見出し画像

2046 ❷

2 捜索

「で、どうすんの」
眠い目を擦りながらニコがアナトに尋ねる。
「どうすんのって、何が?」
アナトが布団の中で寝返りを打ちながら低い声を出す。
「は?? 昨日盛り上がったじゃん。まさか覚えてない…?」
「何それ? そんな盛り上がったっけ?」
アナトはまだ眠そうだ。
「マジかよ…。早起きして損したじゃん」ニコがむすっとしながら身支度していた手を止める。
「嘘嘘。冗談だよ。覚えてまーす」
「覚えてまーす、じゃねえよ! さっさと起きやがれこの糞」
ニコはアナトが覚えていることに少し安心しながら、彼の布団を勢いよくはいだ。
「まだ朝じゃないか。もうちょっと寝かせてくれ。なんか気持ち悪いんだ」
アナトがウーウーと呻きながら、ニコに布団を取られまいと抵抗する。
「はあ、もう…酒飲み野郎が…。日がもう少し昇ったら出発だからな」
「ありがとうありがとう…」
アナトはわざとらしくお礼を言い、布団にくるまった。


アナトとニコはアジンの中心部に位置する団地に住んでいる。生まれてこの方住処を移したことのない二人は、アジンの外は愚かアジンの内部でさえ知らないことだらけだ。団地はA棟からO棟まであり、どれだけの人間がそこに住んでいるかは検討もつかない。とにかく大量の人間がいるのだ。
2028年にアジンを囲う壁の建設が始まり、その4年後の2032年に完全に壁が完成する。ただ当然、アジンの人口はその後も肥大を続ける。壁の制限のおかげで横に広がることができなくなった建造物は、積み重ねるようにして上へと拡大していった。二人が住む団地も、棟によって階数はまちまちで、それはまるで歪な積み木の集合体の様な物であった。
団地は円を描くように建っており、その中心に「イオン」と呼ばれる巨大は市場が存在する。アジンの住民は、主にイオンで食べ物や酒やタバコや薬を買うのだ。
団地の周りにも住居は存在する。そのほとんどが違法建築に違法建築を重ねたような代物で、安全性のかけらもないような建造物ばかり。場所があれば建てる。管理者がおらずルールのないアジンならではの「無秩序という名の秩序」が、住居からも感じ取れる。


「あー。水だけは美味いよな」
アナトが蛇口を閉め口を拭う。
「どっから探す?」
ソファに座っているニコがジョイントに火をつける。
「うーん。まずは何を持っていくかだな」
「だな」
二人は頷き、手当たり次第旅に必要そうなものを床に広げた。
タバコ、酒、ウィード、ライター、マッチ、ガム、古い腕時計、動くか分からないスマホ。
「これだけあれば十分かな?」
「ああ、十分すぎて怖いくらいだ」
床に並ぶものを見ながら二人は満足げに頷く。
「あ、アナト。日記もいるでしょ?」
「おっと、危ない危ない。一番大事」
アナトはソファの上の日記をニコに投げた。
「でもさ、思ったんだけど」
ニコが日記を手でさすりながら言う。
「ん?」
「まずはさ、八代にアナトが昨日言ってた案内人の話してみない? 彼女なんでも知ってるしもしかしたら有力な情報をくれるかもしれないよ」
「そうだな…、あいつのことあんま好かねえけど、それが一番だな」
アナトはニコの提案に渋々納得しながら、床に広げた荷物をカバンに詰める。
「起きてるかな?」
「さあ、多分起きてないな。まあいいよ、叩き起こそう」
「そうだね」
水もたくさん持っていこう、とニコは言い、キッチンに転がってる空き瓶何本かに水道の水を入れた。


アジンの文明は逆行している。昔どこかの人類学者が言った言葉だ。
外壁が完成した2032年から2046年までの14年間。アジンの人口と建物は右肩上がりに増え続け、サルガの脅威も人間がある程度免疫力をつけたことから季節風レベルにまで落ち着いた。しかし、医療も教育も技術も、発展することはなかった。
病院と呼べるような施設は相変わらず少なく、学校はそれらしき建物はあるものの全く機能していない。子死病の恐れも消えたことから、多くの子供が誕生したが、その多くが親に捨てられたり虐待されたり売春に差し出されたりし、極悪非道な人間へと成長する。
電子媒体に関しては、いまだにスマホやPCなど一昔前の物を持っている人が多くいるが、電波はアジン外部の物を利用しているため、そのほとんどがアジン内のある特定の場所でしか使い物にならない。また、新たな電子媒体はほとんどアジンには流れてこないので、月日が経つにつれ住民の使う媒体は壊れ、やがて日常的にそれらを使う人はいなくなった。使うと言ったら腕時計くらいなのである。


ドンドン。灰色の燻んだドアを叩く。
「おーい、八代! いるんだろ」
ドンドン。返事はない。
「ちょっと重大なことがあってきたんだ!」
アナトは声に緊張感を出す。が、特に返事はない。
「やっぱ寝てるんだよ。それかいないか」
ニコはタバコの煙を濃い塊のように口から吐き出す。
「くそが。どうせどっかでヤってんだろ…」
アナトが毒づく。
とその時、重いドアがゆっくりと開いた。
「あ…」
ニコが驚く。
「ちょっと何よ。こんな糞朝っぱらから」
コーンロウの長い髪を掻きむしりながら、細身の女性が出てくる。
「お、ニコトじゃん」
女性は驚いたように瞬きをした。
「一緒にすんな。ニコとアナトな」
アナトが即座に突っ込む。
「アナコでもいいけど」
女性はそう言って笑ってから、入って入ってと二人を中に通した。


「ふーん、で、そのヴァディトってやつに会いたいんだ」
八代が髪をくるくると触りながら日記の最後の頁を眺める。
「そう。そうなんだ」
「で、八代ならなんか知ってるかなと思って」
アナトとニコは八代に経緯を説明する。
部屋の派手な内装から八代の人格が想像できる。観葉植物、というか得体の知れない熱帯植物が部屋の至るところに置いてあり、窓際には大きなカゴが数個。カメレオンやら鳥やらがその中で元気に動いている。床にひいてあるラグもアマゾンを感じさせる色合いで、部屋の中にいるだけで汗をかきそうだ。
「ヴァディトか…」
八代はそう言いながらニコの方に手を出した。
「ん?」ニコが首を傾げる。
「一本」八代がニコの方を見つめる。
「ああ」
ニコは彼女の言いたいことを察し、カバンかたジョイントが大量に入った缶を取り出す。
「なんか知ってんのか?」
アナトが八代を見る。
「さぁ〜」
八代はニヤニヤと笑いながら、ゴムで長いコーンロウを一つにまとめる。
「とりあえず吸ってから」
ニコの手からジョイントを掻っ攫いマッチで火をつける。
「ふぅ…」
八代は濃い煙を頭上に吐き出し、落ち着いたように肩の力を抜いた。
「で、何を知ってる?」
アナトが再度聞く。
「私のお母さんの友達がね、そいつに会ったらしいんだ」
「そいつって、ヴァディトのことか?」
「そう」
アナトとニコは、予想以上に早い段階で情報を手にできそうと前のめりになる。
「で、で?」
「まあお母さんの友達の話だからあんま信憑性はないかもだけど、とにかく実在するらしい。そのヴァディトって奴は」
八代の母も彼女が幼い頃に死んでいる。
「で、そいつはどこにいるのかな」
「うーん、そいつがどこいるのかはわかんないんだけど…」八代が日記の最後の頁を目で追いながら言う。
「なんだ、それ知らなきゃ意味ないじゃん…」ニコが肩を落とす。
「でも…」八代が最後の頁を指差しながらアナトとニコを見る。

『水が滴る廃墟と鬱蒼と生える草。黒い犬がとぼとぼと歩く』


「これの場所は大体見当がつく」八代がニヤッと笑いながら煙を吐く。
「マジかよ、どこだ?」
アナトが食い気味に聞く。
「今から私が話すことを信じるか信じないかはあんたら次第だ。ちなみに私は信じてる」
「…うん」
二人がゆっくりと頷く。
八代がラグの下から日本の地図を出し二人の前に広げる。
「いい? 確認だけど、そもそもニコトはFODがどれだけデカくなってるか知ってる?」
「だからニコトじゃなくて…」ニコが頭をかきながら呟く。
「知らねえ」アナトが答える。
「じゃあまず、無知なベイビー達にそこから教えて差し上げよう」八代が床に落ちてるペンを拾い地図に線を書いていく。
「FODは富士山の麓から建設が始まって、今や中部地方全体に広がろうとしている。日本海側はまだ開拓が進んでないけど、太平洋側の静岡・愛知、あと真ん中の長野・山梨あたりはもう完全に街が完成しているの」
「はぁ…」
耳にしたこともないような固有名詞の応酬に二人は口を開けたままだ。
「あんたらもしかしたら知らないかもだけど、日本の首都は東京だったんだよ」
「トウキョウってすぐ近くの工場地帯のこと?」
「そう。10年くらい前まではあそこは日本の中心部だった。でもFODの開発が順調に進んで、ていうか東京周辺がどうしようもないくらい荒れ果てたから、首都をFODに移したんだよ。移すためにFODを作ったとも言えるけど…」
「へー…。もともとFODのあったところが首都なのかと思ってた…」
ニコは八代のわかりやすい説明に手を叩く。
「まあ、私らみたいなアジンの中で育った人間にはFODの情報なんて入って気やしないからね。そう思うのも仕方ない」
八代がジョイントを口に加える。
「でよ。ここからが重要で…、FOD建設ってのも簡単な話じゃない。それはわかるよね?」喋る口から煙が溢れ出る。
「う、うん…。もともとあった建物を壊さなきゃだし、いろんなゴミが出る」
「そう、その通り。じゃあそのゴミはどうする?」
「埋めるか燃やすか、じゃないのか?」アナトが酒瓶に入った水を飲みながら言う。
「そう。まあ間違っちゃいないね。正確に言うと、国は建設の時に出た大量のゴミを埋立地として海に推しやったの」
「ウメタテチ…?」ニコが初めて聞いたその言葉を復唱する。
「うん」
「これは古い地図だから埋立地自体は載ってないんだけど…。ほらこれ、伊豆って文字があるでしょ?」
八代がペンの先で文字を指す。
「これイズって読むのか」
アナトが小さな声でつぶやく。
「そう、学んだわね。で、この伊豆の出っ張りの先端の石廊崎ってところから、これの左の出っ張りの先端、御前崎まで」
八代が二つの出っ張りの先端を線で結ぶ。
「駿河湾って呼ばれる場所を、埋め立てたのよ。ゴミでね」
「え、じゃあ今はここに水はないわけ??」
ニコが驚きながら地図を指さす。
「水っていうか、海ね。うん、ないわ。陸地を一体化してる」
「まあ元の景色を見たことないから驚きも何もないんだけどな」
アナトが驚くニコを見て笑う。
「で、この埋立地ってのが日記に書いてあった場所と関係あるの?」
ニコが目を輝かせながら八代の方を見る。
「まあまあ、落ち着きたまえ。話にはまだ続きがある」
八代が興奮した犬を落ち着かせるように優しい口調で言う。
「政府は次々と街を壊し、再利用不可能なゴミをドンドン海沿いに運んだ。運ぶ作業を円滑にするには何が必要?」
「道」アナトが言う。
「その通り。道が必要なの。作業をするためのね。つまり、その道には新しい建物は建てられない。建てたら邪魔でしょ? さっき太平洋側の静岡は完全に開拓が終わったって言ったけど、伊豆半島に建物は建ってないのよ。伊豆は開拓されてないの。ゴミを運ぶ道だったから」
八代の口から一気に出てきた情報にアナトとニコは固まっている。
「私の説明わかりづらいかしら?」
八代が笑いながらジョイントを吸い、また説明を始める。
「だから、この伊豆半島って場所はほとんど人がいない、無人の半島なの。中部地方のほとんどが政府によってFOD開拓されようとしてる、もしくはされてるけど、この半島だけは作業の都合上開拓してないってこと。数十年後にはするかもだけどね。で、さらに面白いことに、この半島にはサルガが流行する以前の建造物が廃墟としていまだに残っている。2020年以前のね。駿河湾側はゴミの運搬のために更地になってるけど、反対側は結構残ってるらしい」
「おーい」八代の続ける説明についていけなくなったニコが、窓際のカメレオンに話しかけている。
「つまりそこに、お母さんの書いてる『水の滴る廃墟』があるわけ?」
アナトが話を早く進めるために質問する。
「まあ、そういうことね。多分、伊豆半島の東側にある教会のことよ」
「キョウカイ…?」
「神様にお祈りする場所よ。あいにく私はそういうの嫌いだけど」
八代が立ち上がり、冷蔵庫から赤い大きなトマトを取り出す。
「その教会結構有名なの。違う意味で」
トマトにかぶりつきながら八代が話す。
「違う意味って?」
「願いが叶うのよ」
八代がトマトとジョイントを交互に口に運ぶ。
「願い??」
さっきまでカメレオンと話していたニコが突然会話に戻ってくる。
「そう。その教会は第二次世界大戦が終戦して10年くらい経った時に閉鎖した。だいぶ前の話よ。今から90年くらい前。人々から忘れ去られて廃墟になってたんだけど、1979年、三人の男がそこに足を運んだ。学者と大学の教授と一般男性がね。そして、そのうちの教授が、その廃墟で体験した超常現象を本にしたのよ。確か、カイダノみたいな変な名前だったわね。本が出たのは1985年くらいかしら。その結構後」
「超常現象ってのが、さっき言ってた願いが叶うってことなのか?」
アナトが頭をフル回転させながら八代の話についていく。
「そう。そういうこと」
八代がトマトを齧る。
「その本はとうの昔に絶版になっちゃったんだけど、その教会の廃墟がどういう場所か、そしてどうやったらいけるのか、逆に何をしたらダメか、みたいなことが細かく書かれているのよ。そこにヴァディトの名前も出てくるわけ」
「アナト、意味わかった…?」
ニコがアナトの方を見る。
「なんかやばいってことくらいは…」
アナトはごくりとすばを飲む。
「FOD建設の際に伊豆半島の東側を開拓しないのも、その教会が関係してるんじゃないかなと私は思ってる。だって、ゴミの運搬用の道に半島全部はいらないでしょ?」
「うん…、まあ確かにそうだけど、ちょっとまだ頭の整理が…」
アナトがゆっくりと地図を確認する。
「確認なんだけど、ヴァディトはその教会への案内人なんだよね?」
ニコが八代に尋ねる。
「イエス」
「つまりヴァディトがいないと教会にいけないってこと?」
「イエスイエス」
「じゃあ最初に行ったその三人のうちの誰かがヴァディトだったってこと?」
「案外鋭いわね。そう。それが一般男性のことなのよ。そいつが自分のことをヴァディトだって名乗って、教会の廃墟で起こる現象の説明をしたらしい。教授と学者がどうやってその人を見つけたのかは謎のままなんだけど。とにかくその一般男性がヴァディト。で、他にもヴァディトはいるらしい。多分今もね、私のお母さんの友達も会ったって言ってるし」
ニコがアナトの方を見て笑う。
「話を整理するけど…、伊豆半島の東側に神聖な廃墟がある。それがお母さんが日記に書いてたやつだな。そしてそこでは願い事が叶う…、まあそれはあんま信じてないけど一応理解はできた。そしてそこに行くのにヴァディトってのが必要で、その力的なのをもった人間はまだいるかもしれないってこと。だな?」
アナトは膨大な情報を整理し声に出す。
「その通り」
八代がそう言いながらトマトのヘタを鳥の入っているカゴに投げ入れる。
「後もう一個重要なこと」
八代が続ける。
「なんだ?」
「多分その廃墟には、ヴァディトを入れて三人しか入れない」
八代はそう言ってからジョイントを加えた。
「ピッタリじゃん。僕とアナトと、そのヴァ…なんちゃらってので」
「おう、そうだな」
アナトも頷く。
「うん、そうなんだけど、そうでもないみたいなの…」
八代が煙を吐きながら微笑む。
「そうでもないって…どういうことだ?」
アナトが八代に言う。
「私も行く」
八代が二人のことを真っ直ぐな眼差しで見つめながら言った。
「え、でもそしたら…入れないんじゃ…」ニコが慌てたような声を出す。
「それも曖昧な情報だし、もし入れないんなら交代で廃墟に入ればいいわ。それに…」
「それに、なんだ?」
「私はヴァディトっぽい人をなんとなく知ってる」
八代が自慢気に笑いながら煙を頭上に吐き出した。

鳥がトマトのヘタを突いている。
開け放たれた窓から生暖かい風は吹き込む。

こうして旅の仲間が一人増えた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?