エドワード・ヤン試論



 一平方キロメートルあたり六百九人が居住する台湾は、世界で最も人口密度の高い地域のひとつである。総人口は二千二百万人超。

 そして、エドワード・ヤンほど、この台湾という都市を意識して映画を撮り続けた映画作家は他にいない。他の台湾ニューシネマの同期の監督も台湾を映画で描こうとしたが、エドワード・ヤンほど執拗に都市としての台湾を描き、成功した監督はいない。また彼ほど生前においてその寡作が表している通り、映画製作の機会に恵まれなかった天才はいない。確かに、遺作となる『ヤンヤン夏の想い出』は世界的に評価された。しかし、これから映画作家として本格的に世界的に活躍しようとした時に、亡くなってしまった。五十九歳という若さであった。

 現在、エドワード・ヤンは台湾ニューシネマの旗手として、映画史において伝説的な映画監督としてその名を刻んでいる。そこで、改めて、私は彼のフィルモグラフィを振り返りつつ、いかに彼が映画史において重要な人物だったのかを私的な淡い恋のような想いと共に検証したい。

 まず、一作目の『指望』は、題名を『光陰的故事』という中央電影公司製作のアンソロジーに収められた、四人の監督による四本の短編作品のなかのひとつである。このアンソロジーが台湾ニューシネマの契機となる。当時の台湾の映画産業は落ち込んでいて、若い世代の監督に機会を与えないでいる理由はほとんどなかった。テレビから流れるヴェトナム戦争のニュース映像とビートルズ。『指望』の物語の時代は六〇年代後半だと推察される。そんな動乱の最中の台湾で主人公の少女シャオフェンは思春期の多感な時期を過ごしている。この映画の始まりはそんなシャオフェンのクロースアップで始まる。どこかイングマール・ベルイマンの『叫びとささやき』を想起させる登場人物のクロースアップによる物語の始まり。このファーストショットからエドワード・ヤンの作家主義的な映画に対する真摯な向き合い方が伝わる。また、エドワード・ヤンのフィルモグラフィを通底している女性の繊細な描き方もこの映画から垣間見ることができる。例えば、シャオフェンの初潮の描き方にしても、その女性映画的な試みが見られる。シャオフェンが真夜中に目覚める。彼女はシーツの下をのぞいて困惑する。そして姉のベッドを見る。そこには誰もいない。母を呼ぶ。誰も来ない。何が起こったか彼女にわかっているかどうかははっきりしない。彼女にわかっているのは、自分がひとりぼっちだということだ。凡庸な映画監督だと、このシーンに母か姉を登場させ、初潮が起こったことを説明してしまうだろう。またシーツをクロースアップで撮り、その赤い血をカメラに映してしまうだろう。しかし、その演出における凡庸なサービス精神をエドワード・ヤンは拒絶するのだ。このような女性の繊細な描写は、成瀬巳喜男の影響によるものではないだろうか。フィルムアート社から刊行されている『エドワード・ヤンー再考・再見』によると、エドワード・ヤンは成瀬巳喜男とヴェルナー・ヘルツォークからの影響を強く語っている。また、エドワード・ヤンは映画作りにおいて強い思想を持っていただけでなく、映画の見方においても強い思想を持っていた。そして、エドワード・ヤンの映画はいたってシンプルである。国立芸術学院でエドワード・ヤンの映画の授業を受けていた王維明はこう語る。「そうですね、構造と思想、その組み合わせ(アレンジメント)の状態こそが映画であり、両者に触れぬまま作品の本質は語れないと考えていたと思います。その意味で、彼が撮った映画はすべて複雑な構造をもっていますが、結局のところ、ひとつのこと、とてもシンプルなことを伝えようとしているのだと思います」

 次に、長編第一作にあたる『海辺の一日』はオーソン・ウェルズの『市民ケーン』と比較が可能である。この映画は時間と記憶の物語であるのだ。『海辺の一日』は『市民ケーン』と同様に一種のミステリーとして始まる。そして、繰り返されるフラッシュバック。エドワード・ヤンはオーソン・ウェルズと同様に過去と現在を自由に行き来する。この映画の海辺が表象するものは、オーソン・ウェルズが『市民ケーン』において、薔薇のつぼみが表象したものにあたる。つまり、人生が完全であるときの、逃れ難くかつとらえどころのない瞬間―および、過ちのすべて。

 ヤンの長編二本目の『台北ストーリー』は一九八五年、ロカル国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。この映画では『海辺の一日』のように優雅だがおびただしい数に及ぶフラッシュバックには頼ることはせず、見事に台湾に関するさまざまな言及を行うとともに、複数の物語を同時に語ることを実現してみせている。しかし、興行成績はかなり悪かった。
 ヤンはこう語る。
 でも同時に、映画の意図を理解してくれた人も多くありませんでした。みんなが観たかったのはもう一本の『海辺の一日』、つまり恋愛経験のもつれ合うラヴストーリーだったんです。それでこの映画を観て気分を害してしまった。「何だって? これがラヴストーリーだと言うのか? 人がばらばらに別れていく話だぞ?」 でも当時ぼくはそのようにこの街を見ていたんですーわれわれは過去と別れつつある。そして過去とわれわれとの結びつきは、不可避的に恋愛と似たものでした。しかしリアリティが介入する。あるいは経済的圧力や、さまざまな困難が・・・。でも、当時は教養のある批評家があまりいなかった。批評家たちはこの映画を、単なる商業的失敗として軽んじる傾向にありました。でも振り返ってみると、『台北ストーリー』がほんとに描いていたのは、この土地に対するぼくの献身だったのですーこの街の過去に対してどれほどぼくがつながりを感じているか、しかしそれと同時に、この街の未来をどれほど僕が案じているか。(Edward Yang)
『台北ストーリー』はエドワード・ヤンの転換点ではないだろうか。確かに『指望』と『海辺の一日』においても台湾の歴史について言及するシーンはあったが、この『台北ストーリー』ではより一層キャラクターやロケーションと共に台湾の歴史を語ることに成功しているのだ。ラストシーンのビルに反射する歪んだ車道は時空の歪みを表現しているのではないだろうか。さらに、ドア型の窓。逆光に照らされる空室。など、その後のエドワード・ヤンの作品に登場する私がここで勝手に名付けるが、「映画的建築の装置」が出現する。この「映画的建築の装置」については次節の『恐怖分子』で語ることにする。



 長編三本目『恐怖分子』
 まず、恐怖分子とは誰のことを指しているのか。この呼び名は登場人物の何人か、あるいは全員に当てはまると思われる。あの混血の少女かもしれない。驚くことに、エドワード・ヤンにこの映画のインスピレーションを与えたのは混血の少女を演じた女優の体験談である「いたずら電話」の話である。この女優は家庭に問題を抱えていた。母親はよくこの女優を部屋に閉じ込めた。そういう時は、適当な番号にいたずら電話をかけて、愛人のふりをしたりして、よく暇を潰していたそうだ。『恐怖分子』が私にとって初めて見たエドワード・ヤン作品だった。虚構と現実が複雑に絡み合う脚本のプロットに驚いたのと抽象的な表現になるが、映画的瞬間といっていいのだろうか、暗室のような部屋、巨大な写真、銃声の鳴る空き部屋など、とにかく心臓を鷲掴みされたのだ。そんな映画的瞬間を起こす建築を私は「映画的建築の装置」と勝手に前節から呼称しているが、その装置がいたるところに散らばっているのだ。特に驚いたのが、空き部屋の使い方である。冒頭に出てくる銃声の鳴る空き部屋が、その後も物語に現れ、物語の核を担いつつ、琥珀色の照明に彩られたり、巨大な写真を風で揺らしたりと、「映画的建築の装置」としてうまく機能しているのだ。

 長編四本目『牯嶺街少年殺人事件』
 大いなる傑作である。異論はないだろう。そんな作品が映画作家にはひとつあるものだ。エドワード・ヤンにとってのそんな作品が『牯嶺街少年殺人事件』である。少年期にしか体験できないあの不穏な時代。悲劇的なラストを迎えるまでの少年少女たちの淡い時間。この映画は四時間近くあるが、どこにも無駄がない。隙がない。完璧な映画である。
一九四九年。国民党政権が中国共産党との内戦に敗北したあと、大陸から何百万もの中国人が台湾へと逃亡した。その子供たちは、両親が将来への不安を抱える不安定な空気のなかで成長した。アイデンティティを求め、安心感を強めるために、多くの者たちはストリート・ギャングのグループを結成した。主人公の少年はシャオスーという。父親と母親は一九四〇年代の終わりに中国大陸から移住した人たちである。
 ヤンはフィクションとリアリティ(白色テロ)との境界線を取り上げ、そこにひねりを加える。映画撮影所は、主要なストーリーラインにとっては偶発的なものであるけれども、映画のなかで進行する物事を反映するプールのようなものとして機能する。ちょうど『牯嶺街』それ自体が、台湾の機能不全を反映している鏡となっているように。
 この映画を作るのにヤンは四年かかった。その年月の多くはほとんどアマチュアからなる俳優陣を訓練することに費やされたのだろう。
 冒頭でシャオスーは懐中電灯を手に入れる。この小道具がこの映画全体を支配する夜を照らす光となる。彼は主人公であり夜に染まったキャラクターたちを導くのだ、夜の演奏、夜のキス、夜の暗殺、夜の逃亡、夜の死・・・
 夜の死・・・ラスト、常備していた懐中電灯から小刀に小道具が変わり、シャオスーは悲劇を起こす。引きの画でその悲劇を撮ることによってシャオスーは世界から突き放されるのだ。

 長編五本目『エドワード・ヤンの恋愛時代』
 ヤンは喜劇も描くことができるオールラウンダーだということを証明してみせた作品。
この映画に登場するバーディはあまりにも楽観主義者である。このことは一九九〇年代半ばのアジア経済の好況から来ている。しかし、この好況もすぐにはじけてしまう。よって、この作品は特殊な瞬間の映画である。ウディ・アレンを意識したとヤンも語っているようにうまくコメディ描写とメロドラマ的要素が混ざり、普遍性のある映画に仕上がっている。
個人的には一番好きな映画であるが、一般的にはヤンのフィルモグラフィの中では最良のものとはいえない。しかし、文化の腐敗に関する思索、金銭が「芸術」を生み出し売り買いする様子、さまざまな種類の腐敗を引き起こす様子に満ちた恋愛コメディ映画である。さらに、舞台を何度かこの俳優陣で上演した後に、撮影に臨んだ点において、この映画はリハーサルを繰り返すイングマール・ベルイマンの影響もあるのではないだろうか。

 長編六本目『カップルズ』
 これほど美しいキスシーンはあるだろうか。キスという行為が悪とされる中、ラストにおいて主人公とヒロインはキスを交わす。ここに映画音楽は使われていない。台湾の生活音のみが聞こえる。これはどこか成瀬巳喜男の『乱れる』のラストシーンを思い出す。エドワード・ヤンは成瀬の『乱れる』について「成瀬巳喜男の世界」のなかで次のように言及している。・・・
 その最後のシークエンス、加山雄三演じる義弟が事故死し、それを知った高峰秀子が駆け寄ろうとし、しかし不意に立ち止まり表情を緩ませるラスト。
「おおかたの映画では、監督の誰もがヒロインの演技をメロドマチックに処理して、わたしたちの感情をもてあそぶチャンスとする。正反対に成瀬は、狂おしくあとを追う高峰を立ち止まらせることにした。彼女はたたずむ。その表情は急にやすらかになり、成瀬はすみやかに映画を切断し、終わらせてしまう。これほどさりげない優しさはあるだろうか?」(『成瀬巳喜男の世界へ』、二五八頁)
 普通なら効果音などで主人公とヒロインのキスシーンをロマンチックに飾る。しかし、エドワード・ヤンは成瀬のスタイルを参照し、ヒロインたちを効果音で彩ることを拒否し、キスを交わしたところで映画を切断する。おとぎ話的エンディングを断ち切り、作品全体の姿勢からすれば、シンデレラのいかなる気配も、ためいきのようにはかないものとならざるをえないのだ。

『ヤンヤン 夏の想い出』
 これが、惜しいことにエドワー・ドヤンの遺作となってしまう(未完の『追風』を除くと)二〇〇〇年に公開されたこの映画は世界中の賞を獲得する。ニューヨーク映画批評家協会から最優秀外国映画賞を受賞し、全米批評家協会から年間最優秀映画の名誉を送られた。
 結婚式から始まり葬式で幕を閉じる。綺麗に回帰する本作は、NJのエレベーターでの偶然の出会いを発端に、主人公ヤンヤンの家族たちの群像劇が始まる。
 とりわけキャリア初期のころ、エドワード・ヤンがミケランジェロ・アントニオーニになぞらえたとき、それは彼の思索的まなざし、クールな距離の取り方、近代の病理の感覚、およびイメージの曖昧さに対する哲学的自覚ゆえのことだった。
 ヤンヤンとはエドワード・ヤンの分身ではないだろうか。フランソワ・トリュフォーが『大人は判ってくれない』でジャン=ピエール・レオに少年期の自己を投影させた分身を作り出したように。

 日本、中国、そしてアメリカ。他国の文化に支配され続けるという試練に囚われ続けながら、ようやく一九八七年に三九年に及ぶ戒厳令が撤廃され、政治的抑圧から抜け出したとほぼ同時期に、今度はグローバリゼーションに伴う市場主義に飲み込まれてしまう、歴史のパースペクティブを取り戻す時間を与えられぬまま、想像もつかぬほどの早さで変貌してしまう台湾。エドワード・ヤンはそんな文化的大変動のなかの台湾で作家主義的映画を撮り続けたのだ。エドワード・ヤンこそが映画史に残る天才映画作家のひとりであり、彼の代わりは他にいない。ヤンヤンのように彼の背中を追いかける若い映画作家たちもいる。そんな若い映画作家たちをエドワード・ヤンは優しげな春のような笑顔で天国から見守っていると思うのだ。

(外国映画史の授業課題より引用)

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