前職の上司や先輩がしていた衝撃的なムーブ

しんぱちです。
最初に断っておきますが、タイトルからはビジネス・仕事術っぽい話になりそうですが、そういう役立ち系の記事ではございません。
私がカルチャーショックを受けただけの話です。

・衝撃的なムーブ①

私は前職で営業を3年ほど経験しました。
辞めた時に配属されていた場所は、車がないと生活できないが山奥というほどでもない、個人経営の店はポツポツあるくらいの片田舎でした。

ここに配属されたばかりの頃、独身の先輩や上司に(行きたくないけど)飲みに連れていってもらうことがしばしばありました。
決まってみんな行きつけの個人経営の飲み屋を持っており、そこの店主やママと仲良さげに話していました。
私は都会育ちなので、チェーン店を選んだり、個人経営に食べに行くとしても店主とは話さないで店を出ます。
なので、行きつけの飲み屋を持つというのが面白いな、田舎ならではなのかな、なんて考えてました。

そして話をよくよく聞くと、週に何度か仕事終わりに足を運び、店主やお客さんとお喋りを楽しんでいるそうです。
これが自分の中では衝撃でした。

・仕事終わったら社会と分断したくない?

何が衝撃なの?と多くの人は思うかもしれませんが、自分にとって、仕事終わった後も人とつながりたがるという性質が衝撃でした。

私は仕事終わった後、「やっと一人の時間が持てる…!」と歓喜し、ゲームに興じたり録画したバラエティー番組を見たり漫画を描いたり、自分の世界に閉じこもるのが無上の悦びでした。

ところが先輩や上司は、一人になるのが嫌で、つながりを求めて街に繰り出していました。
年齢的に30~40代だったので、歳をとってからそういう行動が多くなったのかもしれません。
一人でできることに限界を感じて繋がり求めたのか。


ただ、当時若かった私はどこか自分基準で物を考えていたのか、仕事終わってまで誰かと話したがるなんておかしい!と強く思っていました。
私は昔から自分のことを、「どこにでもいる平均的なさえない男」だと思っていたので、平均である自分の考えこそがスタンダードだと思っていました。
しかし、田舎の配属先では仕事終わりに飲みに繰り出す方がスタンダードだったので、なんだか衝撃を受けたのです。

・衝撃的なムーブ②

もうひとつ、今度はより仕事の姿勢とかに関わる話で、衝撃的なムーブをしている人がいました。

その人は私の3年先輩で、新人の頃に教育係になってくれた人です。
支店長曰く、「あいつは俺が今まで新人の中でもトップだ」とのこと。
タイプとしてはチャラ系で、ナンパを嗜み、一般的なイメージのコミュ力が高い人でした。

前職場では事務所の隣にでかい倉庫があり、営業職は事務所で8時から業務開始ですが、倉庫では現業職が朝6~7時くらいから荷出し準備を始めていました。
その代わり、現業職は定時16時くらいに上がれます。

このトップな先輩は、朝6時に出社し作業服に着替え、倉庫の全エリアの荷出し準備を手伝ってから、スーツに着替え営業の仕事を開始してました。

残業代を申請することもなく、自分がやりたいからという理由でやっていたそうです。

この話を初めて聞いたとき、「すごい!」と思う前に、「なんで?」と思ってしまいました。

自分は結構頭でっかちで物を考えてしまうので、理にかなわない行動は「?」と思ってしまいます。

例えば、事業主の社長がこの動きをするならわかります。もしも出荷に不手際があれば売り上げが下がる(自分の利害に直結する)ためです。

営業の仕事をやりやすくするため現業職に恩を売るためにやっていたというのなら、利があるのでわかります。
ですが、雰囲気的にどうもそういう打算的な感じは見えませんでした。
本当にやりたくてやっているのでしょう。
「朝もう少し寝ていたい」より、「誰かを手伝いたい」「役に立ちたい」が強いということです。
自分の時間を割いてでも他人を助けたいのです。
この考え方が衝撃的でした。

自分がどのように衝撃だったか例えるなら、「我が子と公園に行ったら泣いている子どもがいたので、我が子のおもちゃを取り上げて泣いている子に譲った」くらいの衝撃でした。それと同じくらい、自分の価値観では考えられないムーブでした。恐怖すら感じていたと思います。

・雇われる側が仕事を頑張ることが、理解できなかった


セールスマンとかはわかりますよ。
自分がものを売れば売っただけお金が入るというのならば。
芸人や落語家や漫画家も、自分の生きがい+食い扶持のために死ぬほど頑張るでしょう。
ただ、そうではないルート営業だと、自分の健康や生活を脅かすほど会社に貢献しようとする=理にかなっていない だと思ってしまいます。

雇われ人は安定した生活のために会社に属しているため、会社での所在を脅かされない程度に仕事して、気持ち程度の充実感を得る為頑張る。
これが普通のムーブだと思っていたので、自分の意思で自由時間を割いて働くことが理解できませんでした。

結論:自分の基準が全てではない

人は多様性があり、感じ方や大事なものは人によって様々。
わかってはいましたが、実際に違う価値観を目の当たりにすると、結構ショックを受けます。
ショックを受けると自分の基準が壊れるような気持ち悪さが発生します。
多分これがよくない方向に行き切ると、イジメが発生する(異質なものを取り除きたがる)んだと思います。

なので、人は人の価値観や基準があるということを再認識して、自分の基準が全てでありスタンダードであるという考え方はなるべくしないように生きていこうかなと。
違う価値観を目の当たりにしたとき、ショックを受けない柔軟性を得たいと思います。

ちなみに、この文章は土曜日の朝6時に起きて2時間近くかけて書いています。
このムーブが一番衝撃と言われる可能性も大いにありますね。

終わり。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?