CBC⑩「自分をアピールできない僕とYouTube」
あっという間にこのシリーズも⑩回目。案外書くの嫌いじゃないのかも。。。まずは1ヶ月毎日書いてみようかなとか思ってます。コメントや質問を寄せてもらえたら励みになりますし、これらの原稿をいつか本などにするときに活用させてもらいます。それでは今日もスタート
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2009年。NTTを退職しコーチとして独立した僕は「自分のことを発信できない」ことに悩んでいました。
「やってることはすごいんだから、もっとアピールしたほうがいい。そうじゃないとわかってもらえないよ」などと言ってくれる先輩や仲間がいるのに、なぜか発信ができない。
当時は平本さんが開発したコンテンツで講師業もやっていましたが、平本さんのコンテンツに関しては発信できる。
教えている内容はアピールできるし、売ることはできる。でも
教えている講師=自分はアピールできないし、売ることはできない。
そんな感じだったのです。個人事業主なのに情けない。なんでこんなに自信がないんだろう。どうしてこうなったのだろう。と思ってしまいました。でも
アドラー心理学では原因を考えるより目的を考えよ。と言われます。
どうして原因を考えない方が良いのか。理由は3つあります。
例えば、僕が自分をアピールしない原因が「学校で自己主張したときに、先生にめちゃくちゃ馬鹿にされた」ということだったとしましょう。
原因を考えないほうがいい理由①自分責め他人責めをしがちだから
どうして僕は自己主張ができないんだろう。何のせいで。。。と考えていくと、自分に能力が不足しているとか、勇気がないとか、誰かに馬鹿にされたとかで、自分責め、他人責めをしてしまいます。そうすると悲しくなったり、腹が立ったりしますね。そんな状態になって良いことがあるでしょうか。
感情的に自分や人を責めたい状態で、自分が幸せに生きる道を進むことができるでしょうか。SPACEモデルで考えると、ネガティヴな感情(E)に捉われると思考(C)もネガティヴになりがちですし、建設的な行動(A)もとりにくくなりがちです。人間関係(S)にも悪影響となりかねませんし、イライラが続けば身体(P)への影響もありますね。※SPACEモデルはコーチがするカウンセリング⑤を参照
そして、学校で先生にバカにされたことが原因だとして、今から先生に文句を言いに言って、相手に頭を下げさせたらいいのでしょうか。それでどうなるというのでしょう。
それともバカにしてこなそうな人を選んで発信すればいいのでしょうか。そうしたところで「バカにされないかどうか不安」な状態が続くのではないでしょうか。なかなか難しいですね。
原因を考えないほうがいい理由②本当の原因かどうか分からないから
機械の故障を治すなら、原因論でいいのです。元の状態に戻すために、壊れているところを探して修正すればいいわけです。機械は構造が決まっているので、比較的簡単に原因を探すことができます。
ところが人間に起こっていることはなかなかそうはいきません。特定の思考や行動をしてしまう/できない、のがどんなメカニズムによるのか分からないのです。人間の行動や振る舞いがどのように起こっているかは複雑で、さまざまなことが関係しているので、特定できない(しにくい)のです。
だから、延々原因がわからない。原因だと思うものを見つけてアプローチしたけど、問題がなくならない/かえっておかしくなる。などが起こりかねない。学校の先生とのことが原因かもしれないけれど、親との出来事が原因かもしれない。遺伝的な問題かもしれないし、昔好きだった物語に影響を受けているとか、よく食べている食べ物が影響しているとか、それはもういろんな可能性があるわけです。だから原因探しが延々と終わらない可能性もあります。そしてその間は変化が起こらないどころか、ますますメンタルダウンしたりするわけです。
原因を考えない方がいい理由③本当の目的が適わないから
そもそも本当の目的とはなんでしょう。このときの僕のケースで言うと、果たして自己主張することが目的なのでしょうか。自己主張できるようになりさえすればいいのでしょうか。
例えば、本当の目的は、多くの人にコーチとしての僕の存在を知ってもらうだったとしましょう。だとしたら別に自己主張にこだわって努力しなくても、誰かにPRを手伝ってもらうとか、コーチングを受けたい人がいそうなところに出向いてコーチングさせてもらうとか、目的を叶える手段は他にもあるわけです。
バイクが壊れたとかなら話は簡単です。動かなくなった原因を探して、修理して、バイクが動けばOKです。バイクに乗りたいのならそれでいいのです。でも本当はそろそろバイクではなくて車がほしいという場合。もしくは海外(文字通り海を超えて)に行きたい場合。バイクが故障しているからといって、原因を見つけてそこを直しても、目的は適いませんね。だから本当の目的を見つけて、それが適う手段を見つけるのが合理的であると考えるのです。
これらの理由によって、アドラー心理学では、原因にアプローチすることをよしとしません。代わりに目的を考えるのです。これを目的論といいます。
その頃の僕が気になっていた「自分をアピールできない」は
アピールできないのではなく、
「自分をアピールしない」と自分で決めている
そしてそれには目的がある。と考えるのです。
では何が目的なのか?
・めんどうなクライアントに出会わないことが目的
・クライアントから求めれることで責任を回避することが目的
・まわりから「もったいないよ。すごいのに」と言われるのが目的
・仲間から「謙虚な人」と言われるのが目的
・出過ることで先輩に「嫌われない」のが目的
・先輩から「仕方ないなぁ」と仕事を譲ってもらうのが目的
・クライアントから「すごい人なんです!」と言ってもらうのが目的
とかこちらもいろんな可能性がありますよね。
アドラー心理学では
①まず、自分の今の行動の目的に気づく
②本当の目的は何かと自らに問う
③本当の目的の実現に役立つ手段を発見する
のSTEPで検討することを推奨しています。
僕は2005年にコーチングとNLPとアドラー心理学に同時に出会い、それらを一体のものとして学んでいく機会を得ました。だから僕のコーチングのベースは、アドラー心理学の理論とNLPのスキルで作られていたのです。
そんなわけで僕はSTEP1「自分をアピールしないことの目的」を考え始めました。
そして気づいた目的が「母を刺激しないため」でした。僕がNTTをやめてコーチングを仕事にすると報告したとき、母に言われたことがあったのです。
「NTTをやめるのはいいけど、コーチングは正直なところ賛成できない」
母の気持ちもわかりました。子どもの頃から人に迷惑をたくさんかけてきた僕。その尻拭いをしてきた母からしたら「息子が人のサポートをするなんて無理ではないか」と思っただろうし「また迷惑をかけるのでは?」とか「息子が世に出て偉そうにしていると、昔迷惑をかけた人が、快く思わないのでは?」とか思ったかも知れません。
その気持ちがわかるからこそ、コーチとして独立は譲れないけど「母を刺激しない」と自ら決めていたのです。
STEP2は「本当の目的は何か?」を問うことです。「母を刺激しない」は本当の目的でないことは間違いがないことです。本当の目的は「素晴らしいコーチングがここにあることを知ってもらうこと」「そのコーチングを使ってみたいという人に、僕がコーチングしたり、教えたできることを伝えること」「そして、その人がコーチングを使って幸せになること」です。つまり「コーチングを受ける、学ぶ、使うことで人に幸せになってもらうこと」
が本当の目的でした。
STEP3は「本当の目的に役立つ手段は?」の答えを見つけることです
・目の前の人に、もっとコーチングをする/教える
・自己アピールではなく、コーチングに関する情報発信をたくさんする
・これまでのクライアントや参加者に紹介をお願いする
・講演会や、セミナー、勉強会の講師の仕事をもっと増やす
・知り合いに企業研修先を紹介してもらう
・パンフレットをつくって、配る。配るのを手伝ってもらう
・コーチングの普及活動をしているグループに入って手伝う
・コーチングをしている人の支援をして、その先で受けられる人を増やす
などなど手段をたくさん思いつきました。こういう作業を経て選ばれたのがYouTubeでの情報発信でした。まだ当時未開拓の分野だったYouTubeでのコーチング情報の発信。ほとんどやっている人がいなかったので、そこで価値ある情報を発信しよう。僕自身をアピールするのではなく、むしろ謙虚に役立つ情報を伝えることでいいんだ。むしろそれを積極的にやろう。そうやって普及活動をしようとなったのです。
当時始めた個人チャンネルは、途中から現在のプロコーチチャンネルに変わりましたが、今日まで足掛け15年のYouTubeでの情報発信がこのとき始まったのです。2024年1月12日現在、プロコーチチャンネルの公開ビデオ本数は3740本です!我ながらすごいな、と思います。
こうやって始まったYouTubeでの活動で、どれだけ多くの人の役に立てたか計り知れません。目的論で発想することの素晴らしさを痛感します。
そして「YouTubeで謙虚に発信しているなら、母にいらない刺激をすることもなさそう」というのも安心材料でした。ですからこのケースでは、大目的「コーチングの普及」を実現する手段であり、かつ小目的「母を刺激しない」をクリアする手段が見つかったというわけです。
こんな風にYouTubeでの発信がスタートしました。素人なりに一生懸命構成を考え、撮り直しなどもしながら工夫していました。でも見てくれる人はいません。それはそうですよね。プラットフォームにコンテンツをあげたところで、それだけでバズるようなことはないわけです。
でもそれでいい。焦らないで行こう。誠実なコンテンツを積み上げて行こう。誰かが気づいてくれたときに、たくさんの良質なコンテンツにアクセスできるようにしよう。
だから
まだ見ぬ誰かのために一生懸命に書くんだ。瓶につめた手紙がいつか、どこかに辿り着き、それを拾ってもらえるまで。毎日手紙を書くんだ。
ちょっとロマンチックすぎますが(笑)、そんな気持ちでビデオを出していました。
でも、見てくれる人は全然増えません。やっぱり気になって(笑)再生数を見ながら考えます。
自分が何回か見ている。あとは誰だろう。◯◯さんは見てくれている。××さんも。あとはクラスの人が5人は見てくれてるかな。あれ、でもそれだけか。じゃあ△△は見てくれてないのかな。なんで
そんな馬鹿馬鹿しいことを思う日もありました。
ところがある日。僕のビデオにコメントがつきました!
それは
「この人の喋り方は気持ち悪い」
というものでした。
落ち込みました。がっかりしました。腹立たしく思いました。悔しかったです。なんでこんなこと書くの?みなきゃいいじゃん!こいつ誰だよ?嫌がらせ?何のために、こんなこと書くの?
「何のために?」
そうだった。目的論だった。きっとこのコメントを書いた人にも目的がある。それは何だろう。
面白いもので、そう考えはじめたら、落ち込みやイライラはどこかに行っていました。
ポジションチェンジをするつもりで、パソコンの前で座り直し、誰だかも分からないけど、コメントをした人になりきってみようとしました。
コメントのついたビデオを、その人の気持ちになって見直そうとしました。
そして自分でもコメント欄に同じことを入力してみました。
こ・の・ひ・と・の・は・な・し・か・た・は・き・も・ち・わ・る・い
それを漢字変換して、エンターキーを押そうとした瞬間
「こんな奴は偽物だ」
という言葉が自分の内側から出てきたのです。
注意深く自分の内面に意識を向けると、さらに
「俺だってこんなこと知ってる。先生だって、もっといい先生知ってるよ」
本物から学べ!
素晴らしい教えはたくさんある!
この人はそれを言いたかったのかな。
そう思うと、納得感がありました。
そうやって改めて自分のビデオを見てみると
・変に頑張っている喋り方が胡散臭い
・いいものだと伝えるが下手くそで、自分のところはすごい!みたいになってて暗に他所はダメって言っているようにもとれる
あー。これは改善点だな。と思いました。そうしたら、そのコメントしてくれた人への感謝がでてきたのです。
「ありがとう。あなたが指摘してくれなかったら、本意でないビデオを出し続けていたかもしれない。早めに気づかせてもらえてよかった」
そして思いました。いつかどこかでこのコメントをしてくれた人と出会う機会があったら、お礼を言おう
「あなたのコメントのおかげで気がつけたから、ビデオの方向性を修正できました。少しは良くなったんじゃないかと今では思えています。たくさんの人にも見てもらえてます。ありがとうございました!」
そう伝えたらきっとその人は
「いやいや、宮越さん。当時はあんな書き方しちゃってごめんね。でもその後やり方変えながら続けたんですね。すごいよ」って言ってくれるんじゃないかな。そう思えたら、もう悲しさも怒りもなく、感謝と、淡々と行動し続ける決意しか残っていませんでした。
こうして僕の「自己アピールできない問題」は、アドラー心理学の目的論をつかったセルフカウンセリングで、想像以上の未来に繋がったのでした。
目的論でのアプローチは、カウンセリングとコーチングをつなぐ重要なものだと考えています。ぜひ参考にされてください。
しかし、そこから10年近くの時を経て「自己アピールできない」という課題は、形を変えて再び僕のもとにやってくるのです。
続く
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