうのです。
どうしたらいいのか。答えの1つがエクスポージャーです。日本語で言うと暴露(=さらされる)ですね。
不安や恐怖に段階的に身をさらしていって、慣れていくのです。そうすると、脳は「なんとかなるんだ」という予測が持てるようになります。そのことで、不安や恐怖が生じても、3F以外の手段が採用できるようになるのです。
だから、不安や恐怖を感じる出来事があったら
脳を鍛えるチャンスが来た!
と思って、少しずつ不安や恐怖に身を晒す。対処できるという体験を脳に与えるのです!!
これは、コンフォートゾーンとパニックゾーンの間にラーニングゾーンを置きましょう。という話と重なります。
人はコンフォートゾーン(=予測がつく快適な範囲)に自分の身を置きがちです。そして、コンフォートゾーンを超えるような体験(この場合だと不安や恐怖)をすると、パニックになり3Fで対処して、なんとかまたコンフォートゾーンに戻ろうとするのです。
つまりコンフォートゾーンとパニックゾーンを行き来しているのです。
だから両者の間にラーニングゾーン(=学習するためのエリア)を置きましょう。軽い不安や恐怖に積極的に自分を晒して、パニックにならずに対処できる体験をする。そのためのエリアがラーニングゾーンです。
それによりコンフォートゾーンが広がるのです。
僕も昔は、コーチングで難しそうなケースにぶつかると、パニックになっていまいた。コーチとして予測がつかないからです。でもやや難しいかもというケースに取り組むことを続けると、だんだんと自信をもって関われるケースが増えてきます。
そんなイメージを持って、このエクスポージャーという考え方をコーチング・カウンセリングに生かしてみてください。
ケース1◆最大の恐怖に直面
『人生を変える!コーチング脳のつくり方』P82〜のケースですので、良かったらそちらもお読みください
20代の終わり。NTTグループで働いているころ。僕はなぜか上司が怖かった。その上司は、とても優しい人で、僕のことを認めてくれていて、なんなら最大の応援者だった。彼が怒っているところなど一度もみたことがないのに、僕はとにかく彼が怖くて仕方なかった。
ランチに行ったり、会議で話したりする分には何も問題ない。飲み会なら一緒にバカ話もできる。
だけど、何か報告事項があって、彼のデスクに一人で行く。彼のデスクの横に立って報告する。そのときに彼が座りながら僕の方を見ている。
そうなると、例えようのない恐怖の感情が全身に広がり、僕の手足は震え始め、声はつまり、脂汗をかくのだった。
「どうしたの宮越くん。調子でも悪いの?」と優しくきいてくれる上司に対して「い、いや。だ、大丈夫です」などと言いながら最低限報告し、足早に逃げ去る。自分でもまったく意味不明だし、何かの病気かと思っていた。
それをコーチに相談した。
コーチ「何か思い当たることはある?」
僕「うーん。昔の上司のことかな」
そのあとちょととしたやりとりを経た後、コーチから昔の上司とのポジションチェンジを提案された。
これはエクスポージャーですね。昔の上司に対して持ってしまった恐怖心。それを現在の上司にも投影して、恐怖を感じている。このままではエスカレートしていくので、早めに暴露してしまおう、と。
もちろん、昔の上司は扱わずに、今の上司に対して、段階的に慣れていくのでも良かったはずです。ただしこの時はコーチの判断として、昔の上司の記憶を書き換えてしまった方が後々考えたときに良いのではかいかという判断だったのでしょう。
どういうことか。
僕にはいわばトラウマがあったわけです。トラウマ的体験をすると、それは小野田さん(⑭参照)となって、当時の出来事に少しでも関連しそうなことがあると、身体が急激な反応を起こすのです。
僕の場合は、昔の上司に机の横に立たされたままで、毎日何時間も怒鳴られ続けていたため、机の横に立つだけで、急激な反応(逃走、麻痺)をしていたのです。
だからコーチは、元となる体験の処理をすることを選択したのでしょう。
コーチ「椅子を2つ置きます。一つはだいじゅ。もう一つは昔の上司です」
僕「。。。。。。(心の底からやりたくない)」
コーチ「どうします?これからもずっと、今のままでいいの?」
僕「。。。。。やります」
そして
コーチ「目の前の上司に、言いたいことをいいましょう」
僕「。。。。。(恐怖、吐き気、脂汗、逃げ出したい衝動)」
コーチ「勇気を持って!」
僕「。。。。。。あんたのせいで。。。僕の人生はめちゃくちゃだよ。。。。」
か細い声でそれを言うのが精一杯でした。
ここまでだと、別に何も起こっていないようですが、エクスポージャーの観点から言うと、もうすでに素晴らしいのです。
これまで向き合わずに逃げてきた上司に向けて声を発した!!
空椅子に向かって話すのでも全然いいのです。心理的には、面と向かって話すのと大差ありません。
僕はパワハラ事件から何年も経っていたにも関わらず、その上司が乗っていた車と同じ車種の車を見かけるだけで、その場に立っていられなくなるほどの拒絶反応と共に生きていたのです。
だから、目の前にイメージするなんてとんでもない。ましてや、何か言うなんてありえない事態でした。
それができた=もう十分にエクスポージャーは進んでいるのです。
だから、その観点があればコーチは、ここで一度セッションを止めて
「すごい!!!あんなに怖かったのに言えたね!!!「言ってみてどう??」「もう一回、同じことでいいから言ってみよう。。。ほらさっきより簡単に言えたでしょ?ちゃんと克服のプロセスが進んでるよ!!!」
とか言ってあげたら良いのです。
そして「じゃあ、次は、もう少しだけ、勇気がいることを言ってみようか。。。。だいじゅさんなら絶対にできるよ」とかね。
そう言われたらクライアントは段階的に自信がついていくと思います。
僕が受けたセッションに戻ります。
コーチ「他には?」
僕「。。。。。なんであんなことしたんだ。。。。おかげで何年も経った今でも怖くて。。。なんでいつまでも僕の人生を邪魔するんだ。。。。もう。。。良い加減に。。。良い加減にして欲しい」
途中から、ボロボロと涙が溢れ、最後は嗚咽していました。
言い終わったときは、グチャグチャの状態でしたが、不思議と落ち着いた感じでした。いくつかの作用でそうなったのだと思いますが、恐怖に向き合い克服した安心感もあったと思うのです。書籍では解説していませんが、このケースではエクスポージャーも進んでいたわけです。
そしてコーチの指示で上司の椅子に座ることになります。
コーチ「目の前にいる宮越さんの声をきいてください。なんて言いたくなりますか?」
この時のことを僕は忘れません。強烈な怒りが胸のあたりで爆発し、怒涛のように、彼の言葉が勝手に僕の口から出てきたのです。
僕(上司)「ふざけんなよ!!お前が悪いんだろうが!俺は何度も言ったよな?このままだと辞めさせることになるぞって」
叫んでいる僕の身体。そのとき不思議なことに僕の頭は思い出していました。
確かにそうだったな。。。なんであんなことになっちゃたんだろう。。。確かに僕は不器用だったけど。。。でも、もっと相談して、教えてもらっておけば良かったな。。。
そしてさらに思い出すのです。
俺最初、この人のこと好きだったんだよな。仕事できてかっこよくて。だから憧れてて、認めてもらいたくて。だから頑張ってたけど、仕事向いてなくて。。。でも諦めたくなくて。。。。
そこからさらに
この人もできることやってくれたんだよな。いっぱい我慢して、警告もして、フォローもして。夢もあるし、家族もいるし、結果出したかったんだよな。。。
この体験は、エクスポージャー的にも意味がありました。元上司はただの恐怖の対象じゃなかった。
・最初は憧れの対象だった。熱心に指導してくれた
・結果が出せなかった。そのときもっと僕から相談すれば良かった
・自分でなんとかしようとして状況を悪くした
・なんども警告を出してくれてた(本音で話したがっていた)
・最後のほうの過激なパワハラは上司も悩んだ末の行為だった
などが改めて理解できたので、相手のことを話し合う余地がある人としてみられるようになりました。
さらに、見るのも嫌だった元上司に、言いたいことをいって、しかも相手の立場にも立てたことで、自分に自信が持てました。
アドラー心理学でいうこところの共同体感覚です。「私はできる」「人々は仲間である」の感覚があがり、勇気が持てるようになったのです。
実はこのような心理効果があったので、翌日に会社に行ってからは、現上司に報告に言っても何も反応しない身体になっていたのです。すごい!!
実際にはコーチのプロセスはもう少し続きました。コーチはもう一度、僕の席に戻って、元上司に話すように促してくれたのです。
コーチ「あらためて、元上司の彼に伝えたいことは?」
僕「ちゃんとコミュニケーションを取れたら良かった。できないことはできないと言えば良かった。どうしたらいいか教えて欲しいと言えば良かった。あなたに憧れていたから、認められたくて。。。口先では約束しながら結果を出せなかった。きちんと話して、続けるか異動するか決めたらよかった。失踪なんてしなくて良かった」(※僕はパワハラの末失踪していました)
と言うようなことが言えたのです。これがまた大きかったですね。どのようにコミュニケーションを取ればいいかを自分の口で言えた。しかも苦手だった上司の前で。このことがコミュニケーションでの解決への1つの自信となったのです。
このセッションのおかげで、そのあと出会うことになる強烈なパワハラ上司にも積極的に絡みに行って、関係をつくれる自分になったのです
さて、
このセッションによって、僕の中で未完了だった物語が、一つ完了しました。
僕は、ホラー映画が怖すぎて、途中で見るのを止めていた子どものようでした。最後まで見たら日常に戻ってこれるのに、
最後まで見ていないからずっと怖いままなのです。
物語を最後まで展開させること。
このケースで言えば、元上司が怖くて逃げ出したところで物語が終わっていたのです。だからずっと元上司の陰に怯えるのです。
物語を最後まで展開させること。
それによって、どんな問題でもなんらかの形で決着するのだと体験すること。それが私たちの勇気や希望となるのです。
未完了の物語を展開させる。そのことによって人生の新しいページが始まります。僕はコーチングカウンセリングで、このことを大切にしていています。
⑨や⑪のケースも、未完了の物語を展開させてみたケースとして読むと面白いですね。
⑨のケースは、飼い犬の失踪シーン止まっていた物語
⑪のケースは、お母さんとは遊べないシーンで止まっていた物語
物語が動き出し、素晴らしい結末に辿り着いた時、私たちは自分の人生の意味を知るのです。
次回もエクスポージャーの興味深い話が続きます
お気持ちありがとうございます。資料入手や実験などに活用して、発信に還元したいと思います。