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CBC⑥「いい息子じゃなくていい/障害を持つ母の自己受容」

僕がカウンセリングをする時に大切にしているのが「健全な大人」を、自らの内側に育てるというものです。

人間は不完全な存在で、時に弱く、間抜けで、しょうもない側面をもっているのではないでしょうか。

そんな「しょうもない自分」を責めたりいじめたり、追い込んだりしても、良いことは起こりません。

だから、どんな自分も受け入れ、励まして、成長させ、不足分は人と助け合うように促す。そんなふうに「健全な大人」として自分自身に関われるようになってもらいたいのです。

僕自身も様々なコーチ・カウンセラーに関わってもらう中で自分自身の中に「健全な大人」を育ててきました。

コーチングを初めて2年目のこと。僕は平本あきおさんと酒井利浩さんのNLPコーチングのトレーニングに参加していました。

その日はタイムラインのワークが中心でした。

タイムラインのワークでは、床に1本の線が引かれているのをイメージします。それを時間の流れに見立てて、その上を移動していくのです。タイムトラベルですね。そうやって自分の過去、現在、未来の出来事を体験しながら、自分の人生の意味を理解し直すのです。

その日はちょっと変わったタイムラインでした。人生を超え、人類史を超えるような長い長いのタイムラインを歩いてみようということでした。

僕が学び続けているアドラー心理学ではスピリチュアルタスクと呼ばれますが、ときには、自分の人生を超えた大きなもの(人類の歴史、地球の生命、宇宙、神など)との繋がりを感じて、自分の人生をより大きな文脈から問い直してみるのです。

「数万年でも、数億年でもいいので、自分がイメージできる範囲で、その歴史を歩いてみよう」と講師がいいます。個人個人で行うワークだったため、参加者は広い部屋の中をそれぞれ、ゆっくりと歩き始めました。

僕は何となく数百万年くらいのタイムラインを歩いてみようと思いました。

「アウストラロピテクスとかの時代だよな。。。」と思いながら一番過去の部分に立ちました。そこから類人猿の歴史、人類の歴史をたどる気持ちで、時間軸の上を歩き出します。

ゆっくりと歩きながら、だんだん自分自身が輪廻転生を繰り返してきたような気持ちになってきました。サルからサルに生まれ変わり、人間になったら、次はまた人間に生まれ変わり。。。。

過去の僕はどんな人間だったのだろう。

イメージしたときに出てきたのは、ネガティブなイメージでした。自分にダメ出しをする自分。自分が嫌いな自分。何度生まれ変わっても、自分を責め続ける自分です。

(先生たちはそんなことを意図していなかったと思いますが、当時プライベートなことで深く悩んでいた僕は、自分に否定的になっていたため、ネガティヴ発想でタイムラインを歩いてしまったのです)

何万年、何十万年と生まれて死んで生まれて死んでをイメージしながら、僕はどんどん暗い気持ちになってしまいました。

あー。僕は歴史上、ずっとこうやって自分を責めていたんだ。なんて魂なんだろう。。。

(いま振り返ると結構病んでましたね。。。)

すっかり暗い気持ちになった頃、講師から皆に声がかかりました。

「タイムラインの外側にでて、全体を俯瞰してみてください」

これまで歩いてきた長い道のりを外側から見てみろと言うのです。正直気が進みませんでしたが、タイムラインから外れて、外から見てみました。

その時、不思議なことが起こりました。

僕が歩いていたタイムラインの1メートル上ぐらいに、タイムラインと平行して赤い糸のような線が浮いているのが見えたのです。

(正確には見えたような気がする。ということだと思います)

それを見た瞬間、僕はそれが何なのかわかりました。それは僕の心臓の軌跡でした。僕の心臓は真っ赤な血を何も迷うことなく、休むことなく生涯にわたって送り続けている。ただ一生懸命生きている。どの人生も身体は、そして魂は懸命に生きようとしているのだ。

それなのに、僕は何百回、何千回生まれ変わっても、自分のことを責めている。。。

そうやって、ますます落ち込んだのです。。。

(本当に病んでいましたね。。。。タイムラインに限りませんが病んでいるときに実施すると逆効果になることがありますので要注意)

そうやって、落ち込んでいるときに、さらに講師から次の声がかかりました。

「今からあなたを一番知っている人と対話をしてもらいます。自らについて賢者から学ぶつもりで、時間をすごしてください。では、渡したいものがあるので、各自取りに来てください」

そう言われて講師の元に行くと、渡されたのは手鏡でした。

うわー。自分の顔を見ながら対話をしろってか?絶対にいやだ!

と思いました。そもそも病んでいたのに拍車をかけて、自己嫌悪しているときに、自分の顔をみながら自分についてなんて考えたくありません。

とはいえ、他にすることもなく、そっと鏡を見てみました。するとそこには、とてつもなく惨めな表情をしている自分がいました。

コーチング学んで、少しは職場はよくなってきた。だけどプライベートではなかなか自分を変えることができない。そもそもコーチングだって対してうまくなってない。しかもこんなふうに自分を責めてばかりで、僕は何をしにここに来ているんだろう。

それまで頑張ってきた糸が切れたのか、突然涙が止まらなくなりました。大人になって初めてでしたが、周りに人がいるのも構わず、壁際で膝を抱えて泣きました。

僕以外の参加者は、とてもよい体験ができたようで、みな楽しそうにランチに出かけていきました。

僕のことは、よい意味で放っておいてくれたのだと思いますが、僕はそれも寂しくて、
ただ、部屋の片隅で泣いていました。

どれくらいの時間がたったでしょう。

スッと僕の横に座ってくれた人がいました。あまりにも自然な座り方だったので、僕はそのまま泣いていました。

隣の人が優しい声でゆっくりと話し始めました

「いい息子じゃなくていいんだよ。いいお兄さんじゃなくてもいい。いい彼氏じゃなくてもいい。そうやってただ息をしているだけでいいんだよ」
「いい部下じゃなくていいし、いい上司じゃなくてもいい。泣いてたっていい。ただそこにいるだけでいいんだよ」

講師の平本あきおさんでした。

「ただ呼吸して。そう。ゆっくり呼吸して。
だいじゅ。そこにいるだけでいいんだよ。
何もしなくても、だいじゅがそこにいるだけでいいんです」

僕の気持ちは少しずつ穏やかになっていきます。

「泣いていていい。止まない雨はないし、明けない夜はない。
夜が更けるに従ってどんどん暗くなるかもしれないけれど
でも、必ず朝がやってくる」

「遠く地平線の上が光に染まり始める。だんだんと明るさと
暖かさが伝わってくる。
立ちたくなるまで、ゆっくり呼吸をしていよう。
そう。そうするだけでいいんだよ。また立ち上がりたくなる時まで」

不思議なことですが、目の前に光が広がったような気分になり、僕は顔をあげました。

平本さんが優しい顔で微笑んでいて、僕を抱きしめてくれました。

「あぁ。わかってくれる人。信じてくれる人っているんだな。だから何度でも立ち上がれるし、自分の人生を生きる勇気を持てるんだ」と思いました。

短い時間のちょっと変わった関わりでしたが、平本さんとのこの時間は僕にとって、間違いなくカウンセリングでありセラピーでした。

そしてこの時間は僕の人生を変えました。僕はこのとき決めたのです。

自分自身の理解者であろう。自分自身の支援者であろう。

この体験が「健全な大人」を自分の中に育てる!というコンセプトに繋がったのです。

※「健全な大人」というのはスキーマ療法でも使われている表現です。苦しんでいる子どものような自分を、傷つける大人ではなく、見守り勇気づける「健全な大人」を、自分の中に育てようと言うのです。

数年前、ある地方で僕がアドラー心理学とコーチングに関する講演会をしたときのことです。何人かの方が質問のために僕の近くに集まってきてくれました。

そのうちの一人が話し始めました。いわく
「長年心理学を学んで実践してきたが、つらい。自分も障害をもって生まれ大変なことがたくさんあるし、子どもとの関係もうまく行っていない。」「自分のやり方が悪いのか、どうしたらいいのか。やっぱり私には無理なのか」
丁寧に話してくださるのですが、時折、彼女の中から怒りのような感情が顔を出していました。世の中にも自分に対してもその怒りが向いているようでした。

僕は「すいません。移動の時間がありますので、短くしかお話できないのですけど」と前置きした上で、

「そこの椅子の後ろに立ってみてくれますか。そして目の前に自分が座っていて、大変な状況を訴えているのを聴いてあげるイメージをして欲しいんです」

「そしてね。僕につづいて、こう言ってもらえますか?『本当によく頑張ってきたね』」

女性「本当によく。。。頑張ってきたね。。。涙」
僕「よかったら、椅子を抱きしめてあげて。。。」
女性「。。。。。(椅子を背後から抱きしめて泣く)」
僕「諦めなかったね。。。。やれることをやったね。。。。何度も立ち上がったね。。。。」
女性「(小さな声で、僕のセリフを繰り返す)」
僕「できてることだってあるじゃない。。。って言ってあげてください」
女性「できてることだってあるよ。。。小さいことかもしれないけどいっぱいあるじゃない」
僕「子どものことだって。。。。」
女性「そう。。。あの子だって苦しんでるけど、一緒に生きてきた」
僕「見守ってくれる人、頼ってよと言ってくれる人もいる。。。。」
女性「本当に。。。。。あぁ」

この女性が少し落ち着いたところで僕は言いました。
「僕が言うより、あなた自身が、さっきみたいな声をご自身にかけてあげるのが良いのだと思います。違いますか?あなたは真面目で一生懸命で、だからたまに自分に厳しくなっちゃうのかもしれない。だとしたら、あなたの勇気を挫くような言葉の代わりに、あなたが受け入れられて、勇気づけられるような言葉をかけてあげて欲しい。それがあれば、あなたはやれる人だと思うので」

他人とは距離を取ることはできますが、自分とは距離を取ることができません。一生の間、いつも一緒なのです。

だから自分が自分をどう扱うか。それは人生に大きく影響します。

素晴らしい人とずっといっしょにいたくてもそれは叶いません。でも自分はずっと一緒にいるのです。だから自分のことを勇気づける自分でいることが大切です。。

僕のカウンセリングの核心部分は、一緒にそのことを学ぶことです。

よかったら、あなたもぜひやってみてください。

空椅子の後ろに立って、背もたれに手を起きます。そして、その椅子に自分が座っているのをイメージします。

そして声をかけてみます。「おつかれさま。よくやってるよ。◯◯があなたのよいところだね。見守ってるよ。大好きだよ」

試しにいろんな言葉をかけてみてください。自分の心が動く言葉。ホッとしたり、勇気が湧いてくる言葉を探してください。

ぬいぐるみなどを自分に見立てて抱きしめながらやってもいいです。そして気持ちが前向きになったら
「やってみなよ。大丈夫だよ。何度でもやれるから。応援してるよ。まずは◯◯から。きっと△△になるよ。◯◯さんも応援してくれてるよ」など
前に進むための言葉をかけてあげてもいいかも知れません。

米国のコーチ、アンソニー・ロビンズの言葉です。

コミュニケーション質は人生の質である

そしてコミュニケーションには2種類あります。

自分とのコミュニケーション
他人とのコミュニケーション

です。自分とのコミュニケーションも変えてみましょう。それによって人生がどんどん変わっていきます






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