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山頭火の話 11
藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.16-17。)
最近、種田山頭火(さんとうか)という俳人の句が注目されています。
宗教的な背景を持っている、この方の句には、どこか心に沁みるものがあります。
「分け入っても 分け入っても 青い山」
これは、とても有名ですが、全身が緑に染まるような気持ちになります。
「あの雲が おとした雨に ぬれている」
あの雲と見上げて、お前の雨だよ、と呼び掛けるというのは、受取手の心が1つになっています。自然と1つになるのは、日本人的な心ですね。
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「うしろすがたの しぐれていくか」
寂しい句ですが、時として、こういう人生の断面も味合わされます。
「ひとつ ひっそり竹の子 竹になる」
成長というのは、気づかぬうちに人を変えるのです。
大きくなったなぁと、久しぶりに会った青年を、まぶしく見上げる体験は、誰にでもあることです。
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「真っ直ぐな道でさびしい」
信じているゆえに、他の人と共にいけない道があります。申し訳ないがと、お付き合いを断って帰るとき、「狭くて細い命の道だ」と思う時もあるでしょう。
「また見ることもない山が遠ざかる」
同じ光景は、2度と来ないのです。この山は辛かった、でも、同じ山はないでしょう。考えてみれば、人生は片道切符の旅ですね。
漂白の俳人、山頭火は、
「落ち着いて死ねそうな 草枯るる」
と詠みました。
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内村鑑三も
「これで良い。万事感謝」
と最後に言ったそうです。
青い山、青春から、草枯れる晩年、悔いのない一生を送るためにも、
「これが道だ、これに歩め」
と、神の声が語り掛けるのです。
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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月26日、56歳で召天。この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり、3分間テレフォン・メッセージとして書き溜めたもの。
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