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No.027 人類滅亡の十年前

ヒトはかつて、その背中の翼を捨てた。
空よりも地上で生きることに命の安定を見出したのだった。
100万年も前のことである。

ヒトはかつて、その口の牙と頭の角を捨てた。
狩猟に際し知恵とチームワークを見出したのだった。
10万年も前のことである。

ヒトはかつて、言葉と上下関係による秩序を得た。
種の存続のために社会性を見出したのだった。
1万年も前のことである。

ヒトはかつて、生産と分配を司るための法制度を得た。
公平性に新たな幸福を見出したのだった。
千年も前のことである。

こうしてヒトは奪い合いをやめ、自分たちの存在を確かめ合うことに喜びの可能性を探究することにした。
ヒトは、ついに人間になった。

人間となった者たちは、どういうわけか愛を捨てた。
協力よりも強奪に、興奮と安堵を見出したのだった。
100年前のことである。

人間となった者たちは、あろうことか信頼を捨てた。
分かち合いよりも騙し合いに、優越と充足を見出したのだった。
つい昨日のことである。

こうして人間は助け合うことをやめ、互いにその存在を脅やかし合うことに再び専念し始めた。
人間は、元のヒトに戻ることを決意した。

人間はこの後、生きる目的を捨てることになる。
生存よりも快楽に身を委ねたのだった。
今から一年後のことである。

人間はこの後、その存在価値を捨てることになる。
実在よりも幻影に責任をも吹き込んだのだった。
今から三年後のことである。

人間はこの後、故郷を捨てることになる。
共存よりも自らの種の淘汰に舵を切ったのだった。
今から十年後のことである。

快楽が人類の目指すべきゴールに置かれ、多くが道を誤った。
誤った価値観は恐怖と無秩序を生み、誰もが生きる希望を失った。
失望は絶望を生み、多くが死に、やがて新しい命も生まれなくなった。
知性の消失と精神の崩壊が、誰も望まなかったはずの種の淘汰を加速した。

こうしてヒトは自ら作り出した想念に屈した。
人類の進化の長い道のりで、わずか100年間の脱線が致命傷を招き、彼らは地球を去ることになった。

ある者たちは、自分たちが人間たる責任を果たせずに終わったことを大いに悔やんだ。
ある者たちは、罪のない動植物をいくらか巻き込み、尊い命の多くを道づれにしたことを申し訳なく思った。
多くの者は、これほど早い人類滅亡の到来を受け入れられず、神に祈りを捧げるしかなかった。
ごく一部の者は、これで良いのだと人類の罪と罰を心から受け入れた。
ある目覚めた者たちは、人類の住処を復興させようともがいたが、何も回復させられなかった。

人類最後の一人となったある老夫は、自身の際に思った。

もしも10年前のあの日、各国が考えを変えていたら事態は変わっていたかもしれん。
大戦前夜、あるいは武器に勝る大衆の力で市民が団結していたら、間に合っていたかもしれん。
コロナのパンデミックが一段落し、世界中で経済が崩壊し始めたあの時期に。
世界中で地震が起き、気候変動が加速したあの時期に。

戦いを放棄し、人類が分かち合いへの転換を選択していれば。

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